第五章 権威の失墜と、平民ナースの『因果の請求書』
騒がしい日常と、第一王女からの招待状
帝都にそびえ立つ、壮麗なレオン公爵邸。
その広大な中庭は、今日も朝から私の『絶対有給休暇』を彩る、騒がしくも平和なカオスに包まれていた。
「姉御ぉぉっ! お願いします、三千ルナ! いや、千ルナでいいっす! 今日のルナパラダイスの新台、俺の星の巡りが『座れば億万長者』だと告げてるんです! 絶対に勝って、姉御にルナキン牛丼を一生分奢りますからぁっ!」
朝露に濡れる美しい芝生の上で、伝説のミスリルアーマーを身に纏ったA級冒険者フェイト・ラックが、見事な土下座で私のエプロンの裾にすがりついている。
「ダメって言ってるでしょ! あんた昨日も『絶対勝てる』って言って、前借りしたお給料を三十分でスッてきたばかりじゃないの!」
「ぐふっ……! そ、それはたまたま隣の台のおばちゃんの運気に吸い取られただけで……」
「ちょっと銀ピカ! そんなはした金でパチンコを打つくらいなら、わたくしの路上ライブでスパチャとして投げなさいな! そうすれば、宇宙一の幸せな時間を味あわせてあげますわよ!」
芋ジャージ姿のトップアイドル・リーザが、みかん箱の上からフェイトを威嚇する。
「ギャハハハ! お前ら、朝から元気やなー! ほらフェイト、草むしりのノルマが終わらんと、今日の牛丼抜きやで!」
ウサギ耳を揺らすマシロが、箒を片手に大爆笑していた。
「ああっ……! 姉御の冷たい視線と、アイドルからの罵倒、そしてウサギの姉御の容赦ない肉体労働管理……! これだよこれ、この厳しい管理社会こそが、俺のギャンブル脳を冷やしてくれる最高のデトックス……っ」
「変な性癖を開花させながら喜ぶな! 気持ち悪いわねもう!」
私が呆れ果ててため息をついた、その時だった。
「……朝から私の至宝にまとわりつくとは。その白銀の鎧ごと、帝都の地下水路に沈めてやろうか」
中庭の空気が、一瞬にして絶対零度に凍りついた。
テラスの扉から、漆黒の軍服を隙なく着こなした帝国最高権力者、レオン公爵が冷ややかな視線を投げかけていたのだ。
「ひぃっ!? レ、レオン公爵様! ち、違います、これは純粋な主従のスキンシップで……!」
「消えろ」
「イエッサー!!」
フェイトは弾かれたように立ち上がると、マシロとリーザを引き連れて、凄まじいスピードで中庭の奥へと逃げていった。
「もう、レオン様。あんまり彼らをいじめないでくださいね。あれで結構、良い働きをしてくれるんですから」
私が苦笑しながら振り返ると、レオン様は瞬時にその冷酷な表情を崩し、どこまでも甘く熱を帯びた瞳で私を見つめ返した。
「君がそう言うなら、彼らの存在を許容しよう。だが、君の美しいエプロンにあの男の指紋がつくのは、私の自律神経がひどく乱れる」
レオン様は私の前に歩み寄ると、私の手をそっと取り、その手の甲に恭しく口付けを落とした。
朝の陽光の下で見る天才公爵様の美貌は、相変わらず破壊力が高すぎて、私の心拍数を一気に跳ね上げさせる。
「レ、レオン様……朝からそんな……」
「何度でも言おう。君は今日も、この宇宙で最も愛おしく、美しい」
限界ブラック病棟の殺伐とした朝礼(という名の吊るし上げ)とは天地の差がある、極上のモーニング・ルーティン。
ああ、今日も最高の一日が始まる。
そう思っていたのだが――。
「……レオン様。王城より、急ぎの書状が届いております」
甘い空気を切り裂くように、公爵邸の執事が、銀の盆に乗せた一通の手紙を運んできた。
その手紙には、豪華な金箔が施され、ルナミス王家の紋章が誇らしげに刻印されている。
「……王城から?」
レオン様が手紙を手に取り、封を切る。
その瞬間、彼の漆黒の瞳に、先ほどの甘さとは全く違う、鋭く危険な光が走った。
「どうしたんですか、レオン様。何か問題でも?」
「……第一王女、マリアベルからだ。近日王城で開かれる『白薔薇のお茶会』への招待状。……宛先は、私ではなく、君だ。コハル」
「私に?」
私は思わず目を丸くした。
