EP 10
太郎回転寿司の狂宴と、脱走女神の凱旋〆
黒服天使レスラーの手によって、自業自得の駄女神ルチアナが超特大スーツケースに四つ折りにパッキングされ、漆黒の次元ゲートの彼方――シーラン海沖合の過酷なるマグローザ遠洋漁業船へとドナドナされてから、丸一日。
嵐のような厄介払いを終えたポポロ村は、雲ひとつない穏やかな夕暮れを迎えていた。
「――はいっ! 皆さん、この数日間、本当にお疲れ様でした! 害虫……いえ、不審な多重債務者の更生対応から日々の農作業、防衛任務まで、完璧にやり遂げてくださった皆さんに心からの感謝を込めて、今夜は無礼講の打ち上げ宴会です!」
私の乾杯の音頭が響き渡ったのは、ポポロ村の街道沿いに建つ、ひときわ明るいネオンが輝く大型店舗――『太郎回転寿司握り・ポポロ支店』の貸切大広間だった。
客席の中央をぐるりと巡る、魔導動力で滑らかに回転する木製のコンベアレーン。
その上を、佐藤太郎が100円ショップの概念と近代日本の飲食文化を融合させて生み出した、色とりどりの極上寿司皿が規則正しく流れている。
「うおおおおおおっ! 回ってる! 寿司が目の前を爆走してるぞッ!」
「見てみろ、このピラダイの昆布締め! 脂が乗ってテッカテカじゃねえか!」
「こっちの肉椎茸の炙り握りもヤバいぞ! ワサビと醤油草の香りで闘気がみなぎってくるッ!」
大広間のあちこちから、村の農夫たちや自警団員、ドンガン地下帝国のドワーフたちの歓声が湧き上がった。
テーブルの端では、ケンタウロス種の自警団リーダー・マンミアが、四つの蹄を器用に畳んで座り込み、山盛りの『特製・太陽芋フライ』を抱えながら生ビール(ジョッキ)を豪快に煽っていた。
「ぷはぁぁぁっ! 効く……っ! 25歳独身の荒んだ五臓六腑に、麦酒の苦味が染み渡るわ……! 見なさいコハル殿、あのレーンを回る『甘エビ二貫盛り(一皿・銅貨二枚)』を……! 二貫寄り添って仲睦まじく流れていく姿が、まるで世間のリア充共のようで無性に腹立たしいが……美味い! 食べて胃袋で成仏させてやるわッ!!」
「マンミアさん、やけ酒しないでちゃんとピラダイの握りも食べてくださいね。EPAとDHAが豊富で、自律神経の安定に最高ですから」
私が苦笑いしながら小皿を取り分けると、隣の席から猛烈な勢いで皿が積み上がっていく音が聞こえてきた。
ガシャンッ! ガシャンッ! ガシャンッ!
「んぐっ、んぐっ……! コハル、この『炙りサーモン・マヨ・ハーブ炙り』、たまらん美味さやで! 脂の甘みとハーブの酸味が口の中で大爆発しとる! レーンが追いつかへんから、板前のオッチャンに直接四十皿頼んだわ!」
マシロがウサギ耳を幸せそうにピコピコと揺らしながら、自分の座高を遥かに超える高さまで空皿タワーを築き上げていた。
通常時100m走5秒台の神獣の胃袋は、もはやブラックホールである。
「♪お寿司が〜回れば〜、世界も〜回る〜! 五円の〜御縁に〜、感謝ですわ〜!」
その隣では、芋ジャージ姿のリーザが、無料の粉末緑茶の缶を抱えながら、レーンから流れてくる『ツナマヨ軍艦(半額タイムセール皿)』を神速の手さばきで両手でキャッチしていた。
「見てくださいましコハル様! このお寿司という文化、お皿の色によってお値段が明確にトリアージされていて、貧乏人にも極めて優しい神のシステムですわ! わたくし、今夜は一番安い黄色の皿(銅粒十枚)だけで、お腹の限界突破を目指しますの!」
「リーザちゃん、今夜は公爵家の全額奢りだから、金色の特上皿(大トロ)もいくらでも食べていいのよ?」
「えっ……!? き、金色の皿を……!? 嘘ですわ、そんな贅沢をしたら、明日の朝には全身の毛穴から金色の泡を吹いて死んでしまいますわーーっ!!」
目を回してガタガタ震えながらも、震える手で金色の皿(マグローザ大トロ一貫盛り)へ手を伸ばすリーザ。
どこまでも庶民派……というか極貧根性が染み付いた人魚姫である。
そんな賑やかな狂宴の最中、私の腰に、ふわりと温かくてたくましい腕が回された。
「……実に騒がしいが、君が心から笑っているなら、この店の全株を買い取った甲斐があったというものだ」
耳元に吹きかかる、極上のダージリンと白檀の香り。
濃紺の上質なシャツの胸元を少し緩めたレオン様が、極上の微笑みを浮かべて私を見つめ下ろしていた。
周囲の喧騒などまるで目に入っていないかのように、彼の漆黒の瞳には私一人だけが映っている。
「レ、レオン様……っ。全株買い取ったって、またそんな恐ろしいことをサラッと言わないでください。……それに、みんな見てますから、あんまり人前で密着するのは……」
「見ていればどうだというのだ。全帝国民の前で婚約を宣言したのだから、今さら隠すことなど何もない」
レオン様は私の左手を優しく取り、薬指の『絶対防壁の婚約指輪』を愛おしそうに撫でた。
「昨夜はよく眠れたか? 心拍数も血圧も、理想的なリラックス状態を示しているな。……君が無理をして倒れる悪夢を、私はもう二度と見たくない。このポポロ村の視察が終われば、帝都の公爵邸で君のための特製スパと薬草園が完成する。……生涯をかけて、君を甘やかし、守り抜くと誓ったのだからな」
「レオン様……」
どこまでも重く、どこまでも深い、過保護すぎるほどの愛。
前世の冷たい病棟で、誰にも看取られずに孤独死した私の魂は、彼の腕の中で、確かに生きている温もりを取り戻していた。
私が胸を熱くし、そっとレオン様の胸元に寄り添おうとした――
その、瞬間だった。
ガシャアアアアアアアアアアアンッッッ!!!!
