EP 5
運に頼らない
帝都から馬車で数時間ほどの距離にある、未開拓領域の入り口『迷わずの森』。
私は今後の『安全インフラ』の整備に必要な薬草や、特殊な鉱石のサンプルを採取するため、マシロとフェイトを伴って森の浅い階層を探索していた。
「あーあ……。今頃、帝都のルナパラダイスじゃ新台が絶賛稼働中なのになぁ。俺の星の巡りが『今日打てば蔵が建つ』って囁いてるのに……」
最後尾を歩くフェイトが、ミスリルアーマーをガシャガシャと鳴らしながら、この世の終わりのような声でボヤいている。
「文句言わないの。月給30万の前借り分(※牛丼とタバコ代)は、きっちり労働で返してもらうわよ」
「へーい、わかってますって、姉御。……おっ、ウサギの姉御、右の茂みから低級ゴブリンが三匹来ますぜ」
フェイトが気怠げに視線を向けた先から、小柄な魔物が飛び出してきた。
「おう! 任せとき!」
マシロがウサギ耳をピンと立て、カゴを置くや否やマッハの速度で飛び出し、瞬く間にゴブリンたちを蹴り飛ばしてしまった。
「……うん、やっぱりマシロは強いわね。フェイト、あんたは索敵だけじゃなくて、いざって時はちゃんと戦ってよね」
「当然っすよ。俺は白銀の剣鬼。姉御にピンチが訪れれば、このミスリルの大剣が火を吹き……ん?」
フェイトの言葉が途切れた。
同時に、私のナースとしての『危険予知センサー』が、背筋に冷たいものを走らせた。
ズシンッ……! ズシンッ……!!
森の奥から、木々をなぎ倒しながら巨大な影が迫ってくる。
現れたのは、体長3メートルを超える巨大な猪の魔物――『鋼皮の突進猪』だった。その毛皮は金属のように硬く、巨大な牙には血の跡がこびりついている。
明らかに、森の浅い階層にいるはずのない『イレギュラー』な強敵だ。
「ブモォォォォォォッ!!」
アイアン・ボアが赤い目を血走らせ、一直線に私の方へと突進の構えを見せた。
「コハル、危ないっ! ワテが止める!」
マシロが飛び出そうとするが、先ほどのゴブリンの対処で少しだけ距離が離れている。間に合わないかもしれない。
「ウサギの姉御、ここは俺の出番だ!!」
フェイトが、私の前に躍り出た。
彼の手にはミスリルの大剣――ではなく、一枚の『銀貨』が握られていた。
「フェイト!? 何してるの、剣を抜きなさいよ!」
「姉御、見ていてくだせえ! こんな強敵の前で、俺が『表』を出して能力2倍のバフをかけ、一撃でこのデカブツを真っ二つにすれば……俺は姉御にとっての、そしてこの森の伝説になるッ!!」
完全にギャンブル脳(魅せプの欲求)に支配されている。
普通に戦えばA級冒険者の彼なら勝てるはずなのに、どうしても『コイントスで劇的な逆転』という脳汁の出るシチュエーションを我慢できないのだ。
「いっけぇぇぇっ! 俺の運命!!」
ピィーンッ!
銀貨が空高く弾き上げられた。
アイアン・ボアの蹄が地面を蹴り、猛スピードで突進してくる。
空中のコインが回転し、フェイトの手の甲に落ちた。
チャリン。
「…………あっ」
フェイトの顔が、絶望に染まった。
出目は『裏』。
「げふっ……!!」
フェイトはアイアン・ボアが迫り来る中、突如として大量の吐血を撒き散らし、白目を剥いて地面にドサァッと倒れ込んだ。
裏を引いたことによる、強制的な極大デバフ(吐き気と激しい倦怠感による睡眠)である。
「姉御ぉ……俺、今日はお休み……むにゃ」
「バカァァァァァッ!! なんでこんな時にギャンブルするのよ!!」
私を庇うどころか、私の目の前で一番の障害物となって熟睡し始めたフェイト。
アイアン・ボアの巨大な牙が、容赦なく私たちに迫る。
(……このままじゃ、二人とも串刺しになる!)
