第七章 選ばれし勇者の傲慢と、平民ナースの兵站完全封鎖
バカンスの終わりと『勇者』の襲来
ポポロ山での最高に合理的で温かい雪山バカンス(絶対有給休暇)を終え、私たち一行を乗せたルナミス公爵家の豪奢な馬車は、数日ぶりに帝都の正門へと帰り着こうとしていた。
「いやぁ、雪山も最高やったけど、やっぱり帝都の喧騒に戻ってくると落ち着くわぁ」
馬車のふかふかの座席で、マシロがウサギ耳を揺らしながら【通販】で買ったポテトチップスをかじっている。
その隣では、白銀の剣鬼フェイトが窓の外を食い入るように見つめ、ソワソワと貧乏ゆすりをしていた。
「帝都……! 俺の愛する鉄火場……! 待ってろよ、雪山で薪割りをしまくった俺の右腕は、今や魔石スロットのレバーを叩き折るほどのスナップ力を秘めているぜ……っ!」
「フェイト、あんた雪山で出禁の冷却期間を置いた意味が全くないじゃないの」
「わたくしは早く帝都の大通りで『雪山凱旋・凱旋ゲリラライブ』を開催して、スパチャを荒稼ぎしたいですわ!」
相変わらずの騒がしくも愛おしい仲間たち(スアイさんは雪山のスキー場経営があるため、今回はお留守番である)。
私は呆れながらもクスッと笑い、手元のマグカップの紅茶を傾けた。
「……コハル。疲れてはいないか?」
私のすぐ隣で、漆黒の軍服を着こなしたレオン様が、ごく自然な動作で私の腰に腕を回し、その広い肩へと私の頭を預けさせた。
「大丈夫ですよ、レオン様。タローマンの防寒着のおかげで冷えもありませんでしたし、サウナで完璧にととのいましたから」
「そうか。だが、念には念を入れよう。公爵邸に戻り次第、君の細胞の隅々まで疲労を測定するため、宮廷の筆頭治癒魔導師を百人ほど招集して――」
「大げさすぎます。私はただの平民ですよ?」
私がレオン様の胸板を軽く押し返すと、彼は不満げに漆黒の瞳を細め、私の額に甘いキスを落とした。
「ただの平民ではない。君は私の至宝であり、いずれルナミス公爵家の女主人となる女性だ。君の健康は、帝国全体の最優先事項として処理されるべきなのだ」
相変わらずの、国家予算レベルの過保護である。
甘やかされるのは嫌いではないが、外でやられるとさすがに恥ずかしい。
そんな和やかな空気に包まれていた馬車が、帝都のメインストリート――冒険者ギルドや数々の店舗が立ち並ぶ中央区画に入った、その時だった。
「……ん?」
窓の外を眺めていた私は、ふと違和感を覚えた。
いつもなら、冒険者たちの活気ある声や、屋台の呼び込み、そして『ルナキン(牛丼屋)』や『タローマン(ホームセンター)帝都支店』に並ぶ人々の賑やかな列ができているはずの通りが、ひどく静まり返っているのだ。
いや、静かというよりは……。
「……姉御。なんか、通りが荒らされてねえっすか?」
フェイトが鋭い目つきになり、窓ガラスに顔を近づけた。
彼の言う通りだった。
大通りの石畳には、無数の木箱が破壊されて散乱し、タローマンの黄色と黒の看板がへし折られている。
さらに、私たちが日頃からお世話になっている『ルナキン帝都本店』のガラス窓が粉々に割られ、入り口には「本日休業・復旧作業中」という悲痛な手書きの札が下げられていた。
「ちょっと、馬車を止めて!」
私は慌てて御者に指示を出し、馬車が完全に止まる前に扉を開けて外へ飛び出した。
「コハル! 危ないだろう、私のエスコートを待ちなさい」というレオン様の声を背中に受けながら、私は無惨に荒らされたルナキンの店舗へと駆け寄った。
「アンナちゃん! お店の人! 誰かいないの!?」
割れたガラスを踏まないように店内を覗き込むと、奥の厨房の影から、元王城メイドで現在はルナキンの配膳リーダーとして働いてくれているアンナが、顔を腫らして出てきた。
「コハル様……っ!」
「アンナちゃん、どうしたのその怪我! いったい何があったの!?」
私はすぐにナースとしてのトリアージ(初期評価)を行い、エプロンのポケットから【通販】のポーションを取り出して彼女の頬に当てた。幸い、命に関わるような外傷はないが、怯えきったバイタルサインが異常を告げている。
「コハル様、申し訳ありません……。昨日、突然お店に『勇者』を名乗る男が現れて……」
「勇者?」
「はい。黄金の剣と、見たこともない凄まじい魔力を纏った男でした。彼は店に入ってくるなり、『俺は神に選ばれた勇者だ。この世界にある物は全て俺の所有物だ』と言って……」
アンナの震える声が、事の顛末を語り始めた。
