EP 8
危険食材『土下座ダイコン』と因果の請求書
「……カスハラ撃退プロトコル、正常に完了。対象のバイタルサインは極度の低下を見せていますが、命に別状はありません。これで少しは頭が冷えたかしらね」
冒険者ギルドの中庭。魔導モニターに映し出された映像を見届け、私はふうっと息を吐いて背もたれに体を預けた。
画面の中では、全身ずぶ濡れになった黄金の勇者シリウスが、泥水の中でガタガタと震えながら蹲っている。
どれほど神の加護で攻撃力が高かろうと、腹が減れば力は出ないし、氷水を浴びれば凍える。それが生物としての、そして現場の絶対的なルールだ。
「見事だ、コハル」
私の背後から、レオン様が深い賞賛の声を落とし、私の髪を優しく撫でた。
「一切の刃を交えることなく、ただ『兵站』の差だけで、絶対的な力を持つはずの勇者を完全に無力化してしまった。……私の至宝は、軍略の天才すらも凌駕するな」
「軍略だなんて、そんな大層なものじゃありませんよ」
私は照れ隠しに笑い、レオン様の大きな手に自分の手を重ねた。
「私はただ、前世(病棟)で学んだことをやっているだけです。現場を支える裏方やインフラを『底辺』だと見下す人間に、組織の上に立つ資格はない。……彼自身の傲慢さが、彼を自滅へと追い込んでいるだけですから」
「ああ、その通りだ。君のその冷徹で合理的な視点……堪らなく愛おしいよ」
レオン様は私の耳たぶに軽く唇を寄せ、周囲の喧騒から私だけを完全に隔離するような、極上の甘い空気を漂わせた。
公の場である管制テントの中だというのに、彼の『私の隣は自分だけの特等席だ』という独占欲(ラダー8.5段目)は、微塵も揺らぐ気配がない。
「ギャハハ! アホやなあいつ、ドローンに喧嘩売って氷水ぶっかけられとるで!」
「自業自得っすね。あーあ、俺もあいつに水ぶっかけてやりてえ……」
マシロとフェイトが、モニターを指差して腹を抱えて笑っている。
「さて……これで彼も諦めて、大人しくギルドへ謝罪に戻ってくればいいんですけど」
私はモニターの隅で、微かに動き始めた赤い光点に視線を戻した。
極限まで追い詰められたクレーマーが、最後に取る行動。
それは得てして、最も見苦しく、理性を欠いた『暴走』である。
――『飢餓の迷宮』地下二十階層。
「あ……がっ……、さむい……ッ、腹が……減った……ッ!」
シリウスは、濡れ鼠のようになった身体を引きずりながら、薄暗い洞窟を這い進んでいた。
もはや直立して歩くことすらできない。刃こぼれした黄金の剣は、重すぎてどこかに投げ捨ててしまった。
(なんで……なんで俺が、こんな目に……。俺は神に選ばれた、世界で一番偉い勇者なのに……ッ)
氷水で冷え切った身体に、迷宮の『飢餓』の魔素が容赦なく襲いかかる。
胃袋はとうの昔に限界を超え、今や自分の内臓を消化し始めているのではないかというほどの激痛が走っていた。
その時だった。
シリウスの霞む視界の先に、ぼんやりと白く発光する『何か』が見えた。
岩肌の隙間から生えている、立派な葉。そして、土の中から顔を覗かせている、瑞々しく太い純白の根菜。
「……大根……? いや、こんな迷宮の奥深くに、野菜が……?」
しかし、限界を超えた彼の脳は、それを都合よく解釈した。
「そ、そうだ……! これはきっと、神(ワイズ様)が俺のために用意してくれた、奇跡の回復アイテムに違いない……ッ! やっぱり俺は見捨てられてなんかいなかったんだ!」
シリウスは歓喜の涙を流しながら大根に飛びつき、泥を払うことすら忘れ、生のままガブリと齧り付いた。
シャキッ、という小気味良い音と共に、強烈な辛味と水分が口の中に広がる。
「からっ!? げほっ……! だ、だが……美味い……ッ! 水分が……カロリーが……!」
彼は狂ったように、その巨大な大根を葉っぱの先まで残さず平らげた。
ふう、と息を吐き出す。
気のせいか、腹の底から不思議な力が湧いてくるような感覚があった。
「ハハハ……ッ! 見ろ、体力が戻ってきたぞ! さあ、ここからが最強勇者の逆転劇だ! まずは、あのムカつくドローンで飯を食っていた雑魚冒険者どもを血祭りに上げて……」
シリウスが立ち上がろうと、足に力を込めた瞬間だった。
――ビキィィィィッ!!
