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EP 5

公爵のデジタル過保護と、夜の絶対防壁

帝都の夜は更けていくが、ルナ・スパの最上階に位置する管制兼VIPラウンジの魔導モニター群は、休むことなく淡い燐光を放ち続けていた。

「……帝都下層区、第一区画から第十区画までのルナ・スマホ稼働率、九十二パーセント。サーバーのトラフィック負荷も正常値ね。カグヤ様からの神力回線のおかげで、回線落ちは一瞬も起きていないわ」

私は手元の管理者用タブレットを操作しながら、満足のいくデータに小さく頷いた。

平民たちに格安で配布したルナ・スマホは、爆発的な勢いで帝都中に浸透していた。

文字の読み書きが苦手な者でも直感的に扱える音声入力システム、タローソンの特売情報、そしてルナ・スパの混雑状況がリアルタイムで分かる便利機能。それらが口コミで広がり、今や帝都の平民街を歩けば、誰もが手のひらのガラス板を嬉しそうにタップしている姿を目にするほどだ。

「コハル〜! 見てこれ! ワテの『激辛麻婆豆腐一気食い配信』、同時接続者数が二万人超えたで! コメントが早すぎて読まれへんわ!」

大広間のふかふかクッションに寝そべったマシロが、画面を肉球で連打しながら歓声を上げている。

「♪わたくしの〜新曲の〜、ショート動画も〜、再生回数が十万回を突破いたしましたわ〜! 帝都のファンの皆様から、たくさんのハートのスタンプが届いておりますの!」

リーザもまた、自分のステージ動画に寄せられた温かいコメントの数々に、瞳を輝かせていた。

「……姉御、俺のガチャ爆死動画の切り抜きが、帝都中でミーム(面白画像)として拡散されてるんすけど……。街を歩くだけで『あ、スライムの粘液の人だ!』って平民のガキに指差されるんすよ……。俺の剣鬼としての威厳はどこへ行ったんすか……」

「威厳も何も、最初からパチンコ狂いのダメ男だったじゃない。でも、あなたのおかげで『ソシャゲの課金は計画的に』っていう注意喚起の啓発動画が大バズりしてるわよ。立派な社会貢献じゃない」

「社会貢献の形が惨めすぎるっす……!」

頭を抱えるフェイトを笑い飛ばしながら、私はふうっと息を吐いた。

仲間たちが思い思いにネット空間を楽しみ、平民たちと笑顔を共有している。

かつて学園の最高賢者ギデオンが「無知な獣」と蔑んだ平民たちは、高度な道具を与えられるや否や、あっという間に自分たちのコミュニティを形成し、互いに支え合い、情報を吟味し始めていた。

情報の独占による支配など、この圧倒的な『民衆の知恵(集合知)』の前には、ただの時代遅れな妄言に過ぎないのだ。

「――実に微笑ましい光景だな。だが、君のバイタルサインを見る限り、交感神経が優位になりすぎている。これ以上の夜間業務は、我が公爵家の絶対権限をもって禁止しよう」

ふわりと。

深夜のラウンジに漂う、最高級のベルガモットと白檀の極上の香り。

振り返る間もなく、私の背後からたくましい腕が伸び、私の身体ごと抱きしめるようにして、手元の管理者用タブレットがスルリと奪い去られた。

「レ、レオン様……」

振り返ると、そこには漆黒のシルクガウンを優雅に羽織ったレオン様が、漆黒の瞳を妖しく細めて立っていた。

湯上がりの濡れた黒髪がわずかに額にかかり、そこから覗く端正な顔立ちには、昼間の威厳ある軍司令官の顔ではなく、私だけをどこまでも甘やかし、独占しようとする『一人の男』の熱が宿っている。

「レオン様、まだサーバーのログ監視が……」

「ログの監視など、我が影の部隊の魔導技術班に任せておけばよい。……それよりも、コハル。君に渡した特注端末の動作確認がまだ済んでいなかったな」

レオン様は私をソファへと座らせると、自分もその隣に腰を下ろし、ごく自然な動作で私の腰に腕を回して引き寄せた。

そして、彼が胸元から取り出したのは、漆黒の魔導金属でフレームが補強された、特注仕様のルナ・スマホだった。

「動作確認って……レオン様の端末、私が事前に【善行ポイント通販】の最高権限で設定しておきましたよね? 何か不具合でもありましたか?」

「ああ、大いに不具合がある。……不届きな通知が、あまりにも多すぎる」

レオン様が画面をタップし、私に向けて見せてきた画面。

それを見た瞬間、私は思わず目を点にしてしまった。

「……レオン様。この真っ赤な警告画面は、一体何ですか?」

画面には、禍々しいドクロのマークと共に、大量のログが記録されていた。

【遮断ログ:帝都中央商店街・八百屋の青年からの「コハル様、いつも美味しい野菜をありがとう!」という感謝メッセージを『求愛の疑いあり』と判定し、自動消去しました】

【遮断ログ:冒険者ギルド職員からの「明日のデリバリー便のスケジュール確認」を『夜間における不当な接触』と判定し、送信者の端末を一時的に通信制限(速度低下)に処しました】

