EP 3
公爵の激怒と、コハルの提案
「――神の威光を騙り、私の最も尊い存在を魔女呼ばわりした罪。お前のその薄汚い魂ごと、概念の彼方へ消し去ってやろう」
ルナ・スパのエントランスを支配した、絶対的な『死』のプレッシャー。
レオン様が漆黒の瞳を極細く眇め、右手をゆっくりと持ち上げた瞬間、空間そのものが悲鳴を上げて歪んだ。
「ひぃぃぃっ……!!」
完全武装していたはずの異端審問官たちは、もはや剣を握ることすらできず、白目を剥いて次々と泡を吹き、大理石の床に倒れ伏していく。
残された大司教ボルドーも、その莫大な脂肪に包まれた巨体をガタガタと震わせ、無様に腰を抜かしていた。
「お、お待ちくだされルナミス公爵……ッ! わ、私は国教の最高権威……! 私を殺せば、帝国の平民たちが黙ってはおりませぬぞ……ッ!」
「平民がどうした。私の至宝を不快にさせた時点で、お前の存在価値はこの宇宙においてゼロ未満だ。……消えろ」
レオン様の冷酷な指先が鳴らされそうになった、まさにその時。
「待ってください、レオン様」
私は、ごく自然な動作で一歩前に踏み出し、レオン様の高く振り上げられた右手を、両手でそっと包み込んだ。
「……コハル?」
「こんな埃っぽいおじさんのために、レオン様の美しい手を汚す必要はありませんよ。それに……ここで彼を力で消し飛ばしてしまえば、彼の思惑通りになってしまいますから」
私がレオン様の指先に自分の体温を移すように優しく握りしめると、エントランスを支配していた破壊的な殺気は、まるで春の陽射しに溶ける雪のように、ふわりと消え去った。
レオン様は憑き物が落ちたように表情を和らげ、私を見つめ返す。
「思惑通り、とは?」
「ええ。彼のような『権威主義者』を暴力でねじ伏せれば、狂信的な信者たちは彼を『異端に立ち向かい、命を落とした偉大な殉教者』として神格化してしまうわ。……そうなれば、非科学的な祈りと搾取のシステムは、より強固なものになって帝都に根付いてしまう」
私は、限界ブラック病棟で『カルト的な民間療法』にハマった患者家族を説得した経験を思い出していた。
彼らの信仰を頭ごなしに否定したり、力で引き剥がそうとすればするほど、彼らは「自分たちは迫害されている」と結束し、さらに深く洗脳に依存してしまうのだ。
洗脳を解くための、唯一にして絶対の処方箋。
それは、彼らが信じている『奇跡』が、いかにハリボテであるかを、誰の目にも明らかな『客観的数値』として突きつけることである。
「彼は、『病気は神への祈りで治る』『自分の身体は神の加護で完璧だ』と豪語しました。……なら、その『完璧な身体』がいかにボロボロか、科学の力で白日の下に晒してあげましょう。権威という名のメッキを、根本から剥がすためにね」
私がナースとしての極めて冷徹な笑みを浮かべると、レオン様はふっと口角を上げ、私の手の甲に深く甘いキスを落とした。
「……なるほど。相変わらず、私の至宝は軍略の天才すらも凌駕する恐ろしい手腕を持っているな。……いいだろう。君の望む通り、この豚の処遇は君に一任しよう」
「ありがとうございます、レオン様」
私は、レオン様の絶対的な庇護を背に受けながら、床にへたり込んでいる大司教ボルドーを見下ろした。
「さて、大司教様。あなたが神の奇跡によって『完璧な健康体』であるというなら……それを、私の施設にある機械で『証明』してみませんか?」
「し、証明……だと?」
ボルドーが、脂汗を拭いながら胡乱な目を向ける。
「ええ。名付けて、『公開・最新人間ドック(総合健康診断)』よ」
私は、プレオープンに集まっていた平民の客たちにも聞こえるように、はっきりと声を張り上げた。
「このルナ・スパには、魔導具と現代の叡智を掛け合わせた『最新の医療測定器』が完備されています。あなたの身体の隅々まで、血液の一滴、内臓の動き一つまで、全てを『数値と画像』にして可視化することができるの」
「数値を……可視化……?」
「もし、あなたの検査結果が『完全な健康体』であり、何の異常も見つからなかった場合。私は自分が間違っていたと認め、この施設を即刻閉鎖しましょう」
