EP 2
ルナキン決戦と、高級バッグから零れた『赤紙』
「いやぁ〜! 持つべきものは優秀な使徒よね! ほらコハルちゃん、遠慮しないで一番高いステーキと、一番度数の高い酒を持ってきなさい!」
ポポロ村の街道沿いに建つ、黄色い看板が眩しい二十四時間営業のファミレス――『ルナミスキング(通称ルナキン)・ポポロ支店』。
ボックス席の奥側にどっかと陣取った世界神ルチアナは、毛玉だらけの芋ジャージの袖をたくし上げ、テーブルに広げられたラミネート加工のメニュー表をペチペチと叩いていた。
足元には脱ぎ捨てられた緑色の便所サンダル。昼間からすでにアルコールの気配をプンプンと漂わせ、瞳を金貨マークに変えて唾を飛ばしている。
「あのねぇ、ルチアナ様。ここは庶民派のファミレスですから、キャビアもフォアグラもございませんことよ?」
テーブルの向かい側。
ルナミスデパートのワゴンセールで買ったエンジ色の芋ジャージを着た、人魚姫リーザが冷ややかに目を細めていた。
彼女の前には、私がおごった『日替わりランチ(ライス大盛り無料)』が置かれている。無料の給水器から汲んできた冷水をちびちびと飲みながら、リーザはルチアナの傍らに無造作に置かれたバッグへと、獲物を狙うスナイパーのような視線を注いでいた。
それは、一見すると帝都の高級ブティックでしか手に入らないような、金色の鎖がついた豪奢な黒革のハンドバッグだった。
……しかし、極限の無料サバイバル術を極めたリーザの鑑識眼は誤魔化せない。
(……ふん。革の縫い目がガタガタですわ。金具のメッキも剥げかかっていますし、裏地のタグには『タローマート・訳あり処分品・銅貨三枚』のシールを剥がした跡がうっすら残っておりますわね。……あれは完全なパチモンですわ)
リーザは内心で素早く査定を完了させると、人魚特有のあざとく純真な営業スマイルをその可憐な顔面に貼り付けた。
「でもでも! このルナキンには、帝都の貴族様たちも唸る幻の銘酒がございますのよ! 店員さーん! このポポロ村特産の米麦草から作られた最高級蒸留酒、『サケスキー(度数四十五度)』をボトルで一本! あとロックグラスを二つ持ってきてくださる〜?」
「あらぁっ!? 人魚の小娘、気が利くじゃないの! サケスキー! あれ高いのよねぇ〜、天界の輸入関税がかかると手が出ないのよ!」
ルチアナは相好を崩し、テーブルをバンバンと叩いて歓喜した。
一方、通路を挟んだ隣のボックス席では。
私とレオン様、そしてキャベツ畑から救出されて頭に葉っぱを乗せた見習い女神リリス、ふかし芋を食べ終えたマシロが座っていた。
「……コハル。あのような下劣な輩に、なぜ酒などを振る舞うのだ。我が公爵家の権限で、今すぐあの偽ブランドバッグごと消滅させてやろうか?」
レオン様が漆黒の瞳を冷徹に細め、腰の魔導通信石に手をかける。
「まあまあ、レオン様。トリアージの基本は『まず患者の主訴と現状を正確に把握すること』ですから。……それに、あそこには我が陣営の誇る、ある意味で最強の『現場担当者』がついていますからね」
私が苦笑いしながら視線を戻すと、ちょうどウェイトレスが氷の入ったグラスと、琥珀色に輝くサケスキーのボトルを運んできたところだった。
「ささ、ルチアナ様! 日頃の世界統治のお疲れを、この芳醇な一杯で洗い流してくださいまし!」
「んぐっ、んぐっ……ぷはぁぁぁっ!! 染みるぅぅぅ! 昼間っから他人の金で飲む強い酒、最高ぉぉぉっ!!」
ルチアナはグラスを一気に呷り、喉を鳴らしてアルコールを胃袋へと流し込んだ。
度数四十五度の強烈な蒸留酒だ。普通の人間なら一口で喉が焼けるような代物だが、自堕落とはいえ神格の肝臓を持つルチアナは、上機嫌で顔を真っ赤に染めながら二杯目、三杯目とハイペースで杯を重ねていく。
「いっけな〜い! 私ったら、推しの月人君の配信を見る時間だったわ! ほらリリス、あんたの端末でテザリングしなさいよ!」
「いやですぅ! 先月テザリングさせられたせいで、私のギガが速攻で死んで、通信制限でルナキンのクーポンが開けなくなったんですからぁ!」
「ケチくさいこと言ってんじゃないわよ! 減るもんじゃないでしょ!」
ルチアナがリリスに絡み、完全に注意が逸れた――その瞬間。
サッ……!
リーザの指先が、音もなく滑らかに動いた。
かつてタローソンの廃棄弁当を巡って野良犬と争い、パチンコ屋の床から銀玉を店員にバレずに拾い集めてきた神業のステルス技術。
リーザの手は、ルチアナの偽ブランドバッグのジッパーをミリ単位の狂いもなく無音で引き下げ、その中へと滑り込んだ。
(ふふんっ! 偉そうにタダ飯を要求する神様だか何だか知りませんけれど、その分はきっちり回収させていただきますわ! 人魚の地下アイドルの活動資金……いえ、今日の晩御飯代として、金貨の十枚や二十枚、抜かれても文句は言えませんことよ……!)
