EP 6
レビューの力(集合知)と、賢者の焦り
「――ええい、どうなっているのだ! なぜ民衆のパニックが拡大せんのだ!? なぜあの不浄な平民の施設が、暴徒化した信徒どもによって焼き払われておらんのだ!!」
帝国魔導学園の最上階。
豪奢な天球儀と膨大な魔導書に囲まれた『最高賢者の執務室』で、ギデオンは片眼鏡を指先で激しく歪ませながら、怒声を張り上げていた。
彼の眼前には、学園が何百年にもわたって独占してきた、帝都全域を監視するための巨大な魔導水晶が浮かんでいる。
普段であれば、学園が「大魔導通信」で警告を発すれば、無知蒙昧な平民どもは恐怖に震え上がり、学園の門前に群がって「お救いください賢者様!」と涙を流してひれ伏すはずだった。
しかし、水晶玉の表面に映し出されていたのは、彼が思い描いていた「恐怖に怯える平民の群れ」ではなかった。
「報告いたします、ギデオン閣下……! そ、それが……帝都の平民街において、謎の薄型魔導端末……『ルナ・スマホ』なる怪しげな板が、爆発的な速度で普及しておりまして……!」
青ざめた下級研究員が、怯えながら手元の羊皮紙を差し出した。
「ルナ・スマホだと? あの平民の小娘が配ったという、ただの玩具か! あんな下賤な板切れで、我ら最高賢者が発信した至高の学術情報(真実)が覆るはずがなかろうが!」
「それが……覆っているのです! 平民どもがその端末を使い、互いに『情報のやり取り』を行っておりまして……! 我々の警告が、リアルタイムで……その、徹底的に検証されてしまっているのです!」
「な、何だと……っ!?」
ギデオンは研究員の手から無理やりルナ・スマホを奪い取った。
下等な平民向けに作られたはずの安価な端末。しかし、画面に触れた瞬間、ギデオンの魔力を認識して滑らかに起動し、帝国全土の民が書き込んでいる巨大な情報共有プラットフォーム『ルナ・タイムライン』が画面いっぱいに展開された。
そこに並んでいたのは、学園の権威を木っ端微塵に粉砕する、何十万もの平民たちによる**『生の声(リアルな口コミ)』**だった。
【ルナ・タイムライン:トレンド1位 #ルナ・スパ行ってみた】
帝都の鍛冶屋のおっちゃん(@iron_dan)
「学園の賢者が『赤死病のウイルスが出る』とか抜かしてたからビビってたけど、昨日サウナと水風呂で3往復キメてきたら、十年来の腰痛が完全に消し飛んだぞ! 肌もツルツルで草。賢者様、サウナ入ったことないだろwww」【画像:ピカピカの二の腕とオロポのジョッキ】
下層区のパン屋の看板娘(@bread_mira)
「オロポ飲むと脳が萎縮して奴隷になるってデマ流したの誰!? さっき飲んだけど、ただのビタミン炭酸飲料とめっちゃ美味しいスポーツドリンクが混ざった最高に爽やかな飲み物だったんだけど! むしろ頭がシャキッとして今日の仕込みがマッハで終わったわ! ★★★★★(星5つ)」
元・聖神殿信徒の主婦(@clean_maria)
「ルナ・スパの無料検診で血液検査してもらったデータを添付しますね! 1週間通っただけで悪玉コレステロールが基準値まで下がってました! 数値は嘘をつきません! 賢者様のデマに騙されて行くのやめようとしてた過去の自分を殴りたい!」【画像:血液検査結果のグラフ】
冒険者ギルドの若手(@sword_boy)
「賢者様、安全な塔の上から偉そうに適当な嘘つくのやめてもらっていいっすか? 現場の俺たち、普通にルナ・スパで飯食って毎日元気にダンジョン潜ってますけどwww」