「「「「ヒエッ!?」」」」
店内の空気が一瞬で凍りついた。
回転寿司の店舗正面、道路に面した強化ガラスの巨大窓が、凄まじい衝撃と共に粉々に砕け散ったのだ。
飛び散るガラスの破片。
巻き上がる白煙と、強烈な磯の潮臭さ。
煙の向こうから、店内の床をズザザザザザーッ! と滑り込んできたのは――
頭に真っ黒なワカメと海藻をドッサリと乗せ、
泥と魚のウロコに塗れたボロボロのタローマン作業着を着裂き、
足元には片方だけになった緑の健康サンダルを引っ掛け、
そして両手に巨大な『冷凍マグローザ(体長二メートル)』を棍棒のように担いだ――
世にもおぞましい形相の、世界神ルチアナだった。
「「「出たァァァァァァァァァッッッ!!!?」」」
店内に悲鳴が木霊した。
「は、ハァ……ハァ……っ! やっと、やっと着いたわよぉぉぉっ!! 遠かった……! シーラン海沖合五百海里、死ぬほど寒かったわよぉぉぉっ!!」
ルチアナは血走った目で仁王立ちになり、手にした冷凍マグローザをドスゥンッ! と大広間の畳の上に叩きつけた。
「な、なんでアンタがここにいるのよぉぉっ!?」
私が思わず立ち上がって叫ぶ。
「大宇宙管理局の黒服レスラーにスーツケースに詰められて、マグローザ漁船にドナドナされたはずでしょ!?」
「ふ、ふんっ! あの程度の密閉空間、私の神威をもってすれば……ええい、骨の二、三本は折れたけれど、関節を亜空間に外して脱出してやったわよ!」
ルチアナはワカメを頭からむしり取って床に投げ捨て、鼻の穴を指差して吠えた。
「漁船に着いた瞬間、船長が『船内通貨Kを賭けてチンチロ勝負だ』とか舐めたこと抜かしてきたからねぇ! 私の神聖イカサマダイスで身包み全部剥ぎ取って、船長が泡吹いて倒れた隙に、この一番デカい冷凍マグローザの背中に跨がって、鼻の穴に五円玉を二枚詰めてジェット噴射させて海を渡って逃げてきたのよぉぉぉっ!!」
「「「どんな力技で脱走してんだこの駄女神ッッ!!!」」」
マシロとリーザ、そして店内の全員が一斉にツッコミを入れた。
「ゴキブリ並みの生命力ですわ……!」
リーザがドン引きしながら後ずさる。
しかし、ルチアナは周囲のドン引きの視線など一ミリも気にしていなかった。
彼女の鼻腔が、店内に漂う香ばしい醤油草の匂いと、酢飯の香りを捉えたのだ。
ゴルァッ! と首が百八十度回転し、血走った眼球が、コンベアレーンを回る極上の大トロ皿をロックオンした。
「見つけたわよ……! 私の……私の命を削った労働の果てに待っていたはずの、極上の打ち上げ宴会ぃぃぃっ!!」
ドタドタドタドタッ!!
ルチアナは片方だけの健康サンダルを激しく鳴らしながら、私たちのボックス席へと突進してきた。
そして、レーンから流れてきたばかりの『マグローザ大トロ三貫盛り(特上・金皿)』を両手で鷲掴みにすると、そのまま口の周りに米粒とワサビを飛び散らせながら、一口で丸呑みにした。
モグモグモグッ、ゴクンッ!!
「う……う、美味ぁぁぁぁぁぁぁぁぁいっっ!!!!」
ルチアナの瞳から、大粒の涙がナイアガラの滝のように吹き出した。
「脂が……脂が舌の上で溶けるぅぅぅっ! 凍えた身体に、酢飯の酸味と醤油草が染み渡るわぁぁっ! 