第三章 絶対無敵のスパチャアイドルと、老害粉砕ステージ
健康ポイ活制度と、芋ジャージの不審者
皇城での波乱の大夜会から数週間。
私が広めた『清潔なスキンケア』の概念は、見事に帝都の社交界を席巻していた。今や、貴族の令嬢たちの間では、不衛生なパフを使い回す者は一人もいない。
朝起きて顔を洗い、しっかり保湿をする。そんな現代では当たり前の習慣が、異世界の乙女たちの肌と心を劇的に救っていた。
「おはよう、コハル。今日の君も、完璧なバイタルサインだな」
公爵邸のダイニングルーム。
焼きたてのパンと目玉焼きが並ぶテーブルの向かいで、漆黒の軍服を着こなしたレオン様が、極めて大真面目な顔で甘い言葉を投げてくる。
「おはようございます、レオン様。おかげさまで、とっても快調です」
私が微笑み返すと、レオン様の漆黒の瞳がわずかに熱を帯びた。
大夜会のバルコニーでの、あの頬への甘く長い口付け。あれ以来、レオン様の過保護と溺愛のギアはさらに一段階上がり、私も彼と視線が合うだけで心臓がトクトクと跳ねるようになってしまっていた。
守られるだけの存在から、彼の隣に立つパートナーへ。二人の関係は、確かな熱量を持って深まっている。
「……コハル、最近君が街に導入したという『新しい仕組み』だが。内務省の報告によると、帝都の平民街の衛生状態が劇的に改善しているそうだ」
「本当ですか!? よかったぁ」
私は手元のコーヒーカップを置き、ぱぁっと顔を輝かせた。
そう、私が現在取り組んでいるのは、ただ【通販】で買った石鹸や化粧品を配るだけの活動ではない。
『人々に、自発的に健康と清潔を維持してもらうための仕組みづくり』だ。
前世の限界ナース時代、私は思い知っていた。いくら医療従事者が「手を洗え」「運動しろ」と口で言っても、習慣はそう簡単には変わらない。
そこで私は、自分の通販スキル(善行ポイント)を応用して、帝都の広場で『健康ポイ活(ポイント活動)』という制度を立ち上げたのだ。
毎朝、広場で行う『ラジオ体操』に参加したり、設置された手洗い場で正しく手洗いを済ませたりすると、専用のスタンプカードにスタンプが押される。
スタンプが一定数貯まると、私が通販で取り寄せた『現代の美味しい飴玉』や『高品質なティッシュ』、『いい匂いのする石鹸』などの景品と交換できるというシステムである。
「『健康になればご褒美がもらえる』という人間の根源的な欲求を、見事に公衆衛生に結びつけたな。魔法使いの治癒に頼らず、民衆が自らの力で病魔を退けている。君の思考回路は、まさに天才的だ」
「ふふっ、ありがとうございます。前世の知恵をちょっと借りただけですよ」
褒められて少し照れていると、隣で山盛りのソーセージを頬張っていたマシロが、ウサギ耳をピンと立てた。
「コハルの考えた『らじおたいそう』、ワテも大好きやで! 朝から体動かして、スタンプ貯めたら甘いお菓子がもらえるなんて、最高すぎるわ!」
「マシロは景品のお菓子目当てだもんね」
「せや! 今日も一番前で全力で体操して、スタンプもらうで!」
鼻息を荒くする親友の姿に、私は思わず吹き出した。
「だが、コハル」
レオン様が、少しだけ眉間を寄せて声を落とした。
「君のその素晴らしい功績を、快く思わない者たちもいる。……帝国魔法院の保守派の老人たちだ」
「魔法院の、長老たち……」
「ああ。彼らは、魔法を使わずに傷や病を予防する君のやり方を、『治癒魔法の威厳を貶める異端の行い』だと苦々しく思っているらしい。直接手を出してくる度胸はないだろうが、近々皇城で行われる『聖星祭』に向けて、何やら不穏な動きを見せているという報告もある」
魔法こそが絶対の力であり、貴族の特権であると信じる彼らにとって、平民が自ら健康を獲得してしまう私の『ポイ活システム』は、既得権益を脅かす目障りなものなのだろう。
「気をつけるんだぞ、コハル。君の美しい心拍数を乱すようなノイズがあれば、私が物理的に排除するが」
「はい、ありがとうございます。でも、大丈夫ですよ。正しいことをしているだけですから」