その自称・勇者は、ルナキンに入店するなり、他のお客の牛丼を次々と強奪し、厨房の食材ストックを『無限収納』のチートスキルで根こそぎ奪い取ったという。
アンナや店長が「代金を払ってください」と抗議すると、彼は鼻で笑い、黄金の剣の柄でアンナたちを殴り飛ばしたのだ。
『勇者である俺が、下等な平民の飯を食ってやったんだ。これは名誉なことだろう? 代金だと? むしろ俺の胃袋を満たしたことを神に感謝して、毎日の売上を貢ぎ物として差し出せ!』
そう嘯き、男は店のレジスターを破壊し、隣にあるタローマンの資材置き場からも、高級なポーションや野営具を「勇者の冒険に必要な物資だから」という理由で堂々と略奪していったらしい。
「……なるほどね」
私は冷たい怒りを胸の奥底に沈めながら、静かに息を吐いた。
「RPGの世界なら、勇者が村人の家のタンスを勝手に開けてアイテムを持っていっても許されるかもしれないわ。でも、ここは現実よ」
私は、破壊されたレジと、散乱した食材の残骸を見渡した。
現場の人間がどれだけの苦労をして、朝早くから仕込みをし、材料を運送し、お客様に温かい食事を提供しているか。
『兵站』と呼ばれる、社会の根幹を支える血の滲むようなインフラ網。
それを、「勇者」という個人の特権と選民思想だけで土足で踏みにじり、強奪していく。
「ただの、極悪非道な『カスタマーハラスメント(カスハラ)』じゃないの」
私の口から、限界ブラック病棟時代にクレーマー患者に向けられていた、絶対零度の声が漏れた。
「許せねえ……! 姉御が作った店を、俺たちのタローマンを荒らすとは……! ぶっ殺してやる!」
フェイトが背中の大剣を引き抜き、三白眼を血走らせた。
「フェイト、ストップ」
私は彼を制止し、アンナの肩を優しく叩いた。
「大丈夫よ、アンナちゃん。怪我の手当ては私が全部やるわ。奪われた食材や機材も、【通販】ですぐに補填するから安心して」
「コハル様……うぅっ……」
その時。
大通りの向こう側――冒険者ギルドの方向から、耳障りな爆発音と、下品な男の高笑いが響き渡った。
「ハハハハッ! なんだこの貧相なギルドは! 俺のような最強の勇者を歓迎するファンファーレもないのか!」
周囲の空気が、ビリビリと震える。
圧倒的な魔力の波動。それは、先日の雪山で遭遇した「自称・勇者の先遣隊(小物)」とは比べ物にならない、本物の規格外の力だった。
しかし、私の『善行ポイント(カグヤの加護)』によって研ぎ澄まされた目は、その黄金の魔力の奥底に、どす黒く煤けた『ヤラセと陰謀のオーラ』がへばりついているのを見逃さなかった。
炎上神ワイズ。
彼が直接、この地上に降臨させたという『本物の勇者(特大の理不尽)』。
「……あれが、件のカスハラ勇者ね」
私が冷たく見据える先で、黄金の鎧を着た男が、ギルドの扉を蹴り破って中へと侵入していくところだった。
「コハル」
背後から、レオン様が静かに私の隣に立ち、その大きな手で私の肩を抱き寄せた。
レオン様から放たれる覇気は、遠くにいる勇者の魔力など赤子のように感じさせるほど深く、そして底知れない静かな怒りに満ちている。
「私の庇護下にある帝都の民を傷つけ、あろうことか、君が慈しむインフラを破壊した。……万死に値するな。今すぐ私が、あの不快な黄金の羽虫を、概念ごとこの世界から消去してこよう」
レオン様が指先を鳴らそうとした瞬間、私はその大きな手を両手で包み込んだ。
「待ってください、レオン様。レオン様の力を借りるまでもありません」
「……何?」
「個人の武力だけで全てが思い通りになると思い込んでいる、傲慢なクレーマー。……彼らには、権力や暴力でねじ伏せるよりも、もっと残酷で、もっと『現実的』な絶望を与えなければなりません」
私は、破壊されたルナキンの看板を見上げながら、ナースとしての冷徹な笑みを浮かべた。
「彼は、『補給(現場)』を舐めている。なら、それを完全に断ち切られた時、チート勇者がどれほど無様で惨めな姿を晒すことになるか。……徹底的な『兵站の完全封鎖(ブラックリスト入り)』で、骨の髄まで思い知らせてあげます」
神の加護と、圧倒的な戦闘力。
そんなものは、現代の完璧なインフラと物流システムの前では、路傍の石に等しい。
平民ナースの『絶対有給休暇』を脅かす、最大級の理不尽に対する、最高に後味の良い『因果の請求書』の作成が、今、静かに始まろうとしていた。
読んでいただきありがとうございます。
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