EP 9
ガチャ100連爆死と、大宇宙管理局カスハラ部強制ドナドナ
夕暮れ時の感動的な完済劇から、わずか二時間後。
ポポロ村の空はとっぷりと暮れ、夜空には満天の星が瞬いていた。
ルナ・スパポポロ出張所の前、木造ベンチに腰掛けた私たちは、冷たい陽薬草茶を片手に、奇跡の更生を果たしたルチアナの労をねぎらおうとしていた。
「いやあ、コハル。君の現場指導とトリアージには本当に感服したよ」
レオン様が私の隣に座り、私の肩を優しく抱き寄せながら微笑む。
「あの身を持ち崩していた駄女神が、己の労働で汗を流し、人々に感謝される喜びを知った。これで彼女も、世界神としての責務に真摯に向き合うようになるだろう」
「ええ、本当に良かったです。最初は新聞紙で頭をポカポカ叩いた時はどうなるかと思いましたけれど、やっぱり人は……いえ、神様であっても、誠心誠意向き合えば伝わるものなんですね」
私が心から安堵の息を吐き、湯呑みに口をつけようとした――その瞬間だった。
ピロリロリロリロリロリィィィンッ!!!!
静まり返った夜の帳を切り裂いて、けたたましい電子音が響き渡った。
音の発生源は、ベンチの向かい側。
風呂上がりにタローマン製の綺麗なスウェットに着替え、牛乳瓶を片手にベンチでくつろいでいたルチアナの首元の『エンジェルすまーとふぉん』だった。
「……ん? なにかしら、こんな夜遅くに通知なんて……」
ルチアナが何気なく画面をタップする。
その瞬間、端末の画面から、目も眩むような極彩色のホログラムウィンドウが夜空へと噴き出した。
『――【緊急ゲリラ告知!!】 全宇宙の月人ガールズに告ぐ!』
『奇跡の天界コラボ限定召喚、今夜二十時より電撃開催!』
『【純白の誓い・SSR朝倉月人[タキシード・ウェディングver(金箔押しボイス付き)]】! 排出率は驚異の0・001%! 今夜を逃せば二度と手に入らない、一生に一度の逢瀬を貴女に……♡』
画面いっぱいに映し出されたのは、純白の豪奢なタキシードに身を包み、薔薇の花束を胸元に抱えて甘くウィンクする、あの地球のアイドル・朝倉月人の超絶美麗イラストだった。
「「「…………あ」」」
私、マシロ、レオン様、そして隣で茹で卵の殻を剥いていたリーザの動きが、同時に凍りついた。
ルチアナの顔面から、先ほどまでの「労働の尊さに目覚めた清らかな聖女」の表情が、霧散するように消え去った。
カッと見開かれた瞳の奥に宿ったのは――。
血と業火が渦巻く、正真正銘のギャンブル中毒者の狂気だった。
「つ……月人君……? 純白タキシード……? 私と……結婚……?」
ルチアナの口元から、ダラリと涎が垂れ落ちた。
「アカン!! コハル、あの女の目をみぃ! 完全に目がイッてもうてる!!」
マシロが叫び、飛びかかろうとする。
「ルチアナ様、画面を閉じなさい! 貴女、さっき自分の口で『地道に真面目に生きていく』って言ったばかりでしょうが!!」
私が立ち上がり、叫んだ。
しかし、すでに遅かった。
ルチアナの右手の人差し指は、まるで何かに憑りつかれたかのように、超高速で画面上の【十連召喚(有償ジェム三万円)】のボタンへと吸い寄せられていた。
「だって……だってぇぇぇっ! 完済したから、私の利用可能枠……百万円、丸々綺麗に空いてるじゃないのぉぉぉぉっ!!」
「枠はアンタのお金じゃないって、あれほど言ったでしょうがぁぁぁぁっ!!」
ポチッ!!
「月人君は私の夫よぉぉぉぉっ!! 課金みじゃぁぁぁぁぁっ!!!!」
ピカァァァァァァッッ!!!!
エンジェルスマホから、眩い課金の光が放たれた。
画面の中で回転する魔法陣。
【十連結果:割れたお皿(レア度:N)×10】
「出ない! もう十連!!」
ポチッ!
【十連結果:錆びた鉄くず(レア度:N)×10】
「嘘でしょ!? まだ枠はあるわ! 次! 次ぃぃぃぃっ!!」
ポチッ! ポチッ! ポチッ! ポチッ!
