EP 2
人魚姫は地下アイドル
「コ、コハルさぁぁぁんっ!!」
鳩の群れからパンの耳をもぎ取った芋ジャージの美少女は、私の顔を見るなり、ボロボロの健康サンダルを突っかけて猛ダッシュで飛びついてきた。
「ちょっ、リーザちゃん!? なんでこんなところにいるの!?」
「うわぁぁん! 探しましたのよぉ! 帝都で一番偉い公爵様に囲われて、毎日美味しいものを食べてるって噂を聞いて、ずっとお会いしたかったんですのぉぉ!」
涙と鼻水(と鳩の羽)にまみれた彼女をなんとか引き剥がし、私たちはひとまず、レオン公爵邸の豪華な応接室へと場所を移した。
「……で。コハル、この珍妙なジャージ女は誰なんや?」
最高級のベルベットのソファ。その上で、健康サンダルのままちょこんと正座をしている少女を指差し、マシロがウサギ耳を傾けた。
「彼女の名前はリーザちゃん。私が実家を追放されて、レオン様に保護されるまでの数日間……平民街の格安シェアハウスに身を寄せていた時の、ルームメイトよ」
私が紹介すると、リーザは居住まいを正し、泥のついた芋ジャージの襟を(まるで高級ドレスのように)スッと正した。
「お初にお目にかかりますわ、ウサギの方。わたくし、海中国家シーランからルナミス帝国へと参りました、親善大使……そして、女王リヴァイアサンの娘。人魚姫のリーザと申しますわ!」
「……はあ!?」
マシロが素っ頓狂な声を上げた。私も初めて聞いた時は同じリアクションをしたものだ。
透き通るような白磁の肌に、海の底のように深いブルーの瞳。黙っていれば傾国レベルの美少女である彼女の正体は、正真正銘、他国の王族なのだ。
「ひめ……姫!? いやいやいや、嘘やろ! どこの世界に、ルナミスデパートのタグがついた特売の芋ジャージ着て、公園で鳩と喧嘩する姫がおんねん!」
「失礼な! 鳩との戦いは、アイドルとしての過酷な生存競争の一環ですのよ!」
「アイドル?」
マシロが首を傾げると、リーザは誇らしげに胸を張った。
「そうですわ! わたくし、親善大使としてこの国に来たのですが……街角で歌う『アイドル』という存在に衝撃を受け、ドハマりしてしまったのです! 人前で歌う喜び! 歓声! そして……おひねり! 故郷のお母様には、『ルナミス帝国でトップアイドルとして大成功している』と手紙を送っておりますの!」
「トップアイドルって……」
私は、限界ナース時代の『患者の嘘を見抜く目』で彼女の全身をスキャンした。
毛玉だらけのジャージ、すり減った健康サンダルのイボイボ。そして何より、慢性的なカロリー不足を示す細すぎる手首。
どう見ても、大成功している人間の姿ではない。
「リーザちゃん。トップアイドルなら、どうして鳩とパンの耳を奪い合ってたの? それに、シェアハウスを出た後、どうやって生活してたの?」
私が優しく、しかし逃げ場のないトーンで尋ねると、リーザのブルーの瞳が泳ぎ始めた。
そして、数秒後。
「うぅぅ……うわぁぁぁんっ!!」
彼女はソファに突っ伏し、堰を切ったように泣き叫び始めた。
「ごめんなさぁぁい! 実はアイドルブームはとっくに過ぎ去っていて、今はただの『地下アイドル』として、みかん箱の上で歌っているだけなんですのぉぉ!」
「やっぱり……」
「家賃も払えなくて、毎日生きるのに必死なんです! コハルさんがいなくなってから、わたくし、ずっと極貧ポイ活サバイバルをしてきましたのよ!」
リーザが涙ながらに語る『極貧サバイバル生活』は、限界ナースだった私の想像すら絶する、凄絶なものだった。
「ルナミスマート(帝国最大のスーパー)の試食コーナーでは、店員さんの視線をかいくぐり、いかに優雅に、かつ大量のウインナーを腹に収めるかのプロになりましたわ! 週末のルナミスデパートでは、化粧室の石鹸で顔を洗い、化粧品売り場のテスターで化粧水からファンデーションまでフルメイクを済ませておりますの!」
