EP 2
非科学的な祈りと、ナースのトリアージ
「ええ、恐れおののいていますよ。……あなたのその、あまりにも非科学的で、平民の命を舐め腐った『悪質な詐欺商法』にね」
ルナ・スパのエントランス。
私の静かな、しかし氷のように冷たい宣告が響き渡ると、大司教ボルドーは信じられないものを見るように目を丸くし、次いでその脂肪に埋もれた顔を怒りで真っ赤に染め上げた。
「き、貴様ぁぁっ! 今なんと申した! 炎上神ワイズ様より賜りしこの『奇跡の聖水』を、詐欺だと!? 神への冒涜だ! 即刻、この小娘を捕らえて火刑に処せ!!」
「待ちなさい。感情論で喚く前に、科学的根拠の話をしましょうか」
私は一歩も引かず、武装した異端審問官たちを冷たい視線で制止した。
そして、大理石の床に響く足音を立ててボルドーに近づき、彼が手から滑り落としそうになった小瓶を指差した。
「その『聖水』とやら。中身はただの砂糖水に、微量の『麻痺草の抽出液』を混ぜただけの代物ね。……成分分析で完全に数値化されているわ」
「なっ……!? な、何を根拠にデタラメを……ッ!」
ボルドーが狼狽して口ごもる。図星を突かれた人間の、典型的な反応だ。
「デタラメじゃないわ。この世界には、確かに魔法の力で傷を塞ぐポーションがある。でも、あなたが法外な値段で平民に売りつけているその聖水には、治癒の魔力なんて一ミリも含まれていない」
私は、限界ブラック病棟で『痛み止め(ロキソニン)だけ飲んでいれば病気が治る』と勘違いして重症化してしまった患者たちを思い出し、ギリッと奥歯を噛み締めた。
「麻痺草の成分は、一時的に患者の『痛覚』を麻痺させるだけ。つまり、病気や怪我が治ったわけではなく、ただ『痛みをごまかしている(マスキングしている)』に過ぎないのよ。……痛みが消えたから治ったと勘違いさせて、病気が末期になるまで放置させる。これのどこが奇跡なの? ただの緩やかな殺人じゃない!」
「黙れ黙れ黙れぇぇっ!!」
ボルドーは金の杖を振り回し、顔に青筋を立てて怒鳴り散らした。
「痛みが消えることこそが、神の御業であろうが! 平民どもは無知で愚かだ! 奴らはただ、我々聖神殿に金を払い、祈りを捧げていればいいのだ! 治らぬ者がいるとすれば、それはそいつの『信仰心』が足りなかっただけの話! 神の奇跡にケチをつけるなど、絶対に許さんぞ!!」
その言葉を聞いた瞬間。
プレオープンに訪れていた平民の客たちの間で、ざわめきが広がった。
「……そ、そんな。俺の爺ちゃん、聖水を飲んで『痛みが消えた』って喜んでたのに、その一週間後に急に倒れて亡くなったんだ……。あれは、信仰心が足りなかったんじゃなくて……」
「私のお母さんも……全財産を寄付して聖水を買ったのに……っ」
客たちの顔に、これまで刷り込まれていた『権威』への盲信から、明確な『疑念と怒り』が浮かび始める。
「おい、異端審問官! 何をしている、さっさとその魔女を黙らせろ! この施設にある不浄な機械や風呂も、全て叩き壊して更地にするのだ!!」
焦りを覚えたボルドーが、力ずくで隠蔽を図ろうと命令を下した。
純白の鎧を着た大男たちが、剣やメイスを抜いて私やスタッフたちに迫ってくる。
しかし。
そんな物騒な状況になっても、私の仲間たちは微塵も動揺していなかった。
「……ふわぁぁぁ。なんや、えらい騒がしいな。せっかく岩盤浴でととのってたのに、泥靴で上がってくるとか非常識にも程があるで」
マシロが、フルーツ牛乳の空き瓶を片手に、面倒くさそうに首をポキポキと鳴らしながら立ち上がった。
「あー、姉御。こいつら、ぶった斬ってもいいっすか? ちょうどサウナで汗かいて、水風呂の代わりに血の雨浴びたい気分だったんすよ」
フェイトが、館内着の胸元をはだけさせ、背中の大剣をゆっくりと引き抜く。完全に目が据わっている。
