EP 4
第1の試練:ネギオの論破説法と、脱走マンドラ追走劇
早朝五時。
朝靄が立ち込めるポポロ村の広大な農業区画に、けたたましい金属音が鳴り響いた。
カンカンカンカンッ! カンカンカンカンッ!
「ほら起きんかい駄女神ぃぃぃっ! 朝飯前のひとっ走り、収穫バイトの開始時間やぞ!!」
「ぎゃあああああああぁぁぁっ!? なによ、なんなのよぉぉっ!? 目覚まし代わりに一斗缶を真鍮の算盤で叩き鳴らすんじゃないわよ、このド畜生猫耳ぃぃっ!!」
ポポロ・コーポの女子棟から、頭をボサボサに爆発させたルチアナが転がり出てきた。
着せられているのは、昨日タローマンのワゴンセールで調達された、泥汚れの目立たない深緑色のガテン系作業用つなぎ。足元には、すっかりお馴染みとなった緑色の健康サンダルが引っ掛けられている。
「文句を言わないの、ルチアナ様。規則正しい早起きは、乱れきった自律神経を整える第一歩ですよ」
私は清潔なナース服風の作業エプロンを身に纏い、手元のバインダーで本日のバイタルと作業ノルマをチェックしながら冷徹に微笑んだ。
私の隣には、朝の冷え込みから私を守るように、最高級ウールのストールを私の肩にそっと掛け直してくれるレオン様がいる。
「コハル、朝露で足元が滑る。私の腕に掴まりなさい。……それから、あ奴が作業中に少しでも不審な神威の兆候を見せたら即座に知らせろ。我が影の部隊に、周囲の空間ごと圧搾させて逃亡を阻止させる」
「レオン様、大丈夫ですよ。ニャングルさんの日当天引きシステムが、すでに大宇宙管理局の口座とオンライン直結していますから」
「……あんたたち、朝っぱらから甘ったるいオーラ出しながらサラッと恐ろしいこと言ってんじゃないわよ……っ!」
ルチアナが涙目で悪態をつくが、現場の朝は待ってくれない。
私たちの目の前に広がるのは、見渡す限りの広大な黒土の畝――ポポロ村名物、魔境野菜の収穫農場だった。
「さあ、第一の試練です。午前のノルマは、この区画の『人参マンドラ』五十本の捕獲、ならびに『ネタキャベツ』三十個の収穫。これらを無事にカゴへ詰め終えれば、本日の午前の返済分として金貨二枚が口座へ振り込まれます」
「ふんっ、なによ! たかが野菜の収穫じゃない! 私が本気を出せば、神威の光で畑ごと――」
「おっと、神威の使用は禁止やで」
ニャングルが煙管からプカリと紫煙をくゆらせ、釘を刺した。
「作物が焦げたら商品価値がゼロになる。手作業で傷つけんと引き抜いて、生け捕りにするのがプロの仕事や。ほれ、さっさと腰を落として引っこ抜きなはれ!」
「くっ……! やればいいんでしょ、やれば!!」
ルチアナはやけくそ気味に土に手をつき、土中から青々とした葉を覗かせている、手頃なサイズの人参の首根っこを掴んだ。
そして、フンッと力任せに引き抜いた――その瞬間。
ズボォッ!!
「ギャアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!!」
耳を劈くような、鼓膜が破れんばかりの超音波の絶叫が炸裂した。
土の中から飛び出してきたのは、手足が生え、顔面に醜悪なシワを寄せた、赤ん坊ほどの大きさの人参――『人参マンドラ』だった。
「ひぃぃぃっ!? な、何これぇぇぇっ!? 野菜が耳元で耳鳴りレベルの金切り声を上げてんだけどぉぉっ!?」
「アホ、手を離すな! 逃げられるぞ!」
マシロの叫びも虚しく、あまりの音量にルチアナが思わず手を離してしまった。
着地した人参マンドラは、二本の短い足を器用に回転させると、
「ケケケケケッ! 捕まるかよバーカ! 追いついてみな、芋ジャージのオバサン!!」
と捨て台詞を吐き捨て、時速四十キロの猛スピードで畑の彼方へと全力疾走を開始した。
「お、オバサンって言ったわねコイツぅぅぅぅっ!? 待ちなさい! 刻んで野菜スティックにしてマヨ・ハーブぶっかけて貪り食ってやるわぁぁぁっ!!」
ルチアナは緑の健康サンダルをペタペタと猛烈な音で鳴らしながら、泥を跳ね上げてマンドラの後を猛追走し始めた。
「ギャハハ! ええダッシュや! まるで獲物を追う飢えたハイエナやな!」
マシロが朝食の『タローソン特製・人参野菜ジュース』をストローでちびちび飲みながら腹を抱えて笑う。
「……あー、姉御。あいつ、サンダルで畑ダッシュとか無謀すぎるっすよ」
フェイトが手にした白銀の大剣を杖代わりにしながら呆れ顔を浮かべた、まさにその時。
ツルゥッ!!
ドシャァァァァァンッ!!
「ぐえぇっ!?」
濡れた黒土にサンダルの底を取られたルチアナは、派手に空中で一回転し、顔面から思い切り泥水の中へとダイブした。
黄金の美しい髪は見る影もなくドロドロのヘドロに塗れ、起き上がった顔面はまるで泥人形である。
「う……うぅぅ……っ。なんなのよこれぇぇ……! なんで私が……宇宙の星々を創り出した至高の世界神たるこの私が、朝っぱらから野菜に煽られて泥水を啜らなきゃいけないのよぉぉぉっ!!」
ルチアナは泥まみれの拳で地面を叩き、子供のように大号泣した。
そこへ、追い討ちをかけるように――。
カシャリ、と足元の土が盛り上がり、丸々と太った一個の巨大なキャベツが葉を広げた。
『ネタキャベツ』である。
「(ペチャクチャ……おやまぁ、見っともないですわねぇ、奥さん)」
ネタキャベツが、昼ドラのナレーションのようなねちっこい声で喋り始めた。
「(聞きました? 三丁目の神様、なんでも若い男のアイドルの追っかけに狂って、クレカのリボ枠を天井まで溶かしたんですって。挙句の果てに、ポポロ村でドロドロになりながら野菜に逃げられてるらしいですわよ? みっともない、みっともないったらありゃしない! ぎゃははは!)」
「な、野菜の分際で私のプライベートを三面記事風に暴露してんじゃないわよぉぉぉっ!!」
ブチギレたルチアナがキャベツを踏み潰そうと足を振り上げた――その瞬間だった。
シャキィィィィンッ!!
突風が吹き抜けた。
ルチアナの鼻先わずか一ミリの空間を、目にも留まらぬ速度で何かが一閃した。
切り裂かれた大気が甲高い風切り音を立て、ルチアナの振り上げた足はピタリと静止する。
「……へ?」
土煙の向こうから、カラン、カランと無機質な木製の下駄の音を響かせて歩み出てきたのは――。
世界樹の守護端末『ポーン』の突然変異体。
植物属性の人型樹人でありながら、口には渋いポポロシガーをくゆらせ、その右腕には、鋼鉄すら両断する恐るべき野菜の聖剣――『ネギカリバー』を青々と輝かせた、ポポロ村の鬼教師・ネギオだった。
「……見苦しいな、迷える雌豚(駄女神)よ」
ネギオはポポロシガーを指先で挟み、紫煙をルチアナの泥まみれの顔面へと静かに吹きかけた。
「ひっ!? な、なによアンタ!? 木の化け物がネギ持ってカッコつけてんじゃないわよ!」
