EP 3
プライドと雑草サラダ
翌朝。
公爵邸の豪華なダイニングルームには、朝日がたっぷりと差し込み、優雅な一日の始まりを告げていた。
「うおおおっ! 今日の朝飯も最高やな、コハル! この白くて四角いパン、雲みたいにフワッフワやで!」
「ふふっ、今日はちょっと奮発して『高級生食パン』を取り寄せてみたの。耳まで柔らかいでしょ」
私は【通販】アプリのポイントを使って取り寄せた現代の食パンに、たっぷりの卵サラダを挟んだ特製たまごサンドと、濃厚なコーンポタージュスープ、そして新鮮な野菜に現代の胡麻ドレッシングをかけたサラダを用意していた。
マシロは両手にたまごサンドを持ち、ほっぺたを限界まで膨らませて幸せそうに咀嚼している。
「んんん〜〜っ! この黄色いドロドロしたスープも甘くて美味い! ワテ、毎日これがええわ!」
平和で美味しい朝食の風景。
だが、その視界の隅――長大なマホガニーのテーブルの、ずっとずっと端っこの方で。
帝国の国賓級客室に一泊したにもかかわらず、なぜか今朝も『芋ジャージ』に『健康サンダル』という出立ちの少女が、所在なさげに縮こまっていた。
「……」
海中国家シーランの人魚姫であり、極貧地下アイドルのリーザちゃんである。
彼女の目の前には、私たちが食べている豪華な朝食はない。
代わりに置かれているのは、どこから調達してきたのかわからない『乾燥してパサパサになったパンの耳』の束と、少し殻がひび割れた『ゆで卵』一つ。
そして、ハンカチの上に広げられた『緑色の葉っぱの山』だった。
「ねえ、リーザちゃん」
私はたまらず声をかけた。
「その、葉っぱの山は……何かしら?」
「これですか? これは『雑草サラダ』ですわ!」
リーザは胸を張り、誇らしげに答えた。
「今朝、早起きしてこのお屋敷のお庭を散策していたのですけれど……素晴らしいですわね、公爵邸のお庭は! 栄養価の高そうな、食べられる野草が選び放題でしたの! さすがは特級貴族の土壌、その辺の公園の雑草とは葉のツヤが違いますわ!」
「……お庭の、雑草」
公爵邸の専属庭師が丹精込めて手入れをしている完璧な庭園から、食べられそうな草(多分ハーブの類も混ざっている)をむしってきたらしい。
限界サバイバルのプロフェッショナルである彼女にかかれば、国賓級の庭園もただの『高級な無料サラダバー』と化してしまうのだ。
「あのね、リーザちゃん。そんなもの食べなくても、こっちに美味しいサンドイッチがいっぱいあるわよ? あなたも一緒に食べましょう?」
「い、いいえ! 結構ですわ!」
私がたまごサンドの乗ったお皿を差し出すと、リーザはギュッと目を瞑り、首を横に振った。
「わたくしは、誇り高きアイドルです! アイドルたるもの、ファンからのおひねり(スパチャ)以外の施しは受けない主義なんですの! それに、空腹状態の方が、胃に血が巡らずに歌声が澄み渡るというストイックなジンクスもありますし!」
「でも、あなた昨日、交番の取り調べ室でカツ丼奢ってもらったって……」
「あれは! 警察という国家権力に対する、エンターテインメントの提供対価ですわ! ただの施しではありません!」
ぐぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ。
リーザが必死に強がった、まさにその瞬間。
ダイニングルームに、大型の魔獣が咆哮したかのような、凄まじい腹の虫の音が響き渡った。
「……っ!!」
リーザの顔が、一瞬にして茹でダコのように真っ赤に染まる。
(……血糖値が限界ね。これ以上意地を張らせると、本当に倒れちゃうわ)
元ナースとしての私の『患者観察眼』が、彼女の深刻な栄養不足を見抜いていた。
プライドが高い子に、ただ「可哀想だから」と施しをするのは逆効果だ。彼女の『アイドルとしての誇り』を守りつつ、カロリーを摂取させるための『理由』を作らなければならない。
私はゆっくりと立ち上がり、最高級の生食パンで作ったたまごサンドと、温かいコーンポタージュ、そしてマスカットの果汁100%ジュースをお盆に乗せ、彼女の席まで歩み寄った。
「……コハルさん? わたくしは、絶対に食べませんわよ! パンの耳で十分ですの!」
強がるリーザの前に、私はお盆をことり、と置いた。
パンから漂うバターの香りと、コーンポタージュの甘い匂いが、彼女の鼻腔を直撃する。リーザのブルーの瞳が、釘付けになって揺れた。
「施しじゃないわ、リーザちゃん」
私は彼女の隣に座り、プロデューサーのような真剣な表情を作って、彼女の目を真っ直ぐに見つめた。
「昨日、あなたのアイドル活動を私が全力でプロデュースするって約束したでしょ? これは、あなたの才能を見込んだ私からの『先行投資(ギャラの前払い)』よ」
「と、投資……?」
