EP 13
満月の夜の祝祭。もう誰も、私から手柄を奪わない
見上げる夜空には、ぽっかりと巨大な満月が浮かんでいた。
銀色の柔らかな光が、辺境の開拓村であるポポロ村全体を優しく照らし出している。
「コハルーーーッ! 満月や! ワテの血が、猛烈に騒いどるでえええ!!」
シュババババッ!!
突風が吹き抜けたかと思うと、マシロがマッハの速度で村の広場を駆け抜けていった。
月兎族である彼女は、満月の夜になると身体能力が限界突破し、テンションが常時の数倍に跳ね上がるらしい。両手には村人が焼いた串焼き肉や、私が【通販】で取り寄せたフライドポテトを抱え、ウサギ耳をピンと立てて残像を残しながら屋台を巡っている。
「もう、マシロったら。人にぶつからないようにね!」
私が笑って声をかけると、「任せとき!」という声だけが遠くから木霊した。
今夜は、ポポロ村の『満月祭』。
そして同時に、熱病と負傷兵の危機を脱した村人たちが、私への感謝を伝えるために開いてくれた祝祭でもあった。
「聖女様! こちら、うちの畑で採れた一番甘いハニーかぼちゃのスープです。どうか召し上がってください!」
「聖女様のおかげで、孫が今日も元気に走り回っています。本当に、本当にありがとうございます!」
広場の中央に設けられた特等席に座る私の元へ、村人たちが次々と手作りのご馳走や花束を持ってきてくれる。
誰も彼もが、満面の笑みで私を囲み、口々に「ありがとう」と感謝の言葉を紡いでくれた。
受け取った温かいスープを一口飲むと、かぼちゃの濃厚な甘さが五臓六腑に染み渡っていく。
(……あぁ、美味しいな)
スープの温かさと共に、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。
前世の限界ブラック病棟での日々が、脳裏をよぎる。
夜勤明けのフラフラな状態で、心停止した患者の蘇生(CPR)を完璧に行い、一命を取り留めたことがあった。
汗だくになってナースステーションに戻った私に、お局師長が放った言葉は「お疲れ様」でも「ありがとう」でもなかった。
『急変対応で時間が押してるんだから、早く次の患者の点滴回って! 記録もまだでしょ!』
それが当たり前だった。命を救っても、誰も祝杯なんて挙げてくれない。プロなんだからやって当然だと、手柄は全て医師のものになり、私には次々と新しい仕事が押し付けられるだけだった。
それが、どうだろう。
今世では、私が『手洗いうがい』と『適切な水分補給』、そして『傷口の消毒』という、ごく当たり前の応急処置をしただけで、こうして村を挙げての祝祭が開かれている。
私のやったことを誰も奪わない。誰も私を「無能」と見下さない。
真っ直ぐに向けられる純粋な感謝が、私のすり減っていた心を、ぽかぽかと温かく満たしてくれていた。
『ピロリン♪』
エプロンのポケットで、スマホが軽快な音を立てた。
【システム通知】
善行ポイント:2000 pt を獲得しました!(※大勢からの純粋な感謝の念を受信)
現在保有ポイント:7010 pt
『賢者君(無料版)』より一言:
……マグローザ漁船行き確率は、現在『0%』です。素晴らしいですね。今後もその調子で。
いつもは素っ気ないAIの賢者君からの、初めての労いの言葉。
私は思わずふふっと笑い、夜空の満月を見上げた。
(マグローザ漁船、か……)
ふと、昨日レオン様から聞いた、元婚約者の末路を思い出す。
私を「無能」と追放し、自らの傲慢さと不衛生な環境によって部隊を全滅させた魔闘騎士、ゼロス。
彼は今頃、荒れ狂う遠洋の海の上で、マグローザ漁船の過酷な労働に身をやつしているはずだ。彼が誇っていた筋肉も闘気も、大自然の嵐と過酷なカニ漁の前では何の意味も持たないだろう。
私を搾取し、見下した者は、私が何もしなくても、己の無知のせいで勝手に自滅の泥沼へと沈んでいった。
彼に対して、哀れみも憎しみも湧かない。
ただ「私の担当患者ではなくなって、本当に良かった」という、清々しいほどの安堵があるだけだった。
「……コハル嬢。少し、よろしいか」
不意に、背後から低く落ち着いた声がかけられた。
振り返ると、夜の闇に溶け込むような漆黒の軍服を着こなしたレオン公爵が、私に向かって静かに手を差し伸べていた。
「レオン様」
「村人たちの熱気で、君の心拍数が少し上がりすぎている。静かな場所で、バイタルを落ち着かせよう」
極めて論理的で、大真面目な過保護。