「我が名はネギオ。ドンガン地下帝国鍛冶師通信講座一級、ならびにルナミス帝国経済通信講座一級修了者である。……貴様が吐き散らかした醜悪な泣き言、万死に値する愚行と断定する」
ネギオはネギカリバーの切っ先を、ルチアナの喉元へピタリと突きつけた。
「貴様は『至高の世界神』などと自らを棚に上げているが、その実態は何か? 汗を流して富を生み出す民衆の営みにタダ乗りし、虚飾のアイドルに刹那の快楽を求め、自らの分相応を知らずに架空の信用を食い潰した、ただの社会の寄生虫ではないか」
「な……っ、寄生虫ですってぇ!?」
「反論があるならば述べてみるがいい」
ネギオは冷徹に、淡々と、まるで学術論文を読み上げるような抑揚のない声で、容赦のない正論の刃を繰り出した。
「作物は土から栄養を吸い、太陽の光を浴び、自らの身を削って他者の命を繋ぐために実をつける。走る人参マンドラも、生きるために全力で大地を駆けているのだ。それに引き換え、貴様はどうだ? 己の快楽のために他者から富を巻き上げ、思い通りにならねば泥を叩いて喚くのみ。……貴様の魂の価値は、今その足元で逃げ回っているマンドラの一本のヒゲ根にすら劣る。恥を知れ、怠惰なる特権階級の亡霊め」
「う……っ、ぐ……っ!」
完璧な論理武装。
一切の感情論を排した、ドンガン仕込みの冷徹な倫理観と経済理論による完全なる説法。
ルチアナは反論の言葉を完全に失い、顔を真っ赤にして口をパクパクと金魚のように開閉させるしかなかった。
「……ふん。言葉も出んか」
ネギオはネギカリバーをスチャリと収めると、背負っていた籠から、一本の泥まみれの桑を放り投げ、ルチアナの足元の土へ突き刺した。
「泥にまみれることを恥じるな。額に汗することを恥じるな。真の尊厳とは、神威の光などではなく、自らの手で耕した土の重みによってのみ培われるものだ。……立て、リボ払いの破滅者よ。マンドラを捕まえ、キャベツの言葉を受け止め、今日の糧を己の筋肉で稼ぎ出してみせろ」
ネギオの背中は、まるで歴戦の哲学者のように雄弁だった。
その圧倒的な説得力と威厳の前に、あれほど我儘放題だったルチアナが、ポロポロと悔し涙を流しながら、震える手で泥まみれの桑を握りしめた。
「……わ、分かったわよ……っ。やればいいんでしょ、やりゃあ!!」
ルチアナは泥を袖で乱暴に拭うと、前方を走るマンドラ目掛けて、今度はサンダルを脱ぎ捨て、素足で黒土を力強く蹴り出した。
「待ちなさいマンドラぁぁぁっ! 私の金貨二枚分、絶対に逃がさないわよぉぉぉぉっ!!」
「ギャアアアッ!? 素足のオバサンが野生の眼差しで追ってきたァァッ!?」
泥にまみれ、なりふり構わず野菜を追いかける女神の姿。
そこには、先ほどまでのふざけた自堕落さはなく、生きるために必死に獲物を追う、一人の『泥臭い労働者』の横顔があった。
「……ふふっ。いいトリアージね」
私はバインダーにペンを走らせながら、満足げに微笑んだ。
「筋肉を動かし、汗を流し、正論でプライドを粉砕される。……精神衛生上、これ以上のデトックスはありませんわ」
「ああ。君の言う通りだ、コハル」
レオン様が私のストールを優しく整え、耳元で愛おしそうに囁く。
「傲慢な神のメッキを剥ぎ取り、真の自立へと導く君の手腕……実に見事だ。だが、朝風が冷たくなってきたな。そろそろ私の腕の中で温まりなさい」
「レオン様、まだお仕事中ですから……んんっ」
公爵様の甘い抱擁を受け止めながら、私は泥だらけでマンドラに飛びつくルチアナを見守った。
午前のノルマは、どうやら無事に達成できそうだ。
しかし、今日の試練はまだ半分。
午後に待ち受けるのは、数々の農家の人生を狂わせてきた最凶の魔性の果実――『メロロン』のハウス潜入である。
更生への道は、まだまだ泥と汗に塗れていた。
読んでいただきありがとうございます。
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