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EP 5

第2の試練 メロロン畑の潜入と、仮面夫婦の修羅場

午前中の泥まみれのマンドラ追走劇を終え、タローソン特製の『塩むすび』二個と冷たい麦茶でわずか十五分の休憩を挟んだルチアナ。

その全身は泥と汗にまみれ、美しいはずの金髪はボサボサだったが、ニャングルの手によって『午前の日当:金貨二枚(二万円)』が大宇宙管理局の返済口座へダイレクト送金された通知音を聞いた瞬間だけは、亡者のように目を血走らせて息を吹き返していた。

「……ハァ、ハァ……っ! あと金貨九十八枚……っ! この調子でいけば、三日でマグローザ漁船の危機は脱出できるわね……っ! さあコハルちゃん、次の現場はどこよ!? ドンと来なさいよ、この私が宇宙のチリに変えて――じゃなくて、手作業で収穫してやるわ!!」

泥水で顔を洗い、妙なランナーズハイに突入しているルチアナ。

そんな彼女の前に立ちふさがったのは、ポポロ村の奥地に広がる、厳重に二重三重の魔導結界で囲まれた異様なビニールハウス群だった。

「ふふっ、その気合いは素晴らしいですね。では午後の現場です。日当は破格の【金貨五枚】。ただし――ポポロ村でも最も危険な、精神汚染指定特級作物のハウス潜入作業です」

私がカルテをめくりながら冷徹に告げると、ハウスの入り口の扉がギギギと重い音を立てて開いた。

中から現れたのは、世帯年収一千五百万円を誇るポポロ村の篤農家――泥沼源蔵(50)と、その妻・泥沼恵(45)の二人だった。

「……いらっしゃい。よく来てくれたね、バイトさん」

「怪我……ううん、心の傷には気をつけてね……」

おしどり夫婦として知られていたはずの二人の顔は、土気色を通り越して真っ白に干からびていた。

目元には深いクマが刻まれ、互いに目を一切合わせようとしない。

二人の間には、まるで絶対零度の吹雪が吹き荒れているかのような、息の詰まるディストピアの空気が漂っていた。

「な、なんなのよこの夫婦……。冷え切った家庭の空気が服の上からでも肌に刺さるんだけど……」

ルチアナが思わず後ずさる。

「泥沼夫妻よ」

私は手元の問診票を見ながら、声を潜めて説明した。

「かつては大変仲の良いご夫婦だったの。けれど、このハウスで栽培している魔性の果実……『メロロン』に手を出してしまって以来、お互いに別のメロロンに骨抜きにされて泥沼の不倫劇に発展。食卓が愛妻料理から半額惣菜、そして『生米と水』にまで荒廃してしまったのよ。今は世間体と国家農業補助金の受給資格を維持するためだけに同居を続ける……業界用語で言う『仮面夫婦(マスクメロン状態)』ね」

「マスクメロンってそういう意味じゃないでしょぉぉっ!?」

「いいかい、バイトさん」

源蔵が、生気のない目でルチアナの肩に手を置いた。

「ハウスの中の完熟メロロンどもは、人間の心の隙間に巧みに入り込んでくる。甘い言葉、全肯定の囁き、絶妙なボディタッチ……。絶対に耳を貸しちゃいけない。少しでも心を許せば、お前さんも俺たちのように、人生のすべてをメロロンに貢ぎ尽くすことになるぞ……」

