EP 6
飢餓の迷宮と、回復薬の枯渇
「……ブラックキャット運輸、第二十便から第五十便、全機異常なし。予定通り、迷宮内の各中堅パーティへの補給を完了しました」
冒険者ギルドの中庭に設置した特設の管制テント。
私は【善行ポイント通販・段5】で召喚した魔導モニターの群れを前に、無数のドローンの現在位置と、冒険者たちのバイタルサインを確認していた。
「素晴らしい手際だ、コハル」
私の背後から、レオン様が深く甘い声で囁き、私の肩にそっと極上のカシミヤのショールを掛けてくれた。
管制テントの中とはいえ、夜風が冷えてきたのを気遣ってのことだろう。相変わらず、私のわずかな体温変化すら見逃さない過保護ぶりである。
「レオン様、ありがとうございます。でも、これくらい大したことありませんよ。前世(限界病棟)では、これの何倍もの患者さんの点滴スケジュールとバイタルを、たった一人で夜通し管理していましたから」
「……やはり、その『前世の理不尽な職場』とやらは、私が時空を超えて物理的に焦土にしてこなければならないようだな」
レオン様が物騒なことを言いながら、私の首筋に顔を埋め、すりすりと甘えるように擦り寄ってくる。
公の場であるギルドから少し離れた、二人きり(+ドローン)のテントの中。レオン様の『私だけの特等席』を満喫する独占欲は、留まるところを知らない。
「コハル。君の構築したこの『兵站網』は完璧だ。真面目に働く冒険者たちは、誰一人欠けることなく安全に迷宮を探索している。……だが、たった一つだけ、バイタルが危険水域に落ち込んでいる『赤い点』があるな」
レオン様が、漆黒の瞳を細めてモニターの隅を指差した。
「ええ」
私は、その孤立した赤い光点を見つめ、ナースとしての冷徹な笑みを浮かべた。
「あの出禁勇者ね。……神の加護があろうと、物理的な『飢え』と『消耗』からは逃れられない。大自然と現場の兵站を舐めた代償を、今頃たっぷりと支払わされているはずよ」
――同刻。
『飢餓の迷宮』の地下十五階層。
「ゼェ……ッ、ハァ……ッ!!」
ズバァァァンッ!!
黄金の剣閃が閃き、巨大なミノタウロスの首が宙を舞った。
「ハハ……ッ! 見たか、雑魚モンスターめ……! これが、神に選ばれた最強の勇者の力だ……!」
返り血と泥にまみれた勇者シリウスは、膝をつきそうになるのを必死に堪えながら、虚勢を張って笑い声を上げた。
確かに彼の戦闘力は規格外だった。単独で、しかも一切の事前準備なしにこの階層まで潜ってきたのは、個人の武力としては異常なことである。
しかし。
「……くそっ、なんでこんなに……体が重いんだ……っ」
ガクンッ、と。
シリウスの膝が折れ、冷たい石畳の上に倒れ込んだ。
『飢餓の迷宮』に充満する特殊な魔素。
それは、冒険者の体力(HP)と満腹度を、通常の三倍の速度で削り取っていく最悪のデバフである。
シリウスは自身のチートスキル『自動回復』や『無限魔力』を過信していた。
だが、彼は根本的なことを理解していなかった。
魔法による『回復』は、傷を塞ぐことはできても、胃袋を満たす『カロリー』までは生成できないのだということを。
「腹が……減った……っ。喉が、渇いて死にそうだ……っ」
シリウスは震える手で、腰のポーチを探った。
……空っぽである。
彼はいつも、村の民家やルナキンなどの店から物資を『強奪』することで補給を済ませていた。自分でポーションを買い、水筒に水を汲み、携帯食料を準備するという『地味で泥臭い作業』を、「雑魚のやることだ」と見下して一切やってこなかったのだ。
さらに悪いことに。
「お、俺の……黄金の聖剣が……っ!」
彼が頼りにしていた剣の刃が、ボロボロに刃こぼれを起こしていた。
