EP 3
ポポロ・シガレットとルナキンの牛丼
「うぅ……気持ち悪い……頭痛い……それに腹減った……」
帝都の路地裏。
パチンコ屋『ルナパラダイス』から引きずり出されたフェイト・ラックは、ゴミ箱の横にへたり込み、この世の終わりのような顔で天を仰いでいた。
『コイントス』の裏による強制デバフと、全財産をスロットに吸い込まれた絶望。そして、極度の空腹。
かつて白銀の剣鬼と恐れられたA級冒険者の面影は、そこには1ミリも存在しない。
「……あ、あれは俺が三日前に捨てたポポロ・シガレットのシケモク……。まだ……ギリギリ吸える長さだ……」
虚ろな目をしたフェイトが、地面に落ちている泥まみれの吸い殻に向かって、震える手を伸ばした。
「やめなさい! 不衛生極まりないわよ!」
私は元ナースの条件反射でフェイトの手をビシッと叩き落とした。
「いてっ! な、なにするんすか雇い主様! 今の俺にはニコチンとタールと、あと銀玉しか残されてないんですよ! 飯を食う金も一ルナたりとも……!」
「自業自得でしょ! 月給30万の初日にパチンコで全財産スるなんて、どこの世界のダメ人間よ!」
私が説教すると、フェイトは「うぅ……」と顔を覆って泣き真似を始めた。
本当にどうしようもないクズだ。レオン様にお願いして即刻クビにしてもらうこともできるが……彼のその「伝説のミスリルアーマー」の下にある筋肉の質や、剣だこが刻まれた手のひらは、決して偽物ではない。
腐ってもA級。この男をしっかり「管理」して使い潰す……もとい、働かせることができれば、私の安全衛生インフラ計画の強力な駒になるはずだ。
「おいコハル。こいつ、ホンマに伝説の剣士なんか? 鳩と戦っとった頃のリーザより酷いで」
マシロがウサギ耳を呆れたように垂らす。
「マシロ、こういう患者……じゃなくてダメな大人にはね、説教よりも先に『生存の基本欲求』を満たしてやるのが一番手っ取り早いアプローチなのよ」
私はエプロンのポケットからスマホを取り出し、【通販】アプリを開いた。
今回使うポイントは、物品の購入ではない。異世界のデリバリーシステム『ルナイーツ』との連携召喚だ。
「フェイト。あんた、牛丼は好き?」
「……牛丼? ルナキン(ルナミス・キッチン)の牛丼ですか? 好きですけど……お金ないっすよ」
ルナミス・キッチン。通称『ルナキン』は、このアナステシア世界において、安くて美味くて早いことで有名な魔導ファストフードチェーンだ。
「私が奢ってあげる。ただし、食べたら私の護衛としてキッチリ働いてもらうわよ」
私がアプリの画面をタップすると、空中に小さな魔導陣が展開し、ポンッという小気味良い音と共に、一つの紙袋が現れた。
「おおっ! デリバリー召喚や!」
「な、魔導空間からの転送!? 一体どんな高位魔法を……!」
フェイトが驚愕で目を見開く中、私は紙袋の中から、アツアツの湯気を立てる大きな黒いドンブリと、小さな銀色の箱を取り出した。
「ルナキン帝都本店の『特盛り牛丼・つゆだく・温玉乗せ』よ。……それと、これは食後のデザート」
私が小さな銀色の箱をフェイトの胸にポイッと投げ渡す。
「こ、これは……最高級品の『ポポロ・シガレット(金箱)』!? 一箱で平民の月給が飛ぶっていう幻の嗜好品……! こ、こんなもん、俺みたいな借金まみれの冒険者が……!」
「いいから食べなさい。冷めるわよ」
フェイトは信じられないものを見るような目で私とドンブリを交互に見つめた後、ガタガタと震える手で割り箸を割った。
「い、いただきます……っ!」