「ば……っ、馬鹿なっ!? なんだこれはぁぁっ!!」
ギデオンは画面をスクロールする指をガタガタと震わせ、泡を吹かんばかりに目を剥いた。
星5つの絶賛レビュー。
実際に施設を利用した者たちの、笑顔の写真と詳細な体験談。
そして、コハルが指導した通り、自らの身体の変化を客観的な『数値』で証明する平民たちのエビデンス付きの投稿。
誰か一人が嘘のデマを流しても、現場にいる何千、何万という生きた人間が「そんな事実はない」「実際に体験したら最高だった」とリアルタイムで証拠を突きつける。
かつてエリートたちだけが独占していた『情報の発信権』が、すべての平民の掌に渡ったことで、学園が何百年もかけて築き上げてきた「権威による恐怖支配」は、ただの『ネット上の恥ずかしいデマ』として一瞬で論破され、嘲笑の対象へと成り下がっていたのだ。
「う、嘘だ……! 平民どもは、我々が与えた情報を疑いもせず飲み込む、ただの無知な家畜のはずだ! なぜ奴らが、自分たちで真偽を確かめ合っているのだ!? なぜ奴らが、我々よりも正確な現実を持っているのだぁぁぁっ!!」
ギデオンのプライドはズタズタに引き裂かれ、床に落ちた片眼鏡が無残な音を立てて砕け散った。
――一方、その頃。
帝都下層区の『ルナ・スパ帝都本店』。
「いらっしゃいませー! ただいま大浴場、サウナ共に待ち時間なしでご案内中でーす!」
エントランスは、数日前の一時的な閑散が嘘のように、以前を遥かに凌駕する超満員の平民たちで埋め尽くされていた。
「コハル様ー! スマホのレビュー見て来ました! 赤死病のデマなんて誰も信じてませんよ!」
「オロポのメガジョッキ、3つテイクアウトで頼むぜ!」
「コハル様、いつも正確な健康情報をありがとうございます!」
客たちの温かい声と笑顔が、広々としたロビーに満ち溢れている。
一度はデマに惑わされた平民たちだったが、スマホを通じて互いに真実を確かめ合ったことで、ルナ・スパに対する信頼と愛着は、以前よりも何倍も強固なものへと進化していた。
「ギャハハ! 見たかコハル! ワテの『激辛麻婆豆腐レビュー』のリポスト数が五万件超えたで! 『マシロちゃんが美味そうに食ってるから安全確定』やて! ワテの食欲が帝都を救ったと言っても過言ではないな!」
マシロがフロントのカウンターの上で、モフモフの胸を張ってふんぞり返っている。
「♪真実は〜いつだって〜、みんなの笑顔の〜中にある〜! わたくしのライブ配信も、同接十万人を突破いたしましたわ〜!」
リーザがマイクを片手に、湯上がりの客たちに向けてウインクを飛ばす。
「……あー、姉御。俺の『ガチャ大爆死・発狂動画』に、なんか投げ銭(善行ポイント)が死ぬほど集まって……失った給料の三倍くらい儲かっちゃったんすけど……。これ、もう一回ガチャ回していいっすか?」
「回したら即座に全額没収して、明日のサウナの薪代にするわよ」
私が冷たく即答すると、フェイトは「ひぃっ、すいませんっ!」と直立不動になった。
「……ふふっ」
私はカウンターの端末で、帝都中のタイムラインを穏やかな気持ちで見つめた。
前世の限界ブラック病棟時代。
医療デマや悪質なフェイクニュースがどれほど猛威を振るおうとも、最終的にそれに打ち勝つのは、現場の医師やナースたちが地道に積み上げた『正しいデータ』と、何よりも『患者さん自身の回復の実感』だった。
情報の非対称性(格差)さえ解消されれば、民衆は決して愚かではない。
自分たちの身体で感じた心地よさと、仲間たちの確かな言葉を信じる力を持っている。
