EP 14
親友との乾杯。この世界は甘くて美味しい
丘の上での、レオン様からの極甘なプロポーズと、マシロのロケット頭突きから数時間後。
満月祭の喧騒が落ち着きを見せ始めた深夜、私たちは村長宅の広々とした客室へと戻ってきていた。
「よし! プロポーズも成功したことやし、今日は徹夜で祝賀パーティやで!!」
部屋に入るなり、マシロがウサギ耳をピンと立てて大声で宣言した。
「こら、マシロ。コハルのバイタルを乱すような提案は却下だ。睡眠は最も重要な――」
「ええやんかレオン! 今日くらい! なぁコハル、ワテ、もっと美味いもんが食べたいわ!」
理路整然と説教を始めようとするレオン様の言葉を遮り、マシロが私の腕にぎゅっと抱きついてくる。
そのキラキラと期待に満ちた赤い瞳に見つめられると、限界ナースの私としては「ダメ」とは言えなくなってしまうのだ。
「ふふっ、仕方ないわね。今日だけ特別よ。レオン様も、少しだけお付き合いいただけますか?」
「……君がそう望むのなら。だが、1時間で必ずベッドに入ると約束してくれ」
レオン様は小さくため息をつきながらも、その漆黒の瞳はどこまでも甘く、私を甘やかしてくれていた。
私はエプロンのポケットからスマホを取り出し、【通販】アプリを起動した。
現在の善行ポイントは、なんと7000pt超え。
ポポロ村の衛生状態を改善し、多数の命を未然に救った私の『無自覚なナイチンゲール活動』は、システムから莫大なボーナスを引き出していた。
「今日は特別なお祝いだもの。奮発しちゃおうかな」
私は『食料品・高級ギフト』のカテゴリから、以前から気になっていた商品を購入した。消費ポイントは一気に1500pt。かつてない超高額決済だ。
シュンッ!!
眩い光と共に、部屋の大きな円卓の上に現れたのは――三段重ねの豪奢な銀のティースタンドだった。
下段には、色とりどりの具材が挟まれた芸術的なサンドイッチと、ふかふかのスコーン。
中段には、宝石のように輝く季節のフルーツタルトと、色鮮やかなマカロン。
そして上段には、純白の生クリームと大粒の苺がたっぷりと使われた、ホールのショートケーキが鎮座している。
さらに、最高級のダージリンティーのティーバッグと、お湯を注ぐだけの保温ポットまでセットになっていた。
「う、うおおおおおおっ!!? なんやこれ! 宝石箱やんけ!!」
マシロが目をひん剥いて、ティースタンドの周りを高速でグルグルと回り始めた。
帝国の最高権力者であるレオン様でさえ、その精巧で美しい現代のスイーツ群を前に、驚きで目を丸くしている。
「……信じられん。帝国の宮廷菓子職人が束になっても、これほどの造形と色彩は生み出せないだろう。それに、この立ち上る香りは……」
私が素早くお湯を沸かし、ティーカップに紅茶を注いで手渡すと、レオン様は一口飲み、言葉を失った。
「見事だ。抽出の完璧さ、茶葉の深み……皇帝陛下が愛飲される特級茶葉すら凌駕している」
「ふふっ、それは良かったです。さあ、冷めないうちに(といっても冷たいスイーツですが)いただきましょう!」
私はマシロの皿にケーキを取り分け、自分の皿にもマカロンを一つ乗せた。
「それじゃあ、私の退職(追放)と、マシロとの出会い、そしてレオン様との……その、婚約を祝って。乾杯!」
「乾杯やーーっ!!」
「……ああ。君の輝かしい未来に」
温かい紅茶の入ったカップを重ね合わせ、私たちは笑顔でスイーツを口に運んだ。
サクッ、としたマカロンの軽やかな食感の後に、濃厚なピスタチオのクリームがとろけ出す。
(……美味しい。本当に、美味しい)
甘さが舌の上で弾けるたび、前世の記憶が対比となって脳裏をよぎる。
夜勤明けの深夜3時。誰もいないナースステーションの隅で、疲れ果てて泣きそうになりながら、コンビニで買った賞味期限ギリギリのシュークリームを一人で頬張っていたあの日々。
『誰か、私を褒めてよ』『休ませてよ』と、心の中で血を吐くように叫びながら、ただ血糖値を上げるためだけに甘いものを胃に詰め込んでいた。
お祝いなんて、誰もしてくれなかった。
それが、どうだろう。
今、私の目の前には、ほっぺたにクリームをつけて幸せそうに笑う、最高の親友がいる。