恐怖で足がすくみそうになるが、限界ブラック病棟で培った私の思考回路は、パニックを起こす代わりに極めて冷徹な『トリアージ(優先順位付け)』を開始した。
『運』や『奇跡』なんかに頼るから死ぬのだ。
医療も、生存も、泥臭い『準備(仕組み)』と『機転』こそが全てである。
私は瞬時にエプロンのポケットのスマホを操作し、【通販】のポイントを消費した。
「マシロ! 猪の注意を逸らして!」
「おうっ!」
マシロが石を投げつけ、アイアン・ボアの突進の軌道が僅かにそれた瞬間。
私は、フェイトが倒れている場所と猪の直線上――森の獣道という『狭くて逃げ場のない地形』を利用し、召喚したアイテムを地面に思い切り広げた。
それは、現代日本が誇る害獣駆除の最終兵器。
『超強力・害獣捕獲用粘着シート(巨大サイズ・業務用)』である。
「さらに、これも!」
私はシートの手前の地面に、もう一つのアイテム――『超ぬるぬる摩擦ゼロ・業務用水溶性ローション』を豪快にぶちまけた。
「ブゴォォォォォッ!!」
方向を修正し、再び私に向かって猛突進してくるアイアン・ボア。
その巨大な蹄が、ローションを撒いた地面に踏み込んだ。
「ブビッ!?」
鋼の毛皮を持つ恐ろしい魔物は、摩擦係数ゼロの地面で見事に足を滑らせ、そのままの猛スピードでズザーーッと前方にすっ転んだ。
そして、その顔面と巨体が、私が待ち構えていた『超強力粘着シート』のど真ん中へとダイブしたのだ。
ベチャァァァァァッ!!!
「ブモッ!? ブモモモモッ!?」
アイアン・ボアは立ち上がろうと暴れるが、現代科学の粋を集めた業務用の粘着力は異常だった。暴れれば暴れるほど、粘着剤が鋼の毛皮に絡みつき、やがて巨大な猪は「ブヒィ……」と情けない声を上げて完全に身動きが取れなくなった。
「マシロ! 今よ!」
「おっしゃー! ワテの必殺・脳天カチ割りキックやーっ!」
身動きの取れない猪の頭に、マシロのマッハの蹴りがクリーンヒット。
アイアン・ボアは白目を剥いて、完全に気絶した。
「……ふぅ。なんとか無血で制圧完了ね」
私はホッと息を吐き、乱れたエプロンを整えた。
「う、うーん……あれ? 俺、どうなったんすか……」
数分後。
デバフの睡眠から目覚めたフェイトが、のそりと体を起こした。
彼の視界に飛び込んできたのは、巨大な粘着シートに張り付いてピクピクしている巨大魔物と、その横で腕を組んで仁王立ちしているナース服の私だった。
「……姉御。これ、どうやって倒したんすか? 魔法? それとも、俺が寝てる間に奇跡が起きたとか……」
「奇跡じゃないわ。ただの物理よ」
私は冷ややかな目でフェイトを見下ろした。
「あんたは『運』でヒーローになろうとしたけど、現実は見ての通りよ。運に頼る人間から死んでいくの。私はね、奇跡が起きるのを待つんじゃなくて、絶対に死なないための『仕組み(罠)』を自分の頭で考えて作ったのよ」
「仕組み……」
フェイトは、粘着シートとローションという、見たこともないが極めて理にかなった泥臭い罠をまじまじと見つめた。
伝説の装備も、魔法の力も使っていない。ただの知恵と機転だけで、A級の自分ですら苦戦するはずの魔物を無力化している。
「……姉御」
フェイトは、ゴクリと唾を飲み込み、そして……今度はふざけた様子ではなく、本気の尊敬を込めた目で私を見上げた。
「俺は……運こそが全てだと思ってました。でも、あんたのその泥臭くて絶対的な『生存への執念』は……俺のミスリルよりも、ずっと強くてカッコいい」
「……当たり前でしょ。次はサボったら、この粘着シートであんたを簀巻きにするからね」
「はいっ! 一生ついていきます、姉御ォォッ!」
クズでギャンブル狂のダメ男の心に、ルナキンの牛丼とはまた違う、確かな『忠誠心』と『尊敬(絆)』が芽生えた瞬間だった。
(これでフェイトも、いざという時はまともに働いてくれるわね)
私は彼に【通販】で買った解毒の薬草茶を差し出しながら、心の中でガッツポーズをした。
ただの賑やかしのコマではなく、私の安全システムを物理的に守る最強の戦力(※ただしコイントス禁止)の加入である。
しかし、私たちがこうして絆を深め、泥臭い『安全の価値』を共有していた一方で。
帝都の冒険者ギルドでは、私のやり方を「弱者の戯言」と鼻で笑い、ワイズのヤラセに胡座をかく傲慢な者たちが、破滅へのカウントダウンを始めていた。
私の絶対有給休暇。
その裏で進行する『ざまぁ』の主食の時間が、いよいよ本格的に幕を開けようとしていた。
読んでいただきありがとうございます。
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