「♪権威を〜笠に着る〜、おデブな〜おじさん〜。わたくしの〜ライブの〜邪魔をしないで〜!」
リーザはマイクをスピーカーに繋ぎ、大音量で大司教へのディスリ曲をゲリラ熱唱し始めた。
「ひぃっ!? な、なんだこいつらは!? まともな人間が一人もいないぞ!?」
大司教が後ずさりする。
「まともじゃないのはあなたの方よ、大司教様」
私は、ナースとしての『トリアージ(患者の初期評価)』の視点で、ボルドーの全身を冷徹に観察した。
豪華な法衣に包まれてはいるが、彼の呼吸は浅く、少し歩いただけで息を切らしている。
空調の効いた快適なエントランスにいるというのに、額からは脂汗が滲み出ている。
さらに、彼は無意識のうちに、右足の親指をかばうように体重を左足にかけて立っていた。
(……過度な暴飲暴食による、典型的なメタボリックシンドローム。それに、あの足の庇い方は間違いなく『痛風』の初期症状ね。……平民に偽薬を売りつけて稼いだ金で、自分は贅沢三昧をして体を壊しているわけだ)
「神の奇跡とやらを騙る前に、ご自分の体調を心配された方がよろしくてよ?」
私がクスッと笑うと、ボルドーは痛星を突かれたように肩をビクッと跳ねさせた。
「な、何を馬鹿なことを! 私の身体は、炎上神ワイズ様の加護によって完璧な健康体だ! お前のような平民女が口出しするなど……ッ」
「いいえ。あなたの身体は、エビデンス(数値)がなくてもわかるくらいボロボロよ。その右足の親指、夜になると風が吹くだけで激痛が走るんじゃない? それを、自分の持っている『聖水(痛み止め)』でごまかして、治ったと思い込んでいるだけでしょう?」
「な、なぜそれを……ッ!!」
ボルドーの顔から、一気に血の気が引いた。
宗教的な権威で武装していても、彼もまた一人の生物だ。大自然(身体)の理不尽な痛みと病魔の前には、神の奇跡など何の役にも立たないという真実を、実は彼自身が一番よく理解していたのだ。
「ええいっ! 殺せ! その小生意気な口を、今すぐ縫い付けてしまえぇぇっ!!」
図星を突かれて完全にパニックに陥ったボルドーが、裏返った声で絶叫した。
異端審問官たちが、殺意を剥き出しにして私に向かって一斉に飛びかかってくる。
だが、私は一歩も退かなかった。
マシロやフェイトの力を借りるまでもない。
私の背後には、この世界で最も恐ろしく、最も私を溺愛している『絶対的な武力と権力』が控えているのだから。
「――豚が。私の至宝に向かって、なんという口の利き方をしている」
ルナ・スパのエントランスが、一瞬にして氷点下へと凍りついた。
私の背後からゆっくりと前に出たレオン様から、異端審問官たちの殺気など児戯に等しいほどの、底知れず、重く、そして絶望的な『帝国公爵の覇気』が放たれた。
「ひっ……!?」
ただの館内着姿であるにも関わらず、レオン様の放つ圧倒的なプレッシャーの前に、武装した審問官たちは次々と膝から崩れ落ち、剣を床に取り落とした。
空気が軋み、大理石の床がミリミリと悲鳴を上げてひび割れていく。
「る、ルナミス公爵……!? ば、馬鹿な、なぜあなたがこのような平民の施設に……ッ!」
大司教ボルドーが、顔面を蒼白にしてへたり込んだ。
「ここが私の愛する妻(予定)の城だからだ。……神の威光を騙り、私の最も尊い存在を魔女呼ばわりした罪。お前のその薄汚い魂ごと、概念の彼方へ消し去ってやろう」
レオン様の漆黒の瞳が、一切の慈悲を持たない『死刑宣告』の光を宿した。
圧倒的な権威すらも物理で粉砕しようとする公爵様の怒りが、頂点に達しようとしていた。
読んでいただきありがとうございます。
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