リーザの指先が、バッグの底に眠る分厚い束に触れた。
(……あら? ずいぶんと分厚い財布ですわね。まさか、札束……!?)
ゴクリと生唾を呑み込み、リーザはその束を一気に引き抜いた。
そして、ルチアナに気づかれないようテーブルの下で素早く確認しようとして――
バササササッッ!!
「……え?」
リーザの動きが、完全に停止した。
引き抜かれたのは、財布でも、札束でも、金貨袋でもなかった。
それは、真っ赤なインクでドクロのマークが印刷された、尋常ではない厚みの『督促状』の束だった。
あまりの枚数に手が滑り、テーブルの上にその不吉な赤い紙が何十枚とぶちまけられる。
【大宇宙管理局・天界金融法執行部:最終通告書】
【名義人:第3種惑星創造神格公務員 ルチアナ】
【未払い総額:金貨百枚(一千万円相当・利用上限天井到達)】
【利率:実質年率15・0%(リボ払い地獄変コース)】
【警告:指定期日(あと3日)までに最低返済額の支払いが確認できない場合、天界規約第百八条に基づき、即座に身柄を拘束の上、シーラン海マグローザ遠洋漁業への強制徴用を執行します】
赤紙の山。
その一番上には、昨夜発行されたばかりの『キャッシング枠・残高ゼロ(ご利用いただけません)』の利用明細書までご丁寧にクリップで留められていた。
「「「「…………」」」」
ルナキンのボックス席が、凍りついたような静寂に包まれた。
リーザは、ぶちまけられた赤紙の山を見つめ、次に泥酔して「月人君尊い……」と涎を垂らしかけているルチアナの顔を見つめた。
貧困のドン底でパンの耳をかじり、野良犬と戦い、五円玉を必死に磨いて生きてきた地下アイドルの瞳から、先ほどまでの狡猾な光が急速に消え去っていく。
そこに宿ったのは――同じ「底辺の泥水」を啜る者だけが共有できる、痛ましいほどの、生温かい『同情の光』だった。
「……あぁ」
リーザの口から、掠れた吐息が漏れた。
「……お仲間、ですわね」
その一言には、全米が涙するレベルの深い哀愁が込められていた。
「な、何がよぉ〜? なんか冷たい風が吹いて……あらいやだ、私の手紙コレクションが散らばってるじゃないの!」
ルチアナが酔眼を擦りながら赤紙をかき集めようとする。
そんな無様な駄女神の姿を、リーザは聖母のような慈愛に満ちた目で見つめながら、己の芋ジャージのポケットへと手を突っ込んだ。
取り出したのは、今朝、近所の八百屋のおばちゃんから「いつも歌をありがとうね」と恵んでもらった、今日のリーザの唯一の貴重なタンパク源――冷え切った一個の『茹で卵』。
リーザは無言で立ち上がった。
そして。
パァァァァンッッ!!!
「ぎゃあああああぁぁぁっ!?」
乾いた破裂音がファミレスの店内に響き渡った。
リーザが手加減なしのフルスイングで、茹で卵をルチアナの額のど真ん中へと叩きつけたのだ。
「な、何すんのよこの魚類ぃぃぃっ!?」
額を押さえて涙目で絶叫するルチアナ。
その額の上で、茹で卵の殻が見事な蜘蛛の巣状に砕け散っていた。
リーザは一切動じることなく、菩薩のような慈悲の笑みを浮かべながら、手際よくペリペリとその殻を剥き始めた。
ツルリと剥き出しになった白い卵のテクスチャ。
「……いいですか、ルチアナ様」
リーザは、剥きたての茹で卵を、ルチアナの開きっぱなしの口の中へ、乱暴にズボッと突っ込んだ。
「むぐっ!? んぐっ、んぐぐぐっ!?」
「人間、どんなに借金に追われていようと、胃袋に固形物を入れなければ思考が濁る一方ですのよ。水分ばかり摂っていては、胃液が薄まって余計に惨めになるだけですわ。……さあ、噛みなさい。よく噛んで、自らの浅ましさと共に飲み干すのですわ」
「んぐぅぅぅ……ごっくん! ぷはっ! ひどい! でも、ちょっと美味しい……!」
喉を詰まらせかけながら卵を飲み干したルチアナが、涙目で咳き込む。
その地獄のような光景を隣の席から眺めていた私は、静かに立ち上がり、手元のルナミス新聞をクルクルと細長く丸め始めた。
「……レオン様」
「なんだ、私の至宝」
「あの神様、バイタル以前の問題として……社会的な『致命傷』を負っていらっしゃるようですわね」
私の笑顔から、完全にすべての温度が消失した。
前世の過酷な医療現場で、不摂生を極めて借金を重ね、それでもなお酒を要求してきた数々の『問題患者』に対峙した時の、冷徹無比なナースのトリアージ・モード。
丸めた新聞紙を右手でトントンと叩く私の背後から、マシロが「ヒエッ……コハルの本気のお仕置きモードや……」と耳を垂らして震えていた。
ポポロ村のルナキンで明かされた、世界の創造主のあまりにも情けない破滅のカウントダウン。
ここから、平民ナースによる容赦のない『魂の更生プログラム』が、音を立てて始動しようとしていた。
読んでいただきありがとうございます。
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