フェイトは、ドンブリを両手で抱え込み、野獣のような勢いで特盛り牛丼を掻き込み始めた。
「うっ……! うめぇっ……!!」
大粒の涙が、彼の無精髭の頬をボロボロと伝い落ちる。
「甘辛いタレがたっぷり染み込んだ肉……! シャキシャキの玉ねぎ……! そこで温玉を崩して、黄身のまろやかさが白飯と絡み合って……! くそっ、美味すぎる……!」
「おうおう、ええ食いっぷりやな、新人!」
マシロが隣にしゃがみ込み、ポンポンとフェイトのミスリルの肩を叩く。
「コハルの出す飯は世界一やろ! ワテも最初はこの美味さに胃袋を掴まれたんや。お前も今日から、コハル親衛隊(餌付け組)の仲間入りやな!」
「ウサギの姉御……っ! はい、ルナキンの牛丼がこんなに五臓六腑に染み渡るなんて……俺、生きててよかったです……っ!」
ものの数分で特盛り牛丼を平らげたフェイトは、ドンブリをピカピカにして地面に置いた。
そして、震える手で『ポポロ・シガレット(金箱)』を開封し、一本を口に咥える。
私がマッチで火をつけてやると、彼は深く、深く煙を吸い込んだ。
「スゥゥゥゥ………………ふぅぅぅぅぅぅ…………」
紫煙が路地裏の空気に溶けていく。
フェイトの死んだ魚のようだった三白眼に、ゆっくりと『生気』が戻ってくるのがわかった。
「……整った」
フェイトは、まるで悟りを開いた僧侶のような、清々しい表情で天を仰いだ。
「コハルさん……いや、コハル姉御」
フェイトは居住まいを正し、ミスリルの鎧を鳴らして、私の前に片膝をついた。騎士の礼である。
パチンコ屋でスロットを打っていたダメ人間とは思えないほど、その立ち姿は美しく、そして様になっていた。
「このフェイト・ラックの命、そして剣。今日から姉御のために振るわせていただきます。魔物の群れだろうが、厄介な貴族だろうが、姉御の敵は俺が全て斬り伏せましょう」
「へぇ。本当に?」
「はい! 伝説の剣鬼の名にかけて、誓います!」
「じゃあ、明日の朝6時に公爵邸の前に集合ね。寝坊と、親戚の犬の葬式の言い訳は禁止よ」
「承知いたしました! ……あ、その前に一つだけ、お願いが……」
フェイトは騎士の礼をしたまま、スッと真顔になって上目遣いで私を見た。
「あの……今日の牛丼の恩は一生忘れません。ですから……明日のパチンコ代として、月給を5万ルナほど前借りさせていただけないでしょうか? 明日は新台の導入日でして、俺の星の巡りが『絶対勝てる』と告げているんです!」
「…………」
私は無言で、彼からポポロ・シガレットの金箱を取り上げた。
「ああっ!? 姉御ぉぉっ! タバコ! 俺の生命線がぁぁっ!!」
「前借りは絶対に認めないし、パチンコ屋への立ち入りも禁止! これからあんたのお給料は私が全額管理して、働きに応じてルナキンの牛丼券とタバコを現物支給してあげるわ!」
「そんな! 悪魔! 鬼! ナース服を着た独裁者!!」
「ギャハハハ! お前、ホンマにオモロイ奴やな!」
マシロが腹を抱えて大爆笑している。
かくして。
月給30万の専属護衛、フェイト・ラック(25歳・重度のギャンブル狂)は、たった一杯の特盛り牛丼と高級タバコによって、見事に私の首輪(管理下)に繋がれることとなった。
彼が本当に伝説の剣士なのか、それともただのポンコツなのか。
それはまだ未知数だったが……少なくとも、私の『絶対有給休暇』に、新たな騒がしいカオスの仲間が一人増えたことだけは間違いないようだった。
読んでいただきありがとうございます。
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