「……え?」
彼の意志とは全く無関係に。
両膝が、凄まじい勢いで石の床に激突した。
「ぐはっ!? な、なんだ!? 足が……ッ!」
続いて、両手がピタリと揃えられ、床に添えられる。
そして、そのまま背筋が美しい弧を描き、頭が床に擦り付けられるほどの見事な角度で――シリウスの身体は、完璧な『土下座』の体勢へと固定されたのである。
「な、なんなんだこれはぁぁっ!? 身体が勝手に……ッ! 立て! 立てよ俺の身体!」
彼が必死に立ち上がろうとすればするほど、筋肉は鋼のように硬直し、土下座のポーズをより深く、より美しく洗練させていく。
「……あ、ああっ! 姉御ぉ! モニター見てくだせえ! あいつ、急に土下座し始めましたぜ!?」
管制テントからフェイトの驚きの声が響いた。
モニターを見ると、シリウスが誰もいない迷宮の通路で、一人で凄まじい土下座を繰り返している映像が映し出されていた。
「ああ……。やっぱり食べちゃったのね、あれを」
私は呆れ果てて、ポンと手を打った。
「コハル、あれは何のデバフだ? 奇妙な呪いだな」
レオン様が不思議そうに目を細める。
「あれは、ポポロ山に生えていた『スベルダケ』と同種の、迷宮特有の危険食材よ。通称『土下座ダイコン』」
私は、冒険者ギルドの生態系図鑑で読んだ知識を解説した。
「極めて魔素の濃い場所に自生する根菜なんだけど……食べた者の『傲慢さ』や『プライドの高さ』に比例して、強制的に美しい土下座をさせてしまうという最悪のデバフ食材なの。プライドが高い人間ほど、その反動(効力)は凄まじいらしいわよ」
「……なるほど。選民思想の塊であるあの男にとっては、劇毒も同然というわけか」
レオン様が、ふっと口角を上げた。
「いやだぁぁっ! なんで、なんで俺が土下座なんかぁぁっ!」
シリウスの絶叫が迷宮に響き渡る。
しかし、彼の悲劇はそれだけでは終わらなかった。
「ん? なんだあの音」
「お、おい見ろよ。なんかこっちに向かってくるぞ」
通路の先からやってきたのは、先ほどドローンの弁当を食べて休憩を終えた、若手冒険者のパーティだった。
彼らの視線の先で。
ズザザザザザザァァァァッ!!
「な、なんだあれ!?」
「土下座したまま、滑ってきたぞ!?」
シリウスは、完璧な土下座の体勢を維持したまま、石畳の上を猛烈なスピードでスライディングし、若手冒険者たちの足元へと滑り込んできたのだ。
「あ、ああっ……! 違う! 俺は勇者だ! お前ら雑魚に向かって土下座など……ッ!」
シリウスの脳内では、彼らを見下し、罵倒する言葉が渦巻いていた。
しかし、『土下座ダイコン』の恐ろしいところは、姿勢だけでなく、発声すらも強制的に『極限のへりくだり(懇願)』に変換してしまう点にある。
シリウスの口が開いた。
そして、腹の底から響くような、涙ながらの悲痛な叫び声が飛び出した。
「――申し訳ございませんでしたぁぁぁっ!! どうか、どうかこの哀れな愚か者に、慈悲をお恵みくださいませぇぇっ!!」
「ええっ!?」
「ひぃっ、急に大声で謝り出したぞ!?」
若手冒険者たちがドン引きして後退りする。
「お前らの持っているからあげを寄越せ! 奪い取ってやる!」
脳内でそう叫ぼうとするシリウスだが、実際に口から出た言葉はこうだ。
「先ほどは、皆様の尊いお食事を奪おうとするなどという、万死に値する無礼を働き、誠に申し訳ございませんでした!! どうか、どうか皆様が残された『からあげの衣のカス』でも結構でございます! あるいは、牛丼の汁が染み込んだ空箱の切れ端だけでも!! この底辺のゴミ虫にお恵みくださいませぇぇっ!!」
ゴツンッ! ゴツンッ!!
シリウスは額から血が出るほどの勢いで、平民の冒険者たちの足元に何度も何度も額を擦り付け、ひたすらに飯の残飯を乞うた。
「うわぁ……」
「なんか、すげえ可哀想になってきたな……」
「でもこいつ、ブラックリスト(出禁)だから、俺たちが物資分けたらコハル様に怒られるぜ。行こうぜ、関わらないのが一番だ」
冒険者たちは、哀れみと軽蔑の入り混じった視線をシリウスに向け、彼を完全に無視して歩き去っていった。
「待って! 行かないで! 俺は勇者なんだぞぉぉっ!」
シリウスの心は、完全に崩壊した。
自分がモブだと見下していた平民たちに、無様な土下座で残飯を乞い、さらに「関わらないでおこう」とゴミのようにスルーされる。
これ以上の屈辱が、この世界に存在するだろうか。
「あああああぁぁぁぁっ……!! 許して、許してくださいぃぃっ……!! からあげ……からあげをぉぉっ……!!」
暗く冷たい『飢餓の迷宮』の底。
神の加護に選ばれた最強の勇者は、自らの傲慢さが引き寄せた危険食材の呪いにより、誰一人見向きもしない暗闇の中で、ひたすらに美しい土下座を繰り返しながら泣き叫ぶことしかできなくなっていた。
神の奇跡と選民思想が、平民ナースの完璧な兵站と大自然(現場)の理不尽の前に、完膚なきまでにへし折られ、完全敗北を喫した瞬間であった。
読んでいただきありがとうございます。
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