平民の令嬢である私に、帝国の第一王女から直接お茶会の招待状が届くなど、どう考えても異常事態である。
「マリアベル王女……。あの女、昔から私を自分の『所有物』か何かと勘違いしている節があってな。私が君という平民の女性を公爵邸に迎え入れたことが、彼女の異常なプライド(特権意識)を酷く刺激したのだろう」
レオン様は、手紙を握りつぶさんばかりの力で握りしめた。
「あの傲慢な女が、純真な君をただのお茶会に呼ぶはずがない。公衆の面前で君を『平民の泥人形』と見下し、恥をかかせ、私の庇護下から引き剥がそうという腹積もりだろう。……ふざけた真似を。この招待状は燃やす。いや、王城の離宮ごと物理的に解体してやろう」
レオン様がマジのトーンで国家反逆(王女の暗殺)を企て始めたので、私は慌てて彼の手を両手で包み込んだ。
「待ってください、レオン様! そんなことをしたら、レオン様の立場まで危うくなります!」
「君の安全以上に優先すべき立場など、私にはない」
「だーめーでーす!」
私はキッと彼を睨みつけ、それからゆっくりと微笑んだ。
「大丈夫です。私、逃げませんよ。お茶会、喜んで参加させていただきます」
「コハル……しかし」
「もし私がここで逃げたら、彼女はきっと、レオン様や、私の大切な仲間たち……ギルドの冒険者や、帝都の平民たちにまで理不尽な嫌がらせをしてくるはずです。それに……」
私の脳裏に、限界ナース時代の記憶が蘇る。
権威を振りかざし、下の人間をゴミのように扱う「傲慢なお局看護師長」や「パワハラ医師」。
そういう連中に背を向ければ、相手はますます図に乗るだけだ。彼らを黙らせるには、真正面から受け止め、彼ら自身の傲慢さで自滅するのを待つのが一番効果的なのである。
「それに、私にはレオン様がそばにいてくれますし、通販の力もありますから。いざとなれば、フェイトたちだって助けてくれます」
私が力強く言うと、レオン様は小さく息を吐き、そして……愛おしそうに私の頭を撫でた。
「……君のその気高さと、逃げない強さに、私はいつも救われる。わかった。君がそう望むなら、私も同行しよう。もし王女が君の髪一本でも傷つけようものなら、その瞬間に私が帝国の歴史を終わらせる」
「それはそれで困るんですけどね」
私は苦笑しながら、王城からの招待状を見つめた。
――同時刻。
ルナミス帝国・王城の、絢爛豪華な第一王女の私室。
「……ふふふ。忌々しい、泥人形の平民女。よくも私のレオンをたぶらかしてくれましたわね」
豪奢なドレスに身を包んだ第一王女マリアベルが、鏡の前で扇子を弄びながら、歪んだ笑みを浮かべていた。
彼女の背後には、ゆらゆらと揺らめく不吉な炎の影――『炎上神ワイズ』の加護のオーラが、薄暗くまとわりついている。
「コハル・ルナミス。あの女が広めたというくだらない安全インフラも、平民たちの小賢しいポイント活動も、全て私が王家の権限で握り潰し、私の手柄にして差し上げますわ。……そして、あの小娘には、王城のお茶会で、底辺の泥人形に相応しい『絶望』と『恥辱』を味わわせてやります!」
マリアベルは、紅茶を運んできた下働きのメイドが少し手を震わせたのを見るや否や、容赦なくそのメイドを蹴り飛ばした。
「きゃあっ!」
「不甲斐ないゴミめ! 私の視界に入るな!」
メイドが泣きながら逃げ出すのを見て、マリアベルは高笑いを上げる。
彼女は、身分と権力こそが絶対であり、下の人間は使い捨ての道具であると信じて疑っていなかった。
しかし、この高慢な王女はまだ知らない。
彼女がゴミのように見下し、切り捨てた『下働きの者たち』や『平民たち』の怒りこそが、やがて彼女自身の権威の足元を完璧に崩落させる、致死性の高い【因果の請求書】となることに。
私の絶対有給休暇を脅かす、かつてないスケールの『権威』との戦い。
その波乱に満ちた幕が、静かに、そして確実に上がろうとしていた。
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