EP 5
宇宙一の幸せな時間
深夜の宴会(ファミレス女子会)から一夜明けた、昼下がり。
公爵邸のサロンに、場違いなほどの絶叫が響き渡った。
「お、終わりましたわ……! わたくしの命も、ルナミス帝国の運命も、全て海の底に沈みますのぉぉぉっ!!」
頭を抱え、床をゴロゴロと転げ回っているのは、芋ジャージ姿のリーザだ。
彼女の手には、差出人の欄に『海中国家シーラン・女王リヴァイアサン』と記された、豪奢な貝殻の装飾が施された手紙が握られている。
「ど、どうしたのリーザちゃん。お母様からの手紙よね?」
「手紙どころの騒ぎじゃありませんわ! お母様が……あの、怒ると海を真っ二つに割るというお母様が! 近々この皇城で開かれる『聖星祭』に、視察にいらっしゃるそうですの!!」
「視察って……親善大使としての仕事ぶりを?」
私が尋ねると、リーザは涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、首を激しく横に振った。
「違いますわ! わたくしが手紙で『ルナミス帝国でトップアイドルとして大成功し、毎日万雷の拍手を浴びていますの!』と大嘘を書き連ねてしまったせいで……お母様、『愛娘の輝かしいステージを、一番の特等席で見せてもらうわ』と!!」
「……」
私は、言葉を失った。
今現在のリーザの『ステージ』といえば、公園の片隅に置かれたみかん箱の上である。
そこで、ルナミスデパートの特売芋ジャージを着て、鼻に五円玉を詰め、『ハゲたぬきのポンポコ節』を腹鼓を打ちながら歌っているのだ。
もし、その姿を、他国の恐ろしい女王様が見たら。
「愛娘をこんな乞食同然の地下アイドルにしおって!」と激怒し、ルナミス帝国に宣戦布告してくるかもしれない。
「どうしよう……逃げますわ! 今すぐ荷物をまとめて、誰も知らない山奥で、木の実を拾って暮らす地下アイドルに……」
パニックになり、震える手で健康サンダルを履き直そうとするリーザ。
私は、彼女の細い肩をそっと両手で掴み、真っ直ぐにそのブルーの瞳を見つめた。
「落ち着いて、リーザちゃん。逃げるなんてダメよ。……あなた、本気でトップアイドルになりたかったんじゃないの?」
私の問いかけに、リーザの動きがピタリと止まった。
「そもそも、どうしてそんなにアイドルに執着するの? 親善大使として大人しくしていれば、美味しいご飯も食べられたし、安全でふかふかなベッドで眠れたはずよ」
鳩とパンの耳を争い、五円玉を磨いて顔面を殴られても。
なぜ彼女は、みかん箱の上に立ち続けたのか。
リーザは少しの間俯き、やがて、ポツリポツリと語り始めた。
「……コハルさん。私がステージに立って歌うと、ファン達の『時間』を奪うことができるんです」
「時間を奪う?」
「そうです。みんな、仕事や生活で辛いことや、考えなきゃいけないことがたくさんあるはずなのに。私が歌っているその瞬間だけは、全部忘れて、私だけを見てくれるんですの」
リーザの瞳の奥に、ただの純真さではない、ある種の『狂気』にも似た執着の炎が揺らめいた。
「だから、私は……ファン達の『世界』そのものになりたいんです。彼らの視線も、お金も、心も、何もかもを全部奪い尽くして……その代わり、彼らの人生に『宇宙一の幸せな時間』を味わわせてあげるんです」
限界ナースだった私の心臓が、その言葉を聞いて、ドクンと大きく跳ねた。
彼女の哲学は、一見すると強欲で身勝手に見えるかもしれない。
けれど。
(……仕事や生活で辛いことを、全部忘れる時間……)
前世の私には、それが一番必要だった。
睡眠時間を削られ、お局に理不尽に怒鳴られ、身も心もボロボロだった夜勤明け。
もしあの時、全てを忘れさせてくれるような圧倒的な『光』が、私だけの世界になってくれる『アイドル』がいてくれたら。私の心は、あんなにも簡単に限界を迎えて、過労死することはなかったかもしれない。