「テスターでフルメイク……鋼のメンタルね」
「それだけじゃありませんわ! タローソン(帝都のコンビニ的商店)の裏口では、廃棄弁当を巡って地元の野良犬のボスと血みどろの喧嘩をしましたし! 交番の前で謎の反復横跳びをして怪しまれ、取り調べ室でカツ丼をご馳走になったこともありますわ!」
「それ、ただの不審者やんけ……」
マシロが呆れたようにツッコミを入れるが、リーザの激白は止まらない。
「極めつけは……五円玉ですわ!」
「五円玉?」
「はい! 真鍮でできた穴あきの五円玉を、一晩かけてピカピカに磨き上げ、『これは新種の金貨ですわ!』と言い張って八百屋で買い物をしようとしたら……店長さんから容赦のない顔面パンチが飛んできましたのぉぉっ!」
「当たり前や!!」
マシロの豪快なツッコミが応接室に響き渡る。
私は思わず頭を抱えた。
腐っても他国の親善大使であり、人魚姫である彼女が、異国の地で五円玉を磨いて顔面を殴られ、パンの耳と茹で卵で食い繋いでいるなどと……シーラン国の女王が知ったら、間違いなく国際問題(戦争)に発展するだろう。
「……でも、すごいわね」
私は、リーザに向かって心からの敬意を込めて言った。
「えっ?」
「前世の……じゃなくて、昔の私なら、そこまで追い詰められたら心が折れてたと思う。でも、リーザちゃんはどんなに貧乏でも、『アイドルとして歌うこと』を絶対に諦めなかったんでしょ? その根性とメンタルは、本物よ」
私の言葉に、リーザはポカンと口を開け、やがて顔を真っ赤にして俯いた。
「こ、コハルさん……! わたくし、泥水を啜ってでも、ステージに立ち続けたいんです。ファンのみんなに、歌を届けたいんですの……!」
その純真で、狂気すら感じるほどの執念。
彼女には魔法の才能はない。貴族たちが重宝するような、怪我を一瞬で治す治癒魔法も、花を咲かせる魔法も使えない。
ただ、自らの喉と、折れない心だけで、人々に笑顔を届けようとしているのだ。
(……魔法院の老人たちは、こういう『魔法を使わない泥臭い努力』を、一番忌み嫌うのよね)
公園の茂みからこちらを睨みつけていた、黒ローブの男の姿が脳裏をよぎる。
魔法こそが至高であり、貴族の特権だと信じる保守派の長老たちにとって、私の『ポイ活・手洗い習慣』も、リーザの『魔力ゼロのアイドル活動』も、等しく「社会の秩序を乱す卑しい平民の遊び」にしか見えないのだろう。
もし、彼らが聖星祭の舞台で、私たちを公衆の面前で潰そうと企んでいるのだとしたら。
(上等じゃない)
私の中で、限界ナース時代に培った『理不尽なお局には絶対屈しない』という反骨精神が、静かに炎を上げた。
魔法がなくても、人は清潔さで病を防げる。
魔法がなくても、歌と笑顔で人の心を救うことができる。
それを、あの凝り固まった老害たちに、完璧な形(合法ざまぁ)で証明してやろうではないか。
「コハルさん? どうかされましたの? なんだか、すごく頼もしい……というか、少し怖い笑顔を浮かべていらっしゃいますけど……」
「ううん、なんでもないわ。リーザちゃん、今日からここに住んでいいわよ」
「えっ!? ほ、本当に!?」
「ええ。レオン様には私から話を通しておくから。……その代わり、あなたのアイドル活動、私が全力でプロデュースさせてもらうわね」
私がウインクをすると、リーザは「女神様ぁぁぁっ!」と叫びながら、再び私の胸にダイブしてきた。
「おっしゃ! 新しい仲間が増えたで! 今日は宴会やな!」
マシロも嬉しそうにウサギ耳を揺らしている。
不衛生で高慢な令嬢を片付けたと思ったら、今度は芋ジャージの極貧地下アイドル。
私の絶対有給休暇は、またしても騒がしく、そして最高に面白いカオスへと巻き込まれていくのだった。
読んでいただきありがとうございます。
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