「そんな大げさな! たかがウリ科の植物じゃないの!」

ルチアナは鼻で笑い、渡された収穫用のハサミを手に、意気揚々とハウスの中へと足を踏み入れた。

――バフッ。

ハウス内に充満していたのは、脳の奥を直接痺れさせるような、濃厚で甘美な芳香だった。

緑のツタが鬱蒼と茂る中、丸々と太った網目模様の果実たちが、ぽよん、ぽよんとリズミカルに身を揺らしている。

「……あら? 意外と普通じゃない。いい匂いだし、これならチョチョイと蔓を切って――」

ルチアナが手を伸ばした、その時だった。

『――あら、こんにちは。今日も暑い中、お仕事ご苦労様……♡』

「……え?」

ツタの隙間から、瑞々しいメロンの果実が、ぽよんとルチアナの手のひらにすり寄ってきた。

鈴を転がすような、あまりにも甘く、包容力に満ちた美女の声。

果実の表面の網目が、まるで恥じらう少女の微笑みのように柔らかく歪んでいる。

『ふふっ……綺麗な金髪ね。でも、毛先が少し傷んでいるわ。……貴女、最近すごく無理をしているんじゃないかしら?』

「え……? ま、まあ、最近色々とあって……」

『頑張りすぎよ、えらいわね……♡ 誰も貴女の苦労を分かってくれないのに、たった一人で世界を背負って……痛かったでしょう、辛かったでしょう?』

ぽよん、と温かい果肉がルチアナの手首を優しく撫でる。

その瞬間、ルチアナの瞳からスッと光が消え、濁ったピンク色のハートマークが浮かび上がった。

「そ、そうなのよ……! 私、世界神なのに! 誰も敬ってくれないし、リリスには生意気口を利かれるし、コハルには新聞紙で頭をポカポカ叩かれるしぃぃ……!」

『まあ、なんて酷い人たち……! 貴女は悪くないわ。貴女はちっとも悪くない。……全部、周りの人間が愚かなせいよ。ねぇ、もう辛いお仕事なんて放り出して、私と一緒にずっと甘い夢を見ましょう? 貴女の流した涙、私の果汁ですべて包み込んであげる……♡』

「あ、あぁぁ……メロロンちゃん……! アンタだけよ、私の本当の苦しみを分かってくれるのは……! もう借金返済なんてどうでもいい! 私、アンタと同伴して一生このハウスで暮らすわぁぁぁっ!!」

ルチアナは収穫バサミを放り投げ、メロロンを両腕で抱きしめて頬ずりを始めた。

完全なる精神寄生。キャバクラの甘言に全財産を溶かす駄目な客そのものの姿である。

「アカン! コハル、あいつ完全に骨抜きにされとるぞ!」

ハウスの外から見ていたマシロが叫ぶ。

「任せとき! ワテのウサギキックであのメロンごと蹴り飛ばしたるわ!」

「待ちなさい、マシロちゃん。植物性の精神感応トラップに不用意に突入すると、二次被害が出るわ。……こういう時のために、ポポロ村の『専門家』をお呼びしてあります」

私がカルテを閉じ、ハウスの入り口を振り返ると――。

ドスゥンッ!!

大地を揺るがす地響きと共に、四つの蹄が黒土を力強く踏みしめた。

現れたのは、ポポロ村自警団リーダー――ケンタウロス種の女戦士、マンミア(25歳)。

その手には、攻防一体の超重量パイルバンカー式シールド『アグニ』と、分銅付き緊縛鎖『メビウス』が禍々しい闘気を帯びて握られていた。

「……コハル殿。状況は把握した」

マンミアは冷徹な眼差しでハウス内を睨み据えた。

しかし、その額には血管がピキピキと浮き上がり、全身から立ち上る闘気は、どう見ても治安維持の域を越えて『私怨の塊』と化していた。

「マンミアさん、お願いします。あの完熟メロロンの不法占拠および精神汚染を排除してください」

「了解した。……それにしても、あのメロロンめ。聞こえていたぞ。『私は貴女を全肯定する』『ずっと甘えていい』だと……? ふん、安っぽい色恋営業で他人を誑かすなど、言語道断……ッ!」

マンミアは『アグニ』の杭打ち機構をガチャリと装填した。

「世の中にはなぁッ!! 16歳で結婚するのが当たり前のこの世界でッ!! 25歳になっても浮いた話一つなくッ!! 12月25日の夜にタローマートの半額クリスマスケーキを一人で貪り食って枕を濡らしている女だっているんだよぉぉぉぉッッ!!!」

「「「怨念が重すぎるッッ!!!」」」

マシロとフェイト、そして泥沼夫妻が一斉に悲鳴を上げた。

「邪魔をするな、不埒な果実どもめ! 25歳独身の誇り(トラウマ)にかけて……貴様らを粉砕するッ!! 『チャージタックル』ッッ!!」

ズガアアアアアアンッッ!!

時速八十キロの猛烈な突進がビニールハウスを突き破った。

ケンタウロス特有の圧倒的な馬力によって突撃したマンミアは、ルチアナが抱きしめていたメロロンの背後へ一瞬で回り込むと、分銅鎖『メビウス』を一閃させてメロロンのツタを強引に引きちぎり、虚空へと放り投げた。

『キャアッ!? な、何をするのよ無骨なメスウマ! 私とこの人の愛を引き裂かないで――』

「問答無用ッ! 貴様の甘っちょろい果汁ごと、現実の鉄槌を受け止めろッ! パイルバンカー『アグニ』、最大出力ゥゥッ!!」

カチッ、ドバァァァァァンッッ!!!!