神の加護や学歴エリートの嘘など、この地に足のついた『現場の集合知』の前には、路傍の小石にすらなれなかったのだ。
「――実に見事な光景だな、私の至宝」
背後から、ふわりと香る極上のダージリンと白檀の匂い。
振り返るよりも早く、漆黒の軍服を着こなしたレオン様が、私の腰に力強く、けれどどこまでも優しい腕を回し、私をその胸の中へとすっぽりと抱き寄せた。
「レオン様。見てください、デマは完全に沈静化しましたよ」
「ああ、見ているとも。だが、私が感嘆しているのはネットの動向などではない。……武力や権力による弾圧を一切使わず、民衆自身の手で『真実』を勝ち取らせた、君のその気高く、そして完璧な知略に対してだ」
レオン様は私の耳元に唇を寄せ、大勢の客やスタッフが見守る前だというのに、一切の遠慮なく、甘く蕩けるような声で囁いた。
「君という存在は、どこまでこの私を魅了すれば気が済むのだ。……世界をその手で救い、民を導きながら、私に抱きしめられると途端に愛らしく頬を染める。……この帝国の全臣民の前で、今すぐ君を私のものだと宣言してしまいたい衝動を抑えるのが、どれほど苦痛か分かるか?」
「れ、レオン様っ……! またそうやって、人前で大げさなことを……っ!」
私が顔を真っ赤にして胸板を押し返そうとすると、レオン様の特注スマホからピロリンと小気味良いアラートが鳴った。
【リアルタイム心拍数:142 bpm】
【診断:極度の胸キュンによる自律神経の蕩熱状態。公爵のフェロモン摂取過多】
「ほら見ろ。君のバイタルは、嘘をつけない。……愛おしくて堪らないよ、コハル」
レオン様は満足そうに微笑み、私の額に、そして人前であることを見せつけるかのように私の鼻先に、深く甘いキスを落とした。
恋愛ラダー第9段から、最終到達点である第10段へのカウントダウン。
彼が全帝国民に向けて仕掛けようとしている『公開プロポーズ』の舞台は、この通信網の完成によって、すでに完璧に整えられつつあった。
――しかし。
その頃、帝国魔導学園の最上階では。
「おのれ……おのれぇぇぇっ! 平民のモブ女がぁぁっ!!」
自らが放ったデマを平民たちの集合知によって木っ端微塵に論破され、社会的信用を完全に失った最高賢者ギデオンは、血走った目で狂乱していた。
そんな彼の前に、突如として黒い炎が渦巻き、虚空から炎上神ワイズの禍々しい声が響き渡った。
『――ククク、無様な負け犬め、ギデオン。貴様の浅知恵など、あの平民ナースのインフラの前には児戯にも等しいわ』
「ワ、ワイズ様……っ! お救いください! このままでは、私の最高賢者としての地位が……っ!」
『ならば、最後の手段(実力行使)だ。……この魔導符を使え。ルナ・スパの地下水脈に、我が神域の凶暴な魔物を直接転送してやる。……「やはりあの施設は魔物の巣窟だった」と、貴様自らの手で“現実の事件”を作り出せばよいのだ』
黒い炎の中から、禍々しい紫色の魔導符がギデオンの手に落ちてきた。
「じ、自作自演のテロ……! そ、そうだ、実際に魔物が平民を喰い殺せば、あんなレビューなど一瞬で吹き飛ぶ……! 待っていろよ平民ども、そしてコハル・ルナミス! 我が叡智の真の恐ろしさを、その身に刻んでくれるわぁぁっ!!」
ギデオンは狂気に歪んだ笑みを浮かべ、夜の闇の中へと駆け出していった。
しかし、彼がこれから踏み込むのは、コハル陣営が張り巡らせた『完全なドローン監視網と生中継(ライブ配信)』という、さらなる地獄のトラップであることに、傲慢な賢者はまだ気づいていなかったのである。