「やめろ馬鹿野郎ぉぉぉっ! 画面を連打するなァッ!!」
マシロが体当たりをかますが、ルチアナは神威の怪力でそれを弾き飛ばし、白目を剥きながら狂ったように親指を打ち下ろし続けた。
ポチポチポチポチポチポチポチッ!!!!
そして、わずか三十秒後。
ピロリロリロリロリィィィン……。
無情にも、画面が真っ暗に暗転した。
そこに浮かび上がったのは、巨大な赤いドクロマークと、乾いたシステム音声だった。
『――大変申し訳ございません。お客様のご利用可能額が上限(百万円)に達したため、お取引を停止いたしました。本月の未払い残高:百万円。リボ払い手数料を含め、直ちにお支払いください』
画面の片隅には、大量のゴミ箱のように積み上がった【割れたお皿×300】【錆びた鉄くず×200】のアイコン。
朝倉月人の限定SSRなど、影も形も存在しなかった。
「……あ」
ルチアナの指先から、スマホがポトリと地面に落ちた。
全身から魂が抜け出たように、その場に力なく正座するルチアナ。
「……出なかった……。百連……いや、三百連回したのに……月人君、来てくれなかった……」
「「「…………」」」
静寂。
ポポロ村の夜の空気が、絶対零度よりも冷たく凍りついた。
二日間にわたる、泥まみれのマンドラ捕獲。
命懸けのメロロン収穫。
極寒の雪山での二百本の丸太薪割りと、灼熱の熱波師労働。
そして、キャルルと共に命を削って激走した三国配食デリバリー。
あの涙と汗と感動の結晶である「完済の奇跡」は――
わずか三十秒の、ソシャゲのガチャ画面への課金連打によって、一瞬にして電子の藻屑となって消滅したのだ。
「……」
私は、落ちていたスマホを無言で拾い上げた。
画面に表示された『借金残高:金貨百枚(一千万円相当・即時一括返済期日:今夜)』の文字。
私の表情から、怒りすら消え去った。
残ったのは、ただただ純粋な、極限の虚無と、冷徹な医療従事者としての「完全な諦め」だった。
「コハル……」
レオン様が心配そうに私の肩に手を置く。
「あの者を、今すぐ私の手で分子レベルまで消滅させようか?」
「いえ、レオン様。無駄なエネルギーを使う必要はありません」
私は静かに、自分自身のエンジェルスマホを取り出した。
そして、アドレス帳の最深部に登録されていた、ある『特務直通回線』のボタンを、一切の迷いなくタップした。
プルルルル……プルルルル……。
カチャッ。
『――はい。大宇宙管理局・カスタマーハラスメント部、ならびに天界金融法執行特別対策室、部長のヴァルキュリアですが』
受話器の向こうから聞こえてきたのは、冷徹で、規律正しく、そして深い疲労感を帯びた美しい美声だった。
「あ、夜分遅くに恐れ入ります。ルナミス帝国公爵夫人(予定)のコハルです」
『あ……コハル様! いつもお世話になっております! そちらの地上での公衆衛生の改善、天界でも大評判でして……! ところで、こんな夜更けに一体どのようなご用件でしょうか?』
「ええ。単刀直入に申し上げますね」
私は、地面で「月人君……」と呟きながら砂をいじっているルチアナを、ゴミを見るような目で見下ろしながら、事務的なトーンで告げた。
「おたくの第3種惑星創造神格公務員、ルチアナさんですが」
『……ッ!? ル、ルチアナ様が、何か……!?』
「はい。先ほど、更生プログラムによって一度は完済した利用枠百万円を、ソシャゲのガチャにて三十秒で全額溶かし、再び限度額天井に張り付きました。現場での指導、説教、肉体労働、すべて試みましたが……完全に手遅れの『社会的外傷(トリアージ:黒)』です。当方ではもう対応しきれませんので、今すぐ引き取ってください」
『…………』
電話の向こうで、完全に息が止まる気配がした。
数秒の沈黙の後。
ギリッ……と、奥歯が砕け散るような凄まじい軋み音と、怒髪天を衝く天使長の低い声がスピーカーから漏れ出してきた。
『……承知、いたしました。……現場の皆様には、筆舌に尽くしがたいご迷惑をおかけしましたことを、天界を代表して心より深くお詫び申し上げます。……直ちに、執行部隊(黒服)を転送いたします』
「はい、よろしくお願いします。……あ、お茶でも飲んで待ってますので、お気をつけて」
通話を切ると、私は隣で呆然としていたリーザに声をかけた。
「リーザちゃん、急須のお茶、おかわり淹れてくれる?」
「は、はいですわ……!」
そして、通話を切ってからわずか十秒後。
ゴオオオオオオオオオッッ!!!!
