EP 8
過保護な公爵の膝枕
冒険者ギルドでの『魔導アラート・システム』の本格稼働を見届け、安全情報が若手冒険者たちにしっかり浸透したことを確認した私は、深い安堵と共に公爵邸へと帰還した。
「はぁ〜……さすがに疲れたわ……」
エントランスホールに入った瞬間、私は肩の力を抜いて大きく息を吐いた。
アラート情報の精査、ポイントを使った気象センサーの配置、そして何より——。
「姉御ぉ〜、今日の労働ノルマは達成したんだから、少しだけルナパラダイスに寄っても……」
「ダメって言ってるでしょ! まっすぐ帰って寝なさい!」
隙あらばパチンコ屋へ向かおうとする白銀の剣鬼(重度のギャンブル狂)を物理的に管理し、監視し続けるという極度の気苦労。
限界ナース時代に『指示を聞かない徘徊患者』を徹夜で見守っていた時と同レベルの精神力をすり減らしていた。
「コハル、お疲れやな。フェイトの首根っこはワテが掴んどくから、コハルは早う休んだ方がええで」
「ありがとう、マシロ。助かるわ」
私が親友の気遣いに微笑んだ、その時だった。
「……私の至宝が、随分と深い疲労のバイタルサインを発しているな」
低く、冷徹でありながら、どこまでも私への熱を帯びた声。
大階段の上から、御前会議を終えて帰還していたレオン公爵が、漆黒の軍服のマントを翻して降りてきた。
その瞳は、私の疲労困憊した顔を見た瞬間、絶対零度の怒りと心配で細められていた。
「レ、レオン様。おかえりなさいませ。少しだけ神経を使っただけで、大丈夫ですよ」
「大丈夫なものか。君の血色が普段の九割程度に落ちている。心拍も微かに乱れているな」
レオン様は瞬時に私の前に立ち、大きな手で私の頬をそっと包み込んだ。
そして、その鋭い視線を、背後でマシロに首根っこを掴まれているフェイトへと向けた。
「……そこの白銀の剣鬼とやら。A級冒険者でありながら、雇い主であるコハルにこれほどの疲労を蓄積させるとは。護衛として完全に無能だな。即刻解雇だ。いや、帝国の端へ追放してやろうか」
「ひぃっ!?」
帝国最高権力者からのガチの追放宣告に、フェイトが「ウサギの姉御ぉぉっ!」と情けない声を出してマシロの背後に隠れた。
「ち、違いますレオン様! フェイトは……その、ちょっと手が掛かるというか、ギャンブルを我慢させるのにコツが要るだけで、いざという時は役に立つんです! 今日も彼のおかげで安全に……」
私が必死に庇う(というより、せっかくルナキンの牛丼で餌付けした戦力を手放したくなかった)と、レオン様は小さくため息を吐いた。
「君がそこまで言うなら、今回のノイズは論理的に不問としよう。……だが、君の疲労は別だ。来なさい、コハル」
レオン様は私の腰を抱き寄せると、そのまま私を抱え上げるようにして、彼自身の私室へと連れて行ってしまった。
「姉御の太客、こえー……」と震えるフェイトの声が遠ざかっていく。
レオン様の私室は、最高級の調度品で整えられた、静寂で満ちた空間だった。
彼は部屋の中央にある、ふかふかのベルベットのソファに腰を下ろすと、私を優しく促した。
「横になりなさい、コハル」
「えっ? 横って、ここでですか?」
「ああ。私の脚の上に」
レオン様は、ご自身の長くて逞しい脚をポンと叩いた。
……ひ、膝枕!?
「そ、そんな! 畏れ多いですし、レオン様の軍服にシワが……!」
「君の疲労を回復させること以上に、優先すべき布の価値などこの世に存在しない。さあ」
有無を言わせぬ、しかし極端に甘い過保護のオーラ。
私は抵抗を諦め、顔を真っ赤にしながら、恐る恐るレオン様の脚の上に頭を乗せた。
軍服の生地越しに伝わる、彼の体温と、しっかりとした筋肉の感触。そして、微かに香る上質な紅茶のような清潔な匂いが、私の緊張をふわりと解きほぐしていく。
「……よく頑張ったな、私のコハル」
レオン様の大きくて温かい手が、私のこめかみにそっと当てられ、ゆっくりと円を描くようにマッサージを始めた。
「んっ……」
絶妙な力加減に、思わず甘い吐息が漏れてしまう。
「ギルドでの君の功績は、内務省の報告網を通じて私の耳にも入っている。君が構築したという情報と予測の『仕組み』……見事だ。魔物に直接手を下すことなく、多くの命を救ってみせた。君のその美しく理にかなった思考回路には、いつも驚かされる」
「……レオン様が、自由に動ける環境を整えてくださったおかげです。私はただ、みんなが怪我をしないように、当たり前のことをしただけで……」
「その『当たり前』ができる者がいないから、世界は淀むのだ」
レオン様の指先が、こめかみから首筋、そして肩へと移動し、私の凝り固まった筋肉を的確にほぐしていく。
前世のブラック病棟では、夜勤明けに泥のように疲れて帰っても、誰も私を褒めてはくれなかった。冷たいアパートのベッドに倒れ込み、次のシフトの恐怖に怯えながら短い眠りにつくだけだった。
それが今は。
私が誰かのために頑張ったことを、この上なく尊いものとして讃え、こうして極上の癒やしを与えてくれる人がいる。
「……コハル。私は、君の献身を愛している。だが、君が無理をして己をすり減らすことは、私の自律神経が絶対に許容しない」
レオン様はマッサージの手を止め、私を上から見下ろした。
その漆黒の瞳には、一切の隠し立てもない、熱を帯びた深い独占欲と溺愛が渦巻いていた。
「君は、私の庇護下で、ただ微笑んでいればいい。君を脅かすノイズは全て私が排除するし、君の望むものは全てこの手で叶えよう。……だから、こんなふうに君の心と体を癒やす権利は、私だけのものにさせてくれ」
甘く、重く、心臓が溶けてしまいそうな愛の言葉。
レオン様の顔がゆっくりと近づき、私の額に、そして鼻先に、羽のように優しい口付けが落とされた。
「……はい、レオン様……」
私は、彼の温かい手に自分の手を重ね、幸福感に包まれながらそっと目を閉じた。
全身の疲労が、レオン様の甘い溺愛によって完全に中和され、溶けて消えていくのを感じる。
(私、本当に……幸せだなぁ)
私の絶対有給休暇は、この無敵の過保護公爵様がいる限り、絶対に揺らぐことはない。
——そう。私の身の回りは、完璧に守られ、満たされている。
だからこそ、私が見限った者たち……あのアラート掲示板を蹴り飛ばし、自らの傲慢さだけで危険地帯へと突き進んでいったS級冒険者たちが、今、未開拓領域の奥地でいかなる地獄(自滅)に直面しているかなど。
レオン様の腕の中で微睡む私には、知る由もなかったし、気にかける必要すら全くなかったのだ。
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