EP 3
「君の魔法は役に立たない」……やったー! 合法的な退職(追放)だ!
「コハル・ルナミス! 回復魔法も使えない、基礎闘力わずか2馬力の無能め! お前との婚約を破棄し、この国から追放する!」
帝都の夜会。星屑を固めたような眩いシャンデリアの光が降り注ぐフロアの中心で、私の婚約者――エリート魔闘騎士のゼロスが、よく響く声で高らかに宣言した。
不自然なほど真っ白な歯(※美容整形の賜物らしい)が、シャンデリアの光を反射してキラリと光る。彼は厚底のブーツを履いて精一杯身長を高く見せながら、派手なドレスを着た見知らぬ令嬢の腰を抱き寄せていた。
音楽が止まり、周囲を取り囲む貴族たちがざわめきと共に、一斉に私へと同情や嘲笑の視線を向ける。
『あんな公衆の面前で捨てられるなんて……』
『ルナミス家の令嬢は、2馬力しか出せない虚弱体質らしいわよ』
……ああ、痛い。憐れみと嘲笑の視線が突き刺さる。
普通の実家暮らしの箱入り令嬢なら、ショックのあまり膝から崩れ落ちて泣き叫び、気絶してもおかしくない場面だろう。
でも、私の胸の奥で鳴り響いていたのは、絶望の鐘などでは決してなかった。
脳内では今、色とりどりの紙吹雪が舞い散り、盛大な歓喜のファンファーレが鳴り響いている。
(キタ、キターーーッ!! これよ、これ! 私への輝かしい退職勧告!!)
私は両手で顔を覆い、華奢な肩を小刻みに震わせた。
「あぁ……そんな……」
悲劇のヒロインを完璧に演じながら、必死で笑いが吹き出すのを堪える。
前世での退職手続きは、控えめに言って地獄だった。
『辞める? あんたが抜けたら誰が夜勤回すのよ! 無責任にも程があるわよ!』
『君ねぇ、患者さんを見捨てる気? プロとしての自覚が足りないんじゃない?』
お局師長や高圧的な医師に個室へ呼び出され、罪悪感を執拗に植え付けられた。退職届は何度出しても「預かっておく」と有耶無耶にされ、辞めることすら許されずにボロ雑巾のように搾取され続けた末の、心不全による過労死。
それに比べて、今の状況は何というスムーズな有給消化&退職手続きだろうか!
自分から言い出す精神的負担もゼロ。面倒な引き継ぎ書類の作成も、嫌味を言われる送別会も一切なし。しかも、公衆の面前で会社のトップ(婚約者)自らが「明日から来なくていい」と公式に宣言してくれているのだ。
ブラック環境からの解放劇として、これ以上ないほど完璧なシチュエーションである。
「泣いても無駄だ! 俺の心は既に決まっている!」
私が絶望に打ちひしがれていると勘違いしたゼロスが、さらにふんぞり返って胸を張った。
「俺たちは明日から、最前線の討伐任務へ向かう! 軍から特別に支給される超圧縮レーション『3型』を食べ、俺たちの圧倒的な闘気で魔族どもを蹴散らしてやるのだ! 傷など、闘気と気合いでどうにでもなる! 魔法すら使えぬ足手まといのお前など、1秒たりとも必要ない!」
ゼロスの勇ましい言葉に、周囲の取り巻きたちが「おおっ!」と感嘆の拍手を送る。
しかし、顔を覆った私の目は、極めて冷徹な、限界ナースのそれに切り替わっていた。
……最前線?
この、手洗いや消毒という衛生観念がゼロのアナスタシア世界で?
おまけに、あの悪名高き超圧縮レーション『3型』を食べるって言った?
たしか実家の使用人たちが「スライムの凝固剤とロックバイソンの骨粉を固めた、消しゴムみたいな食感で胃酸の匂いがするゲロオムレツ」だと怯えていた、あの呪われた軍用食を?
傷は気合いで治す? いやいや、冗談じゃない。
泥まみれの不衛生な戦場でできた傷を、消毒もせずに放置すればどうなるか。待っているのは化膿、敗血症、そして破傷風の地獄だ。
闘気とやらがどれだけ凄くても、細胞レベルで侵食してくる細菌には勝てない。ましてや、猛烈なストレスと劣悪な食事で免疫力はダダ下がりのはずだ。
(あっ……この人たち、放っておいても勝手に自滅するわね……)
ナースとしての私の頭の中で、得意げに笑うゼロスとその部隊の額に『黒(死亡、または対応不可)』のトリアージ・タッグがペタリと貼られた。
業務時間外の私には、彼らを止める義理も、無償で治療してあげる義務もない。どうぞご勝手に、気合いとやらで破傷風菌と戦ってくださいませ。
「ゼロス様の言う通りだ。ルナミス家の恥晒しめ!」
追い打ちをかけるように、実の父親である男爵が前に進み出て、私を冷酷に睨みつけた。
「お前は今日限りで勘当だ! 荷物をまとめて、今すぐこの場から立ち去れ!」
「……はい。今まで、本当にありがとうございました」
私は静かに顔を上げ、深々と、完璧な角度で一礼した。
今まで私を無能だと放置してくれて、そしてこんなに簡単に手放してくれて、本当にありがとう。
未練の一片もない。私は古びたドレスの裾を軽く持ち上げると、すたすたと、まるで羽が生えたかのように軽い足取りで夜会の会場を後にした。
足取りが弾みそうになるのを抑えるのに必死だった。心の中では「さよならブラック企業! こんにちはスローライフ!」と叫んでいる。
私を搾取しようとする全てのものからの、晴れやかな追放の旅立ちだった。
その凛とした、というか、どこからどう見ても『めちゃくちゃ嬉しそうな』後ろ姿を、会場の壁際からじっと見つめる一人の男がいた。
帝国の最高位、レオン・ド・ルナミス公爵である。
マルクス皇帝の従兄弟であり、帝国軍の最高技術顧問を務める彼は、合理的科学と冷徹なデカルト的論理を愛するがゆえに、この退屈な社交界を酷く嫌っていた。
しかし今、彼の端正な顔には、微かな、しかし決定的な興味の色が浮かんでいる。
レオン公爵は、手元の魔導デバイス――対象の生体反応を数値化して可視化する最新鋭のモノクル――を静かに下ろした。
そして、得意満面で高笑いするゼロスたちを「己の末路も想像できぬ愚か者どもが」と冷たい目で見下ろした後、再び、コハルが消えた扉へと視線を戻す。
「あの男爵令嬢……」
レオン公爵の低い声が、誰にも聞こえないほどの音量でこぼれ落ちた。
「婚約破棄され、実家からも勘当されるという、絶対的な社会的死の状況下で……なぜ彼女の心拍数は、あんなにも『極めて安定したリラックス状態』にあったのだ……?」
不安、悲しみ、怒り。いかなる負の感情も、彼女のバイタルサインからは読み取れなかった。
あったのはただ、深い安堵と、未来への静かな希望だけ。
天才公爵の胸の内で、今までいかなる難解な魔導技術論にも感じたことのない、強烈な探求心と、得体の知れないときめきの予感が、静かに産声を上げていた。
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