「そう。アイドルが最高のパフォーマンスをするためには、最高のエネルギーが必要不可欠なの。倒れてステージに立てなくなったら、待っているファンのみんなが悲しむわ。……だから、プロデューサーの指示に従って、今はしっかりと栄養を補給しなさい。これは『お仕事』の一環よ」
私がそう言い切ると、リーザの瞳からポロリと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「お、お仕事……ギャラの前払い……! わたくし……プロデューサーの期待に応えなければ……!」
彼女の中で、見事に『アイドルとしての義務感』が『やせ我慢』を上回った瞬間だった。
「……食べる? リーザちゃん」
「た、食べますぅぅっ!! いただきますぅぅぅ!!」
リーザは両手でたまごサンドを受け取ると、獣のような勢いでそれに齧り付いた。
「んんっ!? な、なんですかこのパン……! 歯が……歯が折れませんわ! いつものパンの耳みたいに、唾液でふやかさなくても噛み切れますのぉぉっ!!」
「ゆっくりでいいのよ。喉に詰まらせないようにね」
「中の黄色いペーストも、信じられないくらい濃厚で……! ああっ、スープが……温かいスープが、冷え切った内臓に染み渡りますわぁぁっ!」
ポロポロと涙を流しながら、現代の美味しいご飯を次々と胃袋に収めていく人魚姫。
その姿を見て、私は胸を撫で下ろした。
どんなに強がっていても、まだ16歳の女の子なのだ。美味しいものを食べて、温かい布団で眠る権利がある。
「おう、新人! ええ食いっぷりやないか!」
そこへ、サンドイッチを平らげたマシロが、オレンジジュースのグラスを持ってやってきた。
「コハルの飯は世界一美味いんや! ワテら親友の『餌付け特等席』へようこそやで!」
「ウサギさん……! はいっ、わたくし、こんなに美味しい朝ごはんを食べたのは、シーラン国を出て以来ですわ!」
「ウサギちゃうわ、マシロや! ほら、ワテの分のポテトもちょっと分けたるわ!」
「マシロ先輩! 一生ついていきますわ!」
胃袋を完全に掴まれたリーザは、あっさりとマシロを『先輩』と呼び、尻尾を振る勢いで懐いてしまった。
神獣と人魚姫。本来なら出会うはずのなかった異端の二人だが、「美味しいご飯が好き」という一点において、見事に意気投合したようだ。
「……朝から、ずいぶんと騒がしいな」
和やかな(?)餌付けの光景が繰り広げられているところへ、コツ、コツ、と静かな足音を立ててレオン公爵がダイニングに入ってきた。
漆黒の軍服姿の彼は、私の隣に立つなり、リーザを冷ややかな目で一瞥した。
「ヒッ……! 帝国の、一番偉い公爵様……!」
極貧地下アイドルのリーザにとって、帝国最高権力者であるレオン様のオーラはあまりにも強大すぎたらしい。彼女はたまごサンドをくわえたまま、小動物のようにビクッと身をすくませた。
「レオン様。おはようございます」
「おはよう、コハル。……君が『友人を保護したい』と言うから客室を手配したが、まさか本当にシーランの第一王女、リヴァイアサン女王の愛娘だったとはな」
レオン様は呆れたように溜息を吐き、私の髪をそっと撫でた。
「他国の王族をこんな不審者のような芋ジャージ姿で保護していると知れれば、外交問題になりかねん。それに、君の静かなバイタルを乱すような騒音は、本来なら即座に排除すべきなのだが……」
レオン様が漆黒の瞳を細めると、リーザは「ひぃぃっ! ゴミを見るような目ぇっ!」と悲鳴を上げてマシロの後ろに隠れた。
「レオン様、ダメですよ、いじめちゃ」
私が苦笑しながらレオン様の袖を引くと、彼はすぐに目元を和らげた。
「いじめてなどいない。事実を述べたまでだ。……だが、君がこの奇妙な人魚を気に入って、自らの手でプロデュースすると決めたのなら、私は何も言わん。君が望むなら、帝国の予算を割いてでも、この地下アイドルとやらを支援しよう」
「いいんですか!?」
「当然だ。君の笑顔を守るためなら、公爵家の財力など安いものだ」
どこまでも私に甘く、そして他者には冷徹な天才公爵。
その絶対的な過保護のおかげで、リーザの公爵邸での『居候(アイドル合宿)』は正式に認められることとなった。
「ありがとうございます、レオン様! よーし、腹ごしらえも済んだことだし、今日から本格的に聖星祭に向けての特訓を始めるわよ、リーザちゃん!」
「はいっ! コハルプロデューサー!」
リーザは口の周りにたまごサラダをつけたまま、ビシッと美しい敬礼をした。
美味しいご飯で満たされた、純真で強欲なアイドル。
彼女のその折れない歌への情熱が、やがて帝都に蔓延る『魔法至上主義の老害たち』の陰謀を、根底からぶち壊す最強の武器になるとは……この時の彼女自身も、まだ気づいていなかった。
私を見下すような悪意がどこかで蠢いていようと関係ない。
私の絶対有給休暇の第三章は、新たな仲間との温かい絆と共に、最高に明るいカオスへと突き進んでいくのだった。




