EP 8
一番のスポンサー
「……こんな時間まで、一人で私の心を乱す気か」
夜の冷え込みが厳しくなり始めた皇城のメイン広場。
背後からふわりと掛けられた漆黒の軍服のマントと、私をすっぽりと包み込む力強い腕の感触に、私は小さく息を呑んだ。
「レ、レオン様。お仕事は……」
「今終わらせてきた。私の至宝が、夜風の中で図面などという紙切れと見つめ合っていると知って、自律神経を平静に保てるほど私はできた人間ではないのでね」
耳元で低く囁かれる声。
レオン様の体温と、微かに香る上質な紅茶のような清潔な匂いが、冷えていた私の体を芯から甘く溶かしていく。
限界ナースだった前世では、残業で深夜になろうと、誰かが迎えに来てくれることなんて絶対にあり得なかった。暗い夜道を一人で歩き、コンビニの袋を提げて冷え切ったアパートに帰るだけの孤独な日々。
それが今では、この広大な帝国の最高権力者が、ただ私一人を心配して、仕事を終わらせて駆けつけてきてくれるのだ。
「ありがとうございます、レオン様。でも、もう準備は完璧に終わりましたから」
私が振り返ろうとすると、レオン様は私を抱きしめる腕の力を少しだけ強め、それを許してくれなかった。
背中に、彼の広くたくましい胸板がぴったりと密着する。
「……もう少しだけ、このままでいさせなさい。君の心拍音が背中越しに伝わってくるこの状態が、私にとって最も論理的に落ち着く休息なのだ」
「レオン様……」
「コハル。君は本当に、不思議な女性だ」
レオン様は私の肩にそっと顎を乗せ、星空の下に完成した『特設ステージ』と、広場のあちこちに配置された換気ダクトを見渡した。
「魔法の力を持たぬ君が、これほどまでに緻密で、強固で、確実な物理の『仕組み』を作り上げてしまう。あの魔法院の老害どもがどれほど魔法を過信しようと、君の構築したこの安全装置の前では、ただの児戯に等しい」
「魔法は便利ですけど、万能じゃないですから。……私はただ、リーザちゃんが安心して歌える場所を作ってあげたかっただけです」
「そう。君は自分のためではなく、いつも誰かのために全力を尽くす」
レオン様の大きな手が、私の手に重なり、指の隙間を埋めるようにゆっくりと絡め取られた。
そのまま、私の手を大切そうに持ち上げ、彼自身の頬にすり寄せる。
「友の夢を守るために、泥臭く図面を引き、機材を運び、一切の妥協なく戦う君のその姿を……私は、心から愛おしく思う」
「っ……!」
「愛おしい」という、直球すぎる甘い言葉。
彼の熱い吐息が私の手の甲にかかり、そこから火がついたように全身の体温が急上昇していくのがわかった。
「で、でも、私は……レオン様にたくさんわがままを言って、権力で広場を押さえてもらったりして……」
「それがどうした。君が私を頼ってくれること以上に、私の存在意義を満たすものなどない」
レオン様は私をゆっくりと振り返らせ、その漆黒の瞳で私の目を真っ直ぐに射抜いた。
「あの奇妙な人魚が『ファンから全てを奪うのがアイドルだ』と豪語していたが。……私の視界も、思考も、権力も、とうの昔に君という一人の女性に完全に奪われ尽くしている。私にとっては、君のその存在そのものが、どんな魔法よりも強力な特大の奇跡なのだ」
甘く、重く、どこまでも深い独占欲と溺愛。
レオン様の顔が、ゆっくりと近づいてくる。
逃げ場なんて最初からない。逃げる気もない。
私は、高鳴る胸の音を彼に聞かれながら、そっと目を閉じた。
夜の静寂の中、触れ合うだけの、優しくて柔らかな口付け。
おでこや頬ではなく――唇に落とされた、ひどく甘く、熱い感触。
「……んっ……」
ほんの数秒。けれど、永遠にも感じられるほど濃密な時間が流れ、レオン様はゆっくりと唇を離した。
至近距離で交わる視線。
彼の瞳は、限界まで熱を帯びて揺らめいていた。
「君のその熱を帯びたバイタルサインは……私への見事な『報酬』だな」
「レ、レオン様っ……からかわないでください……っ」
顔から火が出そうになってうつむく私を見て、レオン様は満足げに低く笑った。
「からかってなどいない。私は至極真面目だ。……明日のステージ、魔法院の連中がどんな姑息な陰謀を仕掛けてこようと、君の作った完璧なシステムがそれを無効化するだろう」
レオン様は私の頭を優しく撫で、冷徹で絶対的な『帝国最高技術顧問』の顔へと戻った。
「そして、連中がボロを出した瞬間に、私が手配した内務省の隠密と憲兵隊が、魔法院の長老どもを一網打尽にする。彼らが君を見下し、君の友のステージを穢そうとしたその因果を、完璧な社会的死という形で精算させてやろう」
「……はい。よろしくお願いします」
「ああ、任せておきなさい。……言っただろう? この私が、君と君の友のステージの『一番のスポンサー』なのだから」
彼はそう言って不敵に微笑むと、私をエスコートするように腕を差し出した。
その腕にそっと手を添えながら、私は確信していた。
魔法院の老害たちが、どれほど強大な魔法の力を持っていようとも関係ない。
彼らは明日、自分たちが見下した『魔法を持たないシステム』と『非魔力のアイドル』の前に完全に敗北し、自滅する。
決戦の日は、もう目の前に迫っていた。
私の胸の中には、明日リーザちゃんが作り出す『宇宙一の幸せな時間』への期待と、隣を歩く過保護な公爵様への甘いときめきだけが、温かく満ち溢れていた。
読んでいただきありがとうございます。
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