私の言葉に、スタッフのアンナや客たちが「ええっ!?」とどよめいた。
だが、私は構わず言葉を続ける。
「でも、もしあなたの身体に『病気』や『不摂生による異常』が見つかった場合。……それは、あなたが売っている『聖水』が全く効いていないという証明になる。あなたは二度と、平民から信仰を理由に金銭を巻き上げないと誓っていただきます。どう?」
ボルドーは、ぎろりと私を睨みつけた。
彼の脳内で、猛烈な計算が働いているのが手に取るようにわかる。
(……この小娘、知ったふうな口を叩きおって。だが、これは好機だ)
おそらく彼は、そう考えているはずだ。
ボルドー自身、自分の足が痛風であり、身体が重いことは自覚している。
しかし彼は、自分の持っている『奇跡の聖水(という名の強力な痛み止め麻薬)』を直前にがぶ飲みすれば、どんな機械の検査だろうとごまかし通せると、本気で思い込んでいるのだ。
非科学的な人間ほど、「一時的に症状を抑えれば、病気は消えたのと同じだ」と勘違いする。
それに、ここで逃げ出せば、信徒たちや平民の前で「神の加護に自信がないのか」と疑われ、権威が失墜してしまう。彼に逃げ道はなかった。
「……ふんっ。よかろう! その小生意気な提案、受けて立つ!」
ボルドーは、震える足でどうにか立ち上がり、金の杖を突き立てた。
「私の身体は炎上神ワイズ様の加護に守られし、絶対不可侵の神殿! 異端の機械などで、この身体に傷一つ見つけられるはずもない! 私が健康であることを証明し、貴様らの不浄な施設をぶち壊してやるわ!!」
「言質は取りましたよ。帝都の皆さんも、証人です」
私はニッコリと、最高に営業用のスマイル(裏には絶対零度のトリアージ眼)を浮かべた。
「とはいえ、見たこともない機械に入れられるのは怖いでしょう? ですから、まずは私の仲間たちが『デモンストレーション』として、先に健康診断のフルコースを受診して安全性を証明しますわ。……大司教様の検査は、明日。帝都の広場に特設モニターを設置して、『完全公開』で行いましょう」
「ふんっ! 勝手にするがいい! 明日、貴様らが絶望して泣き喚く姿を見るのが楽しみだわ!」
ボルドーは負け惜しみのように吐き捨てると、気絶した異端審問官たちを見捨てて、逃げるようにルナ・スパから立ち去っていった。
「あーあ。行っちゃいましたわね、あのおデブさん」
リーザがマイクを下ろし、肩をすくめる。
「コハル、ええんか? あんな豚の相手まともにしたって。ワテが後ろから飛び蹴り食らわした方が早かったで?」
マシロがフルーツ牛乳の空き瓶をゴミ箱に放り投げながら首を傾げた。
「いいのよ、マシロちゃん。ああいう『自分の健康を過信している不摂生な権威主義者』には、物理的なダメージよりも、自分の内臓の脂肪や数値を大衆の前に晒される方が、何百倍も精神的ダメージになるんだから」
私はエプロンのポケットのスマホをポンポンと叩いた。
「さあみんな! 明日の『公開処刑(人間ドック)』に向けて、まずはあなたたちで機械のデモンストレーションを行うわよ! 採血、バリウム検査、胃カメラ、CTスキャン! 逃げ出したら夕飯抜きだからね!」
「げえっ!? い、胃カメラ!? な、なんか嫌な響きっすね……俺、パスしていいっすか!?」
これまで数々の修羅場を潜り抜けてきた白銀の剣鬼フェイトが、名前の響きだけで顔面を蒼白にして後ずさる。
「駄目に決まってるでしょ。ロジスティクスの労働で乱れたあなたの自律神経、きっちり数値化してあげるわ」
私が笑顔でフェイトの首根っこを掴むと、レオン様が楽しそうに喉の奥で笑い声を立てた。
「……君が指揮を執る『医療』という戦場は、見ていて本当に飽きないな。さあ、存分にやるがいい、私の至宝」
平民ナースの最新医療と、古き悪しき宗教権威の真っ向勝負。
言い逃れの一切できない、絶対的な『数値化によるざまぁ』の準備が、着々と整えられていくのだった。
読んでいただきありがとうございます。
面白いと思っていただけましたら、★評価やブックマークで応援していただけると励みになります。




