EP 4
公爵の激怒と絶対の庇護
マリアベル第一王女の理不尽な『白薔薇のお茶会』を乗り切り、私はようやく王城の正門へと歩みを進めていた。
「……ふぅ。さすがに、四方八方から敵意を向けられ続ける環境は、肩が凝るわね」
小さく伸びをして息を吐く。
肉体的な労働はしていないものの、限界ブラック病棟の『お局ナース陣営による新人いびり空間』に数時間放り込まれていたようなものだ。精神的な疲労はそれなりに蓄積している。
だが、私が王城の巨大な門をくぐり抜けた瞬間。
その疲労を、別の意味で一瞬にして吹き飛ばす光景が待ち受けていた。
「……コハル」
夕日に照らされた石畳の上。
ルナミス公爵家の豪奢な馬車の前に、漆黒の軍服を纏ったレオン様が立っていたのだ。
その周囲には、公爵直属の暗部(影の護衛たち)が数名、ただならぬ殺気を放ちながら控えている。
「レオン様!? お義父様(皇帝陛下)とのお話は……!」
「皇帝の世迷い言など、開始三分で論理的に論破して切り上げてきた。それよりも、君だ」
レオン様は長い脚で瞬く間に私との距離を詰めると、有無を言わさず私をその腕の中にきつく抱き寄せた。
「っ……レオン、様……?」
「……私の至宝のバイタルサインが、著しく低下している。顔色も悪い。それに、君の衣服から、あの傲慢な第一王女の庭園のひどく澱んだ魔力の残滓が感じられる」
耳元で囁かれる声は、氷のように冷たく、そして地獄の底から響くような深い怒りに満ちていた。
「私の影から報告は受けている。……あの愚物、私の目の届かぬところで、君を平民と見下し、公衆の面前で嘲笑の的として晒し上げたそうだな」
レオン様の周囲の空気が、ピキピキと物理的に凍りつき始める。
彼が本気で怒った時に発する、規格外の魔力の余波だ。
「……許さん。私の庇護下にある、この世界で最も尊い君の心を傷つけるなど。あの女、王族の身分に胡座をかいて生存戦略を誤ったな。今すぐ内務省の特殊部隊を動かし、あの忌々しい空中庭園ごと、マリアベルの離宮を物理的に更地にしてやろう」
「だーめーでーす!!」
レオン様が本気で王族暗殺(国家反逆罪)のテロルを実行しそうになったので、私は慌てて彼の胸板を両手で押し返し、その漆黒の瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
「落ち着いてください、レオン様! 私はどこも怪我なんてしていませんし、泣かされてもいません。ただ、少し肩が凝っただけです」
「だが、君の尊厳が傷つけられた」
「いいえ。あんな言葉で、私の尊厳は一ミリも傷つきません」
私は、ふふっと笑って首を横に振った。
「それに、今日はただ嫌がらせをされただけじゃないんですよ。……ちゃんと、王女の足元の『現場』を支えている人たちに、お薬や物資を配ってきましたから」
「……現場、だと?」
「はい。王女は、自分を支えてくれているメイドや貴族の奥様たちをゴミのように扱っていました。だから、私はナースとして、彼女たちの傷や疲労を癒やしてきたんです」
私が誇らしげに報告すると、レオン様の瞳からスッと殺気が消え、代わりに……言葉を失ったような、深い驚きと愛おしさが入り混じった光が灯った。
「……コハル。君は」
レオン様は大きなため息を吐き、私を抱きしめる腕の力を、今度はひどく優しく、大切に扱うように緩めた。
「君は本当に、私の論理予測を遥かに超えていく。虐げられた場でただ耐えるのではなく、相手の権威の基盤そのものを、その『底なしの優しさと知恵』で内側から切り崩してきたというのか」
「切り崩すなんて物騒なことはしてませんよ。ただ、困っている人を手当てしただけです」
「それが、最も恐ろしい反撃になるということを、あの愚かな王女は理解していないのだろうな」
レオン様は私をエスコートして馬車に乗せると、ご自身も向かいの席ではなく、私のすぐ隣に腰を下ろした。
狭い馬車の中、彼の体温と、落ち着く紅茶の香りが私を包み込む。
「……だが、コハル」
馬車が動き出すと、レオン様は私の肩を引き寄せ、私の頭を彼自身の広い肩へと預けさせた。
「君がどれほど強く、賢く、気高い女性であっても。……君が理不尽な悪意に晒され、疲労を抱えて帰ってくることは、私の心臓を素手で握り潰されるよりも苦痛だ」
「レオン様……」
「皇帝は今日、私にマリアベルとの婚約を正式に打診してきた。帝国の安定のため、第一王女を公爵家に迎え入れろと」
その言葉に、私の心臓がドクンと嫌な音を立てた。
王族からの正式な婚約要請。それは、いかに公爵家といえども、簡単に無碍にできるものではない『絶対的な権威』の命令だ。
私が少しだけ体をこわばらせると、レオン様は私の手を強く握り、その指の隙間にご自身の指を絡め、絶対に離さないとばかりに強く結び合わせた。
「安心しなさい。秒で拒絶してきた」
「……秒で」
「ああ。『私の生涯の伴侶はすでに決まっている。それ以外の女を隣に立たせるくらいなら、私は帝国ごと全てを灰にする』と、極めて平和的に伝えておいた」
平和的のゲシュタルト崩壊である。
「レオン様……それ、お義父様はなんて……」
「顔を引き攣らせていたが、私の決定が覆らないことくらい、彼も理解している。……だから、コハル」
レオン様は私の顎を指先でそっと持ち上げ、逃げ場のない至近距離で私を見つめた。
「王女の権威など、私にとっては路傍の石以下の価値しかない。たとえこの帝国全てを敵に回すことになろうと、私は君を選ぶ。君の微笑み一つを守れるなら、地位も名誉も全て喜んで投げ捨てよう」
重く、熱く、そしてどこまでも甘い、絶対的な庇護の誓い。
レオン様の真っ直ぐな言葉が、お茶会で冷え切っていた私の心を、芯から溶かすように温めていく。
「君は、私の庇護下で、自由に君のやりたいことをしていればいい。君を脅かす『権威』のノイズは、全て私が完璧に遮断してみせる。……だから、君はただ、私だけを見ていなさい」
レオン様の顔が近づき、私の額に、そしてまぶたに、優しくて熱い口付けが落とされる。
チュッ、という小さな音が馬車の中に響き、私の顔は一瞬で沸騰したように熱くなった。
「……はい、レオン様……っ」
私は真っ赤になりながらも、彼に繋がれた手をギュッと握り返した。
権力という壁。身分という障害。
普通の令嬢なら絶望して身を引くような圧倒的な『権威』の前に立たされても、今の私には何の迷いもなかった。
私には、カグヤ様がくれた【通販】の力があり、現場を支える人々の声なき声があり、そして何より――この世界で一番過保護で、最強のヒーローが、こうして私を全力で愛し、守ってくれているのだから。
馬車は、夕暮れの帝都を抜け、私たちが帰るべき賑やかな公爵邸へと向かっていく。
(……とはいえ、帰ったら帰ったで、またカオスな連中が待ってるんだけどね)
私はレオン様の温かい肩に寄りかかりながら、ポンコツな剣鬼やウサギの親友たちの顔を思い浮かべ、思わず小さく吹き出してしまった。
私の絶対有給休暇は、どんな権威にも、絶対に奪わせはしないのだ。
読んでいただきありがとうございます。
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