私はそう言って微笑んだ。
限界ブラック病棟の理不尽なカンファレンスを生き抜いた私にとって、老害たちの嫌がらせなど、どうということはない。
それに、私には最強の天才公爵と、マッハで動くウサギ耳の親友がついているのだから。
朝食後。私はマシロと共に、帝都の中心にある大きな公園へとやってきた。
広場には、すでにたくさんの子供たちや、平民のおじいちゃんおばあちゃんたちが集まっている。
「いち、に、さん、し! ご、ろく、しち、はち!」
拡声器の代わりの魔法具を使って、私が掛け声をかけると、数百人の人々が一斉に腕を回し、体を曲げる。
異世界に突如として現れた、シュールで平和なラジオ体操の風景だ。
「よし、スタンプ押すでー! 一列に並びや!」
体操が終わると、マシロがスタンプ係として大活躍し始めた。参加者たちは「今日も石鹸もらうぞー!」と嬉しそうにカードを握りしめている。
私はその光景を眺めながら、ホッと息を吐いた。
みんなが笑顔で健康になっていく。この『仕組み』を作って本当に良かった。
だが、その平和な風景の中で。
私の視界の端に、極めて『異質』なものが飛び込んできた。
「はっ! はっ! はっ! はっ!」
公園の隅にある交番(衛兵所の詰め所)の前で。
一人の少女が、ものすごいスピードで『反復横跳び』をしていた。
「え……?」
私は思わず目をこすった。
その少女の格好は、異世界ルナミス帝国の風景から完全に浮いていた。
ダサいエンジ色の『芋ジャージ(なぜかルナミスデパートのタグがついている)』の上下。足元には、イボイボのついた『健康サンダル』。
しかし、その動きのキレは尋常ではない。残像が見えるほどの速度で、左右の線を踏み越えているのだ。
「……何、あの人」
よく見れば、少女の顔立ちは驚くほど愛らしい。
透き通るような白い肌に、海の底を思わせる深いブルーの瞳。長い髪は波打つように美しく、まるで絵本から飛び出してきた『人魚姫』のようだった。
……着ているのが芋ジャージでなければ、だが。
「こ、これで……ラジオ体操の分の運動量は……クリアしましたわよね! ぜぇ、はぁっ……だから、スタンプを……いや、その前に朝ごはんを……!」
少女は息を切らしながら、フラフラと公園のベンチの方へ歩き出した。
ベンチには、毎朝鳩にパン屑を投げている『餌やりおじさん』が座っている。
少女の目が、おじさんが持っているパン屑の袋を猛禽類のように捉えた。
「ポッポォー!」
「お退きなさいっ! それは私の朝ごはんですのよ!!」
次の瞬間、少女は鳩の群れの中にダイブし、鳩と本気の喧嘩を始めたのだ。
健康サンダルで鳩を威嚇し、地面に落ちたパンの耳を信じられないスピードで回収していく。
「ああっ!? わ、私のパンの耳を鳩が……! 返しなさい! 私は……私は、こんなところで負けるわけにはいかないんですのよぉぉっ!!」
パンの耳を片手に、涙目で鳩と格闘する芋ジャージの美少女。
もはやカオスの極みである。
「……」
ナースとしての私の『異常事態検知センサー』が、ピピピと激しくアラートを鳴らした。
栄養失調寸前の青白い顔色。そして、なりふり構わずカロリーを摂取しようとするあの極限状態のサバイバル力。
「ちょっと、マシロ! あの子、ヤバくない!?」
「ん? おおっ、あいつ鳩と互角に戦っとる! すげえ身体能力やな!」
感心している場合ではない。
私が駆け寄ろうとした、その時だった。
公園の茂みの陰で、その様子を冷ややかな目で見つめている黒いローブの男の姿があった。
魔法院の使い魔だろうか。男は、鳩と争う少女を「卑しい乞食め」と鼻で笑い、そして私の方へ忌々しげな視線を向けて、影の中へ消えていった。
不穏な魔法院の影。
そして、突如現れた、鳩とパンの耳を争う芋ジャージの人魚姫。
私の穏やかな有給休暇は、新たなカオスの仲間(?)の登場によって、予想外の方向へ爆走を始めようとしていた。
読んでいただきありがとうございます。
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