どれほど強力な魔剣であっても、硬い魔物の骨や鱗を斬り続ければ劣化する。戦闘後に血脂を拭き取り、砥石で研ぐという『メンテナンス(裏方の仕事)』を怠れば、ただの鈍らな鉄の棒に成り下がるのだ。
「なんでだ……! 俺は勇者だぞ! 神の奇跡で、剣は勝手に直るんじゃないのかよ……っ!」
チートに依存しきった彼の精神は、すでに限界を迎えていた。
極限の空腹。すり減った体力。そして、誰にも助けてもらえないという『孤立』の恐怖。
その時。
洞窟の奥から、何やら楽しげな声と、信じられないほど良い『匂い』が漂ってきた。
「……匂い……? 飯の、匂い……!?」
シリウスは、這いずるようにしてその匂いの元へと向かった。
開けた安全地帯。そこには、ギルドで見かけたCランクの若手冒険者パーティ(四人組)が、魔物除けの結界を張り、円座になって休憩していた。
そして彼らの中心には、黒猫のマークが描かれたあの『箱』が置かれている。
「おおっ! 来た来た! ブラックキャット運輸の定期便だ!」
「今回は奮発して、『ルナキンの特盛・厚切り豚のスタミナガーリック丼』と、『アツアツの豚汁』を頼んだぜ!」
ドローンのコンテナが開いた瞬間。
暴力的なまでのニンニクと醤油の香り、そして豚の脂の焼ける匂いが、迷宮の冷たい空気を一気に支配した。
「うおおおっ、最高だ! ダンジョンの地下深くで、こんなアツアツの飯が食えるなんて!」
「コハル様の作ったインフラ、マジで神だよな! ポーションもしっかり冷えてるし、これで最下層まで安全に潜れるぜ!」
若手冒険者たちは、満面の笑みでホカホカの豚丼を掻き込み、豚汁をすすっている。
その光景を岩陰から見ていたシリウスの胃袋が、ギリィィッ! と悲鳴を上げた。
口の中に大量の唾液が溢れ、理性が完全に吹き飛ぶ。
「……おい」
シリウスは、ふらつく足で立ち上がり、冒険者たちの前へと姿を現した。
「あ? なんだお前……って、あの出禁のカスハラ勇者かよ」
冒険者の一人が、豚丼の箸を止めて嫌悪感を露わにした。
「……それを、寄越せ」
シリウスは血走った目で、豚丼を指差した。
「俺は、勇者だ……! この迷宮の魔物を倒してやっているんだぞ! だから、その飯は俺が食う権利がある! 俺にそれを貢げ!」
傲慢な選民思想は、極限状態になっても変わらない。彼は剣を構え、力ずくで奪い取ろうとした。
しかし、若手冒険者たちは全く怯まなかった。
彼らは冷ややかな目でシリウスを見下ろし、こう言い放った。
「断る。これは俺たちがギルドで真面目に働いて、正当な対価(お金)を払ってコハル様から届けてもらった『命綱』だ。……お前みたいな、他人の苦労(兵站)を舐め腐ってる泥棒にやる飯なんて、一粒もねえよ」
「なんだと……っ! この雑魚どもが、勇者に向かって……っ!」
激昂したシリウスが、刃こぼれした剣を振りかざして飛びかかろうとした、次の瞬間。
「ぐはぁっ!?」
強烈な胃痙攣と、極度の魔力枯渇による立ち眩みがシリウスを襲い、彼は一歩も踏み出せないまま、無様に石畳の上に突っ伏した。
「ほら見ろ。いくら個人の戦闘力が高くても、補給を軽視した奴の末路なんてそんなもんだ。……行こうぜ、みんな。こんな奴に関わってたら、せっかくのコハル様の飯が冷めちまう」
冒険者たちはシリウスを完全に無視し、安全地帯のさらに奥へと歩き去っていった。
ドローンもまた、『無登録者』であるシリウスには目もくれず、ブォォォンと静かに空高く飛び去っていく。
「ま、待て……! 行くな……っ、飯を……豚汁を一口だけでいいから……っ!」
暗く冷たい迷宮の底。
神の奇跡に選ばれた最強の勇者は、平民たちが当たり前のように享受している『温かい日常』から完全に切り捨てられ、ただ一人、惨めに泥水をすする絶望へと叩き落とされたのだった。
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