隣には、私が淹れた紅茶を「君の淹れる茶はバイタルを安定させる」と真面目な顔で絶賛してくれる、私を溺愛してやまない天才公爵がいる。
誰も私から手柄を奪わない。
ただ、一緒に美味しいものを食べて、「美味しいね」と笑い合ってくれる。
この世界は、なんて甘くて、温かいのだろう。
「なぁコハル! ワテ、決めたで!」
イチゴのタルトを丸呑みしたマシロが、バシッとテーブルを叩いて立ち上がった。
「お前がこのしかめっ面の公爵と結婚しても、ワテはお前の一番の親友や! もしこいつがコハルを泣かせるようなことがあったら、ワテがマッハのケリで月まで吹っ飛ばしたるからな!」
ウサギ耳をピンと立てて威嚇するマシロ。
その言葉に、レオン様は紅茶のカップを静かに置き、極めて冷徹な、しかし確固たる意志の宿った漆黒の瞳でマシロを見返した。
「ウサギ。私がコハルのバイタルを悲しみで乱すようなことは、天地がひっくり返ってもあり得ない。……だが、君のその警戒心は極めて論理的で頼もしい。私の不在時、彼女を守るのは君の役目だ。よろしく頼む」
「ふんっ、言われんでも分かっとるわ!」
帝国の最高権力者と、神獣の家出少女。
全く違う生き方をしてきた二人が、私を真ん中にして、真っ直ぐにぶつかり合いながら絆を結んでいる。
私はたまらなくなって、二人の手を両手でぎゅっと握りしめた。
「ありがとう、二人とも。私、今、本当に幸せよ」
私の言葉に、二人は少しだけ照れくさそうに笑い、再び甘いお菓子の宴へと戻っていった。
――その頃。
温かい紅茶の香りが漂うポポロ村から遠く離れた、シーラン国の荒れ狂う海の上。
「ざ、ざけんな! 俺はエリート魔闘騎士だぞ! なんでこんな底辺の仕事をしなきゃならないんだ!」
凍てつくような暴風雨の中、荒波に激しく揺れる巨大な漆黒の船――『マグローザ漁船』の甲板で、汚泥と魚の臓物にまみれた男が叫んでいた。
かつて私の婚約者だった男、ゼロスだ。
「口を動かす暇があったら網を引け、新入り!!」
バチィィィンッ!!
筋肉隆々の巨漢の監視官が、容赦なく鞭を振るう。
「ぎゃあっ!?」
自慢の闘気で防御しようとしたゼロスだったが、極度の船酔いと、連日の過酷な睡眠不足による疲労で、彼の闘気は完全に霧散していた。
「借金は金貨五万枚だ! 利子を考えれば、お前はあと百年はこの船から降りられねえんだよ! ほら、巨大マグローザが来るぞ、銛を持て!」
「ひぃぃっ! 無理だ、死ぬ! 助けてくれ、コハルゥゥゥッ!!」
ゼロスの悲鳴は、轟く雷鳴と波の音にかき消され、誰の耳にも届かない。
魔法も闘気も通用しない、大自然の暴力と絶対的なブラック労働。
私を「無能」と見下し、己の力だけを過信していた傲慢な男は、誰かに手を下されるまでもなく、自らが作り出した因果の果てで、永遠に続く底辺の地獄へと落ちていったのだった。
「……んんっ」
ポポロ村の客室。
お腹いっぱいスイーツを食べたマシロは、満月のハイテンションも切れたのか、ソファの上で丸まって寝息を立てていた。
私も、急激な眠気に襲われ、こくりこくりと船を漕ぎ始めていた。
「約束の1時間だ、コハル。これ以上の夜更かしは強制的にシャットダウンする」
不意に、ふわりと身体が浮き上がる感覚がした。
レオン様が、私を軽々と抱き上げ(いわゆるお姫様抱っこだ)、ベッドへと運んでくれたのだ。
「あっ……レオン様、自分で歩け……」
「ダメだ。君の睡眠導入は、私が完璧にサポートする。目を閉じなさい」
彼は私をベッドに優しく寝かせると、額にそっと、羽のように軽いキスを落とした。
その温もりと、彼から漂う清潔な香りに包まれて、私の意識は心地よい微睡みの底へと沈んでいく。
(もう、ナースコールは鳴らない……)
過去の搾取は完全に終わりを告げた。
明日からは、大好きな親友と、私を溺愛して離さない過保護な公爵様と共に、この甘くて美味しい世界で、ずっとずっと幸せに生きていくのだ。
私は心からの安心感に包まれながら、極上の眠りの中へと落ちていった。
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