「私は運命、私は物語……だから貴方達の全てをちょうだい♡ Love & Money!! ……これが、わたくしのアイドルの信条ですわ」
言い切ったリーザの顔は、芋ジャージを着ていても、紛れもなく気高く美しい『人魚姫』であり、人々を熱狂させる『アイドル』のそれだった。
「……かっこええやんけ」
隣で聞いていたマシロが、鼻をすする音を立てた。
「お前のその強欲な覚悟、ワテは嫌いやないで! むしろ、推せるわ!」
「マシロ先輩……!」
私も、心の中で完全に決意を固めていた。
彼女のこの熱い魂を、魔法至上主義の老害たちに潰されたり、女王の怒りで終わらせたりしてなるものか。
私の『絶対有給休暇』には、彼女が作り出す『宇宙一の幸せな時間』が必要だ。
「リーザちゃん。逃げる必要はないわ」
私は立ち上がり、彼女に向かって力強く微笑んだ。
「女王様が来る聖星祭で、あなたが『トップアイドル』であることを、完璧に証明すればいいのよ」
「えっ……で、でも、わたくしにはステージも、衣装も、ファンも……」
「ファンならここにいるで! ワテが最前列で声出したるわ!」
マシロが胸をドンと叩く。
「衣装とステージは、私が【プロデューサー】として、完璧なものを用意するわ。あなたには、一切の妥協のない最高の舞台に立ってもらう」
私はエプロンのポケットにあるスマホをギュッと握りしめた。
私には、善行ポイント通販で培った『現代の知識と仕組み』がある。ただの魔法の力に頼らない、科学的で安全、かつ圧倒的な音響と照明を備えたステージを、この手で作り上げてみせる。
「コハルさん……! でも、聖星祭の舞台なんて、平民や地下アイドルが勝手に使えるようなものじゃありませんわ! 魔法院の許可が必要ですし、何より強力な後ろ盾が……」
リーザが不安そうに震えた、その時だった。
「その後ろ盾なら、ここにある」
静かで、しかし絶対的な重圧を伴う声がサロンに響いた。
扉にもたれかかるようにして立っていたのは、腕を組んだレオン公爵だった。いつからそこで聞いていたのだろうか。
「レ、レオン様……」
「コハル。君がその奇妙な人魚の舞台を作りたいと願うなら、聖星祭におけるメイン広場の使用権限は、この私が帝国最高技術顧問の権限で強制的に確保しよう。魔法院の許可など不要だ。私が法だ」
公爵様からの、あまりにもチートすぎる国家権力の行使宣言。
「いいんですか!? 女王様との外交問題に関わるかもしれないですよ?」
「君の美しい瞳に決意の炎が宿っているのを見た。君が誰かのために全力を尽くす時、私がそれを阻む論理などこの宇宙のどこにも存在しない」
レオン様はゆっくりと歩み寄り、私の手を取って、その手の甲に恭しく、しかし熱を込めて口付けを落とした。
「……私の至宝が望むなら、世界を巻き込んででも叶えよう。君はただ、己の信じるままにプロデュースとやらを楽しめばいい。降りかかる火の粉は、全て私が叩き落とす」
「っ……レオン様……!」
圧倒的な溺愛と、最強のバックアップ。
彼の瞳に見つめられ、私の胸の奥がキュンと熱く締め付けられる。
「うわぁぁん! コハルプロデューサー! レオン太客様! マシロ古参ファン先輩ぃぃっ!!」
リーザが感極まって、私たち三人にまとめて抱きついてきた。
「よっしゃー! 聖星祭はワテらのライブで完全制覇や!」
「ちょ、マシロ、苦しいわよ! ふふっ、あははっ!」
温かい絆と、最高の仲間たち。
魔法院の老人たちがどんな陰謀を巡らせようとも、私たちなら絶対に跳ね返せる。
地下アイドルから、絶対無敵のトップアイドルへ。
私たちの、聖星祭に向けた怒涛のステージ設計と特訓が、ここに幕を開けたのだった。
読んでいただきありがとうございます。
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