EP 3
公爵の余裕と、揺るがない特等席
「――神の駒ごときが。私の至宝に、その汚らわしい刃を向けようとしたな」
冒険者ギルドの喧騒が、一瞬にして消え去った。
レオン様が一歩前に踏み出した瞬間、空間そのものが軋むような、圧倒的で濃密な覇気がギルド全体を制圧したのだ。
シリウスが纏っていた眩い黄金の魔力など、レオン様から放たれる漆黒のオーラの前では、強風の前に晒された蝋燭の火も同然だった。
ミリミリと、ギルドの頑丈な石造りの床が、レオン様の足元から放射状にひび割れていく。
「な……っ!?」
シリウスの顔から、一気に血の気が引いた。
彼は震える手で剣を構えたまま、信じられないものを見るようにレオン様を凝視している。おそらく、彼の持つ『鑑定』のチートスキルが、レオン様の底知れないステータスを読み取り、エラー(本能的な死の恐怖)を警告しているのだろう。
「き、貴様……何者だ……! 俺は神に選ばれた勇者だぞ! この世界で俺より強い奴なんているはずが……っ!」
「神に選ばれただと? 虫唾が走るな」
レオン様の絶対零度の声が、シリウスの鼓膜を容赦なく叩き据える。
「薄っぺらな奇跡を与えられただけの操り人形が、己の力を過信し、私の世界で最も尊い女性を見下した。……その罪の重さを、お前の魂を永遠に砕くことで教えてやろう」
レオン様が右手を軽く上げた。
その指先が鳴らされれば、間違いなくこの勇者は、文字通りチリひとつ残さず概念ごと消滅するだろう。
ギルドの若手冒険者たちも、あまりの恐怖とプレッシャーに息を止めている。
だが。私は全く怖くなかった。
この圧倒的な力と怒りが、全て私を守るためだけに向けられていることを、誰よりも深く理解しているからだ。
「……レオン様、手を出さないでください」
私は静かに、けれど迷いのない動作で、レオン様の高く上げられた右手を両手でそっと包み込んだ。
「コハル……?」
「こんな暴漢のために、レオン様の美しい手を汚す必要はありません。それに……彼をここで消してしまえば、彼は『悲劇の勇者』として神に祀り上げられてしまうかもしれない」
私は、レオン様の冷たい指先に自分の体温を移すように、優しく握りしめた。
「彼は、『補給』や『裏方の仕事』をゴミだと言い捨てた。なら、その傲慢な選民思想を、彼自身に最も残酷な形で思い知らせてやらなければなりません。……物理的な死よりも恐ろしい、『現実(現場)の絶望』を味わってもらうために」
私の意図を汲み取ったレオン様は。
ほんの数秒前まで周囲を震え上がらせていた破壊的な殺気を、ふわりと春の風のように消し去った。
「……なるほど。君の言う通りだ、私の至宝」
レオン様は私の手を握り返し、そのまま手の甲に、深く、甘いキスを落とした。
「私が手を下すまでもない。君が紡ぐ『仕組み』という名の処刑台で、この愚か者が自滅していく様を、特等席で眺めさせてもらうとしよう。……君への絶対的な信頼と愛は、神の奇跡などでは決して揺るがないのだから」
【恋愛ラダー・第8.5段:揺るぎない絶対の信頼と、公の場での独占欲】
ギルドのド真ん中で、しかも世界最強の勇者(自称)を完全に無視して繰り広げられる、極上の甘やかしとイチャイチャタイム。
周囲の冒険者たちが「あ、いつもの公爵様だ」「生きててよかった」と安堵の溜息を漏らす中、完全に蚊帳の外に置かれたシリウスは、プライドをズタズタに引き裂かれて激昂した。
「ふざけるなぁぁっ!! 俺を! 勇者であるこの俺を無視するな!!」
シリウスは顔を真っ赤にして、黄金の剣を振り回した。
「俺は最強なんだ! 補給だの裏方だの、そんな貧乏くさい真似をしなくても、俺のチートスキルがあればどんな場所でも生きていけるんだよ! ……そうだ! 見てろよ、お前ら!」
シリウスは、帝都の冒険者たちを指差して喚き散らした。
「帝都のすぐ近くにある、『飢餓の迷宮』! あそこは回復アイテムが必須の『超高難易度ダンジョン』らしいな! 俺はあそこを、たった一人で、アイテムも補給も一切持たずに踏破してやる!」
その宣言に、ギルドマスターが「正気か!?」と声を上げた。
「飢餓の迷宮は、内部の魔素が冒険者の体力と満腹度を異常な速度で奪い取る最悪の魔境だ! 完璧な補給部隊とポーションの備蓄がなければ、Sランクパーティでも三日で餓死するんだぞ!」
「ハッ! それは雑魚のお前らの話だろうが! 俺の無限の魔力と攻撃力があれば、ダメージを受ける前に魔物を皆殺しにして最下層まで辿り着ける! 補給なんて無駄なことをしているから、お前らはいつまでも底辺なんだよ!」
シリウスは鼻息を荒くして、私をキッと睨みつけた。
「いいか、モブ女! 俺が飢餓の迷宮をソロで完全踏破して帰ってきた暁には、その生意気な態度を土下座して謝らせてやる! そして、俺様の奴隷として一生こき使ってやるから覚悟しておけ!!」
「……はぁ」
私は、三流の悪役のような捨て台詞を吐く勇者に向かって、極めて事務的な、冷めきったナースの笑顔を向けた。
「ええ、せいぜい頑張ってくださいな。……途中で泣き言を言って『ポーションを売ってくれ』と土下座してきても、ブラックリスト(出禁)のあなたには、水一滴すら提供しませんからね」
「誰が頼むかよ!! 覚えてろ!!」
シリウスは黄金の鎧をガチャガチャと鳴らしながら、ギルドを飛び出していった。
神の加護というチートに酔いしれ、兵站の重要性を完全に舐め腐った、愚かな暴走である。
「……行っちゃいましたわね、あの騒音公害」
リーザがマイクを下ろして肩をすくめる。
「ギャハハ! アホやなーあいつ。アイテムなしで飢餓の迷宮とか、ただの自殺志願者やん!」
マシロが腹を抱えて笑った。
だが、私の心境は少し違っていた。
「自滅するのは勝手だけど……あのダンジョンには今、真面目に仕事(攻略)をしている他の若手冒険者たちも入っているのよね」
私はギルドマスターに確認した。
「はい、コハル様。今は素材採取のために、中堅のパーティがいくつか潜っておりますが……あの傍若無人な勇者が乱入すれば、彼らの安全や補給線が脅かされる危険があります」
「やっぱりね。……自分の力に溺れたクレーマーは、必ず周りの人間(現場)を巻き込んで迷惑をかけるのよ」
私はギュッとエプロンの紐を締め直し、レオン様を見上げた。
「レオン様。あの勇者を自滅させるのは簡単ですが、真面目に働いている他の冒険者たちに被害を出させるわけにはいきません」
「ああ。君の望む通りにするといい。私には、君が次に何をしようとしているのか、手に取るようにわかるがね」
レオン様は楽しそうに微笑み、私の背中を優しく押してくれた。
私は【善行ポイント通販】のスマホの画面を開いた。
カグヤ様から与えられた、天界歴代1位の莫大な予算。これを使えば、ついにあの『特大の権限』が解放できる。
「見せてあげるわ。個人のチート武力なんて軽くひき殺す、現代の完璧な『神域の兵站網』をね!」
平民ナースの逆襲。
出禁勇者を地獄の底へと突き落とす、スキル進化のカウントダウンが始まった。
読んでいただきありがとうございます。
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