私はふわりと微笑み、「はい」と彼の手を取った。
マシロが広場の向こうで串焼きを両手に持って「ヒャッハー!」と飛び跳ねているのを確認しつつ、私はレオン様にエスコートされて、広場から少し離れた静かな丘の上へと向かった。
丘の上からは、ランタンの灯りでキラキラと輝くポポロ村と、それを優しく包み込む満月が一望できた。
夜風が心地よく頬を撫でる。
「美しい夜だ」
レオン様はポツリとそう呟くと、私に向き直り、その漆黒の瞳で私の目を真っ直ぐに見つめた。
普段の冷徹な天才公爵の顔ではない。どこか熱を帯びた、一人の男性としての真摯な眼差しだった。
「コハル。君は先日、私のことを『法と論理で守ってくれて嬉しかった』と言ってくれたな」
「はい。前世……いえ、今まで、誰もそんな風に私を守ってはくれませんでしたから」
「……私は、デカルト的論理と合理的科学を至上として生きてきた。目に見えない感情や、非論理的な『愛』という概念は、計算の邪魔になるノイズだとさえ思っていた」
レオン様は、私の手を両手でそっと包み込んだ。
彼の手は大きくて、少しだけ不器用で、ひどく温かい。
「だが、君が魔法という奇跡に頼らず、その小さな手と知識で人々を救う姿を見た時。そして、絶望の淵にあっても決して取り乱さず、前を向いて微笑む君の姿を見た時。……私の胸の内で、いかなる数式でも解き明かせない、強烈なエラーが発生した」
「エラー、ですか?」
「ああ。君の笑顔を見るたびに、心拍数が跳ね上がり、自律神経が乱れる。君が他の誰かに搾取されそうになると、帝国の法を全て書き換えてでも君を囲い込みたくなる。……この極めて非合理的な衝動を、地球の哲学書では『恋』と定義しているらしい」
天才公爵の、あまりにも理屈っぽくて、不器用で、最高に甘い告白。
私の心臓が、ドクン、と大きく跳ねた。
「コハル・ルナミス嬢。君の持つ知識は国家予算10年分の価値があると言ったが、訂正しよう。君のその魂の美しさと優しさは、私の生涯の全てを懸けるに値する」
レオン様は、私の前でゆっくりと片膝をついた。
それは、帝国の最高位である彼が、絶対に他人には見せない究極の忠誠と求愛の姿勢だった。
「もう二度と、誰にも君を搾取させない。君の夜勤は私が永遠に禁止する」
「……っ」
「私と共に生きてはくれないか。保護すべき国賓としてではなく……私がこの世で唯一愛する、生涯の妻として」
月光の下、差し出された彼の手。
私の瞳から、ポロリと大粒の涙がこぼれ落ちた。
悲しくて泣いた前世の夜勤明けとは違う。
悔しくて歯を食いしばった、かつての婚約破棄の夜とも違う。
これは、絶対的な幸福と、報われたことへの喜びに満ちた、極上の涙だった。
私は、ポロポロと泣きながら、それでも最高の笑顔を作って、彼の手をしっかりと握り返した。
「……こんな、ナースコールの幻聴が聞こえるような限界元令嬢で、よろしければ。喜んで、レオン様の過保護な監視下に置かせていただきます」
「っ……!」
私の答えを聞いた瞬間、レオン様は立ち上がり、私をその力強い腕の中にぎゅっと抱きしめた。
彼の胸の鼓動が、早鐘のように鳴っているのが伝わってくる。常に沈着冷静な彼のバイタルをここまで乱しているのが私なのだと思うと、なんだか無性に嬉しかった。
「コハル……私の、愛しい至宝」
彼が私の髪にそっとキスを落とした、まさにその時だった。
「うおおおっ! レオン、お前、抜け駆けは許さん言うたやろがーーっ!!」
ドゴォォォンッ!!
丘の下から、マッハの速度で飛んできたマシロが、私たちの間にロケットのように突撃してきた。
「わっ!?」
「ぐはっ……! 貴様、またしても良いところで……!」
レオン様が顔をしかめてマシロの頭を抑え込むが、満月でハイになったマシロは止まらない。
「コハルはワテの親友や! 結婚するんやったら、毎日美味いもん食わせる契約書にサインせぇ!!」
「言われずとも、コハルには最高の食事と睡眠を提供するに決まっているだろう! 離れろ、このウサギ!」
天才公爵と神獣の親友が、私の両脇でまたしても子供のようにワーワーと言い争いを始める。
私は二人を愛おしく見つめながら、夜空の満月に向かって満面の笑みで吹き出した。
ああ、この世界はなんて騒がしくて、温かくて、甘いのだろう。
私の最高で最強の絶対有給休暇は、いよいよフィナーレへと向かっていた。
お読みいただきありがとうございます!
評価・ブックマークで応援いただけると励みになります。