【遮断ログ:フェイトからの「姉御、明日のまかない何っすか?」を『馴れ馴れしい雑音』と判定し、フェイトの端末のガチャ確率を裏で0.001%低下させました】

「ち、ちょっと待ってください!!」

私は思わず立ち上がりそうになり、レオン様の腕に阻まれて押し戻された。

「八百屋のお兄さんはただのお礼ですし、ギルドの連絡は立派な業務連絡です! それにフェイトのガチャ確率を弄るのはただの私怨じゃないですか!」

「私怨ではない。正当防衛だ」

レオン様は微塵も悪びれることなく、極上の微笑みを浮かべたまま、私の顎を細い指先でそっと持ち上げた。

「君という太陽は、あまりにも無防備に世界を照らしすぎる。平民たちを救い、インフラを整え、誰もが君に感謝と憧れを抱くのは誇らしいことだが……君の貴重な時間と意識を、私以外の有象無象に割かれるのは、私の魂が断じて許さないのだよ」

レオン様の長い指先が、私の首筋から鎖骨へと、羽毛のように優しく、けれど抗えない力で滑り落ちていく。

「だからこそ、この通信網の基幹サーバーには、私の魔力による『絶対防壁(レオン・ファイアウォール)』を組み込ませてもらった。君宛てのすべての通信は私の端末を経由し、私の厳しい検閲を通過したものだけが君の手元に届く。……完璧なセキュリティだろう?」

「セキュリティじゃなくて、ただの完全な囲い込み(独占欲)です……っ!」

私が顔を真っ赤にして抗議すると、レオン様の端末から、ピロリンと小気味良い電子音が鳴り響いた。

【リアルタイム心拍数:135 bpm】

【血圧:軽度上昇】

【診断:極度の照れ隠し、および公爵のフェロモンによる自律神経の蕩熱(とうねつ)状態】

「ほら見ろ。君のバイタルサインは、私の指先一つでこれほど甘く乱れる。……この通信網は、実に素晴らしいな。離れていても、君の心臓の鼓動がリアルタイムで私の手のひらに伝わってくる」

レオン様は満足げに目を細め、私の額に、そして熱を持った頬に、吸い付くような深いキスを落とした。

前世の過労死のトラウマを共有し、私の命(バイタル)を生涯守り抜くと誓ってくれたレオン様。

彼の過保護と愛は、テクノロジーという現代の武器を手に入れたことで、もはや帝国の法律すら超越する次元へと進化していた。

「……本当に、レオン様には敵いませんね」

私は観念して力を抜き、レオン様の広い胸板にそっと頭を預けた。

トクン、トクン、と。

レオン様の力強い心臓の鼓動が、私の耳に心地よく響く。

前世の私なら、「こんな風に誰かにすべてを管理されるなんて息が詰まる」と思ったかもしれない。

けれど、今の私にはわかる。

この重すぎるほどの愛と防壁は、かつて冷たい床の上で孤独に心臓を止めた私を、二度とあの暗闇へ落とさないための、彼なりの最も真摯で、必死な『命綱』なのだと。

「コハル」

レオン様が、私の髪に指を絡めながら、低く、甘く、けれどこれまでにないほど厳粛な声で囁いた。

「このルナ・ネットが帝都を越え、帝国全土の隅々にまで行き渡った時……私は、この通信網のすべての画面をジャックする」

「……え?」

私が顔を上げると、レオン様の漆黒の瞳には、一切の迷いのない、絶対的な決意の光が宿っていた。

「学園の賢者どもが仕掛けてきた情報戦など、君の集合知によって数日のうちに瓦解するだろう。……その後だ。帝国中の民が、手のひらの画面を見つめているその瞬間。私は、全帝国民、そして天界の神々に向けて、君を我がルナミス公爵家の『唯一無二の正妻』として迎え入れることを、正式に宣言する」

「――――ッ!?」

私の息が止まった。

全帝国民の前での、公開プロポーズ。

逃げ道も、言い訳も、他者の介入も一切許さない、帝国最高位の公爵による『完全なる囲い込み宣言』。

「嫌だとは言わせないぞ。君が創り上げたこの世界(インフラ)のすべてを、私は君と共に統治し、君をこの腕の中で永遠に溺愛し続けるのだからな」

レオン様の熱い唇が、私の唇を塞いだ。

それは、言葉による約束を遥かに超えた、魂の契約のような、深くて甘い口づけだった。

窓の外では、ルナ・スマホの光が帝都の夜を無数に照らし出していた。

平民たちが真実の光を手に入れ、エリートたちのフェイクニュースを笑い飛ばし始める一方で。

平民ナースの『絶対有給休暇』は、いよいよ帝国の頂点へと君臨する、究極の愛の誓いへと向かって加速していた。

そして――。

その通信網の片隅では、自らが流したデマが平民たちの手によって次々と論破され、青ざめながら爪を噛む最高賢者ギデオンの、破滅へのカウントダウンが確実に始まっていたのである。

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