ポポロ村の頭上の空間が、ガラスのようにバリバリと音を立てて砕け散った。
虚空に開いた漆黒の次元ゲートから、地響きと共に現れたのは――。
黒いスーツに身を包み、目元には漆黒のサングラス。
首回りの太さがドラム缶ほどもある、筋肉隆々の二メートルの巨漢――大宇宙管理局直属の『黒服天使レスラー』二名だった。
「対象、第3種世界神ルチアナを確認」
「天界金融法第百八条、ならびに悪質多重債務執行令状に基づき、身柄を確保する」
低く無機質な声と共に、レスラーの一人が背負っていた、超特大サイズのジュラルミン製スーツケースを地面にドスンッ! と置いた。
カチャリと開け放たれる蓋。中は頑丈な拘束ベルトが何重にも張り巡らされている。
「え……? な、なにこれ? 黒服……? スーツケース……?」
ルチアナがようやく正気に戻り、恐怖で顔を引きつらせた。
「いやぁぁぁっ! 待って! 待ちなさいよ! 明日またデリバリーで走るから! スアイのサウナで熱波送るからぁぁぁっ!!」
「問答無用」
ガシィッ!!
黒服レスラーの丸太のような腕が、ルチアナの両手首を軽々と掴み上げた。
「ぎゃあああああぁぁぁっ!? 離しなさいよ筋肉ダルマぁぁぁっ!! コハルちゃん! 助けて! レオン公爵、この化け物たちを消してぇぇぇっ!!」
ルチアナが涙と鼻水を撒き散らして私たちに手を伸ばす。
しかし、私たちはベンチに並んで腰掛け、湯呑みから立ち上る湯気をふーふーと吹きながら、ただ静かに彼女を見つめていた。
「自業自得ですわね、ルチアナ様」
リーザが冷めた目で、茹で卵をもぐもぐと咀嚼しながら言った。
「身の丈に合わない課金は、命を削る毒と同じですわ。……せいぜい、海の藻屑となって反省なさい」
「ギャハハ! マグローザ漁船でチンチロでもやって、船内通貨『K』を稼いでくるんやな!」
マシロが手をヒラヒラと振る。
「では、梱包を開始する」
黒服レスラーは、暴れるルチアナの身体を、まるで手慣れた手つきでヨガのポーズのように四つ折りに畳み込み、スーツケースの中へとスポッ! と綺麗にパッキングした。
「ふぎゃっ!? 狭い! 骨が! 骨が鳴ってるぅぅぅっ!!」
バチンッ!! カチャリ!!
無慈悲に閉ざされるスーツケースの蓋。
頑丈なナンバーロックが幾重にも施され、中から「出せぇぇぇっ! ここから出せぇぇぇっ!!」とドンドン叩く音が虚しく響く。
レスラーはスーツケースを軽々と片手で持ち上げると、私たちに向かって直立不動で深く一礼した。
「ご協力感謝いたします。これより対象を、シーラン海沖合のマグローザ遠洋漁業船『第二十八・天界丸』へ強制連行いたします」
「ご苦労様です。あちらの船長さんにもよろしくお伝えくださいね」
私が湯呑みを手に笑顔で会釈すると、黒服レスラーたちは再び次元の裂け目へと消え去っていった。
ゴオオォォ……と空間の歪みが閉じ、ポポロ村には、再び何事もなかったかのような静寂と虫の音が戻ってきた。
「……ふぅ。これで一件落着ね」
私が安堵の息を吐くと、レオン様が愛おしそうに私の頭を撫でてくれた。
「実に完璧なトリアージだったな、コハル。……君の冷徹で理知的な判断力、ますます惚れ直したぞ」
「もう、レオン様ったら。……でも、本当に疲れましたわ」
こうして、ポポロ村を騒がせた駄女神の更生劇は、最悪の自爆と、問答無用の強制連行という形で幕を閉じた。
……はずだった。
翌日の夜、私たちが村の仲間たちと開く予定の打ち上げ宴会に、あのゴキブリ並みの生命力を持つ女神が、どのような姿で舞い戻ってくるのか。
この時の私たちは、まだ想像すらしていなかったのである。
読んでいただきありがとうございます。
面白いと思っていただけましたら、★評価やブックマークで応援していただけると励みになります。