ゼロ距離から射出された超重量の鋼鉄杭が、空中でメロロンの果肉を完璧に貫通した。

パァンッ! と風船が弾けるような破裂音と共に、甘美な果汁と緑色の果肉の破片が、ハウス内に豪快なスコールとなって降り注いだ。

ビチャビチャビチャッ!!

「ぶへぇっ!?」

頭から大量のメロロン果汁を浴びたルチアナは、あまりの衝撃とベタつく感触に目を白黒させた。

精神を惑わしていた甘いフェロモンが物理的に吹き飛んだことで、彼女の瞳に急速に理性の光が戻ってくる。

「……あれ? 私、なんでメロンに愛の告白をしてたのかしら……?」

「正気に戻ったか、迷える駄女神よ」

立ち込める湯気の中、パイルバンカーから硝煙を立ち昇らせたマンミアが、冷酷な仁王立ちで見下ろしていた。

「あ、貴女は……自警団の……」

「これ以上、甘ったれた幻想に逃げ込むな。人生とは、現実とは、誰にも甘えられず、一人で半額のケーキを噛み締めるような夜を乗り越えてこそ培われるものだ。……立て! 落ちているハサミを拾え! 飛び散った果肉の掃除と、残りのハウスの収穫作業がまだ山積みだぞ!!」

「ひ、ひぃぃぃぃっ! ごめんなさい! すぐ働きます! すぐ働きますから、その杭打ち機を私に向けないでぇぇっ!!」

ルチアナは半泣きになりながら泥だらけのハサミを拾い上げ、狂ったように残りのメロロンのツタを切り始めた。

その姿を見て、泥沼夫妻が遠い目をしながらポツリと呟く。

「……あの荒治療、俺たちも受ければよかったのかな……」

「そうね……ケーキ、今夜は二人で半分こしましょうか……」

長年仮面夫婦を続けていた二人の間に、ほんの少しだけ雪解けの兆しが見えた瞬間だった。

夕暮れ時。

全身メロロンの果汁でベタベタになり、泥と混ざって異様な甘い匂いを放ちながら、ルチアナはハウスの外へと這い出してきた。

ピロリロリーン♪

ルチアナの首から下げられた端末から、電子音が鳴り響く。

『――【入金通知】:ポポロ村農業協同組合より、危険作業手当込み日当【金貨五枚(五万円)】が振り込まれました。全額が大宇宙管理局の返済口座へ充当されます』

『現在の残り借金残高:金貨九十三枚』

「……つ、疲れた……。身体中が甘くて臭くて、腰が割れそうによ……」

地面に大の字に倒れ込み、ピクピクと痙攣するルチアナ。

私はそっと歩み寄り、冷たい水で絞った清潔なタオルを彼女の額に乗せてあげた。

「お疲れ様でした、ルチアナ様。これで本日の返済ノルマは達成です。……ほら、手足を動かして稼いだお金の通知、どんなソシャゲのガチャ演出よりも達成感があるでしょう?」

「……うぅぅ。悔しいけど……ちょっとだけ、スカッとしたわよ……」

ルチアナはタオル越しに、弱々しく息を吐いた。

「よくやったな、コハル」

背後から、レオン様が私の肩を優しく抱き寄せ、その大きな手で私の冷えた指先を温めてくれた。

「精神汚染の危険地帯すらも、適材適所の戦力配置で完璧に掌握してみせた。……君の知略と采配は、今日も最高に美しかったぞ」

レオン様は私の額に、周囲の農民たちが見守る前で深く甘いキスを落とす。

「レ、レオン様……っ。泥沼夫妻が見てますから……っ!」

私が赤くなって身を捩ると、レオン様は楽しそうに目を細めた。

一日目の過酷な更生プログラムを、なんとかボロボロになりながらも完走したルチアナ。

しかし、彼女を待ち受ける夜は、まだ終わっていなかった。

神格や調停者たちが犇めくあのカオスな木造アパート――『ポポロ・コーポ』での、さらなる洗礼が幕を開けようとしていたのである。

読んでいただきありがとうございます。

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