第十章 ポポロ村の駄女神更生プログラムと、マグローザ漁船の影
ポポロ村に高級車がやってきた!
帝都を揺るがした最高賢者のフェイクニュース騒動が終結し、ルナ・ネットの全帝国規模の生配信による『公開プロポーズ』という最大のイベントを終えてから数日。
私――コハル・ルナミスは、帝都の喧騒を離れ、帝国・魔皇国・獣人王国の三竦みの境界に位置する緩衝地帯『ポポロ村』へと足を運んでいた。
「……うん、いい風ね。帝都の近代的な街並みも落ち着くけれど、やっぱりこういう土と緑の匂いがする場所に来ると、身体の芯から副交感神経が優位になるわ」
澄み切った青空の下、約500ヘクタールにわたって広がるのどかな田園風景。
畑には、満月のように丸々とした『月見大根』や、青々と茂る『陽薬草』、そして時折「ギャーッ!」と甲高い悲鳴を上げながら脱走を図る『人参マンドラ』を農家のおじさんが鍬を持って全力疾走で追いかけるという、実に平和で牧歌的な光景が広がっている。
「コハル〜! 畑の直売所から、採れたての『太陽芋のふかし芋』貰ってきたで! ホックホクで甘くて、胸焼けする寸前まで食えるやつや!」
私の隣で、ピンク色のリボンをつけたウサギの神獣マシロが、湯気の立つ巨大な芋を両前足(肉球)で抱えながら飛び跳ねていた。
通常時なら100メートルを5秒台で走る伝説の神獣も、ここではただの食いしん坊な愛玩動物である。
「ありがとうマシロちゃん。後でみんなで半分こしましょうね。……でも、まずは定期検診のお仕事からよ」
私が手元のバインダー――ポポロ村の住民カルテに目を落とすと、背後からふわりと、極上のベルガモットと白檀の香りが漂ってきた。
「無理をするなと言ったはずだぞ、私の至宝」
振り返るまでもなく、たくましい腕が私の腰をすっぽりと包み込み、引き寄せる。
漆黒の軍服ではなく、今日は動きやすい上質な濃紺の私服を纏ったレオン様が、伏し目がちに私を見つめ下ろしていた。
帝国の最高権力者であり、公爵家当主である彼が、わざわざ公務の合間を縫って私の『地方巡回検診』に護衛として同行しているのだ。過保護の極みである。
「レオン様、ただの定期巡回ですよ。ポポロ村の衛生状態は、キャルル村長やマンミアさんのおかげで極めて良好なんですから」
「君が2馬力の虚弱な身体で、他人のバイタルばかり気にして倒れてしまわないか、私は一秒たりとも気が気でないのだ。……ほら、君の左手の指輪が、微弱に脈拍の上昇を伝えてきているぞ」
レオン様は私の左手を取り、薬指に嵌められた虹色の鉱石が光る『絶対防壁の婚約指輪』に、大勢の農民が見ている前でそっと唇を落とした。
「ひゃっ……! も、もう、外なんですからやめてくださいっ……!」
私が顔を真っ赤にして抗議すると、畑のあちこちから「公爵閣下、ごちそうさまです!」「コハル様、本当にお幸せに!」と温かい歓声と冷やかしの口笛が飛んできた。
そんな、砂糖を吐き散らかすような甘い日常が流れていた、その時だった。
ブォォォォォォォォォンッ!!
キキィィィィーーーーーッッッ!!!
「……ん?」
突如として、ポポロ村の静寂を暴力的に引き裂く、けたたましい魔導エンジンの爆音が響き渡った。
街道の彼方から、砂煙を猛烈に巻き上げながらこちらへ向かって猛スピードで突っ込んでくる影がある。
「な、なんやあれ!? 暴走族か!? リキ兄貴の単車とはまた違う音やぞ!」
マシロがウサギ耳をピコピコと警戒態勢に尖らせる。
現れたのは、真っ赤な塗装が施された、流線型のド派手な高級魔導オープンカーだった。
しかし、その車体にはあちこちに擦り傷があり、フロントガラスの端には**『ルナミス・レンタカー帝都中央駅前店・わナンバー』**という、これ以上なく世知辛いステッカーがデカデカと貼られていた。
「あ、レンタカーだわ」
私が思わず冷静に呟いた瞬間。
派手なドリフト走行と共に、オープンカーが私たちの目の前で砂煙を巻き上げて急停車した。
バフッと排気ガスが晴れると、運転席のドアがバタンと乱暴に蹴り開けられる。
「ふぅ〜! やっと着いたわよ! なんなのこの田舎道! 舗装くらいちゃんとしなさいよね、税金泥棒の地方自治体め!」
車から降りてきたのは――。
息を呑むほどに美しい金髪と、誰もが見惚れるようなプロポーション。
……でありながら、その身に纏っているのは、膝の抜けた毛玉だらけのエンジ色の芋ジャージに、足元はペタペタと音を立てる緑色の便所サンダル(健康サンダル)。
手には飲みかけの缶ビール(安物)をぶら下げ、口にはピアニッシモ・メンソールを咥えた、救いようのない気だるさを全身から放つ美女だった。
「げぇぇぇっ!? オ、オバッ…………ルチアナ先輩だぁぁぁっ!?」
ポポロ村の巡回に同行していた見習い女神リリスが、初心者マークの刺繍入りピンクジャージの裾を掴んで、カエルが潰れたような悲鳴を上げた。
ドカァッ!!
「誰がおばさんよぉぉぉっ!!」
目にも留まらぬ速さで、ルチアナの健康サンダルを履いた右足がリリスの顔面にクリーンヒットした。
「ぶべらっ!?」
リリスが綺麗な放物線を描いて畑のキャベツ畑へと突き刺さる。
「言っておくけどねぇ、私は永遠の17歳! 現役バリバリの女子高生神格なの! 次に『オバ』って口から出したら、アンタの今月の手取り18万からさらに住民税を追徴課税してやるからね!」
ルチアナは咥えていたタバコを携帯灰皿に雑に押し込み、ふぅーっと紫煙を吐き出した。
この世界の創造主であり、天界組織GODの第3種惑星創造神格公務員――女神ルチアナ。
そのあまりに自堕落で俗物的な佇まいに、レオン様は眉根を寄せ、冷徹な目で一歩前に出て私を背中に庇った。
「……何者だ。神気を感じるが、我が帝国の至宝に無礼を働くならば、公爵家の名において即座に排除するが」
「あーあー、怖い怖い。ルナミスの若き天才公爵サマね? 私の創った世界のくせに、ずいぶんと生意気な口を利くじゃないの」
ルチアナは面倒くさそうに手をヒラヒラと振ると、私の顔をじっと値踏みするように見つめてきた。
「あの〜……ルチアナ様? 一体、こんな辺境の村に何をしに来られたんですか?」
私が尋ねると、ルチアナは待ってましたとばかりに、だらしなく腰に手を当てて胸を張った。
「何をしに来たかって? 決まってるじゃない! 視察よ、し・さ・つ! ……あんた、帝都で大司教をブチのめして、魔導学園の賢者をコールセンター送りにした挙句、このポポロ村にも最新の医療やスパのインフラを広げて、めちゃくちゃ村を潤わせてるんですってねぇ?」
「ええ、おかげさまで。村の皆さんも健康になって、経済も順調に回っていますけれど……」
「そう! それよ!」
ルチアナはズイッと顔を近づけてきた。酒臭い息が微かに漂う。
「つまりね? あんたがそうやってチヤホヤされて、美味しい思いをして、ポポロ村が潤っているその大元の原因は……誰のおかげかしら?」
「はぁ……?」
「私が! あんたが過労死した時に、哀れに思ってリリスのお下がりスマホ(ユニークスキル)を横流ししてやったからでしょうがぁぁっ!! つまり、あんたの成功は私の手柄! ポポロ村の富は、私の富も同然なのよ!」
堂々たる寄生虫宣言。
天界の創造神とは思えない、絵に描いたようなクズの論理である。
ルナミスの平民ナースとして、前世で数々の「生活指導が必要なアル中・不摂生患者」を見てきた私のトリアージ眼が、ピピピッと警戒アラートを鳴らし始めた。
「はー、帝都からここまでレンタカー転がして来たら、喉がカラカラになっちゃったわ〜。喉が渇いたわねぇ。……ねぇ、コハルちゃん? 私も、ちゃ〜んと『潤い』たいわねぇ?」
ルチアナは指先でチャリンチャリンとお金を数えるジェスチャーをしながら、ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべてみせた。
要するに。
「私のおかげで儲かったんだから、タダで最高級の飯を食わせろ、酒を飲ませろ、金を寄越せ」と、タカリに来たのだ。
「……分かりました」
私は極上の、一切の感情を排した【完全無欠のナース・スマイル】を浮かべた。
「(つまり、タダで飲み食いさせろと……。そうは行きませんわよ、この駄女神)」
前世のブラック病棟で、理不尽に手柄を横取りしていったお局師長や、横柄な態度で仕事を押し付けてきた医師たちの顔が脳裏をよぎる。
他人の善意と労働にタダ乗りしようとする手合いには、徹底的な『現実』を叩き込むのが私の流儀だ。
「ちょうどお昼時ですし、村の皆さんも利用している素晴らしいお食事処へご案内いたしますね。……お腹いっぱい、満足していただけると思いますよ」
「あら! 話が早くて助かるわぁ〜! さすが私の選んだ転生者ね! キャビアとかフォアグラとか、高い肉と酒をバンバン頼みなさいよね!」
ルチアナはホクホク顔で自分のレンタカーへと戻っていった。
その後ろ姿を見送りながら、レオン様が私の耳元にそっと囁く。
「……コハル。あの不届き者、私の影の部隊を使って、車ごと谷底へ転落させてやろうか?」
「いえいえ、レオン様。物理的な暴力はいりません。……神様には神様に相応しい『因果の現場』を味わっていただきましょう」
マシロがふかし芋をもぐもぐしながら、「コハルのあの笑顔が出た時は、相手の人生が終わる合図やで……」とガタガタ震えていた。
こうして、ポポロ村の穏やかな空気に、天界一のトラブルメーカーが投下された。
自堕落な駄女神を待ち受ける、涙と汗と労働の更生プログラムが、静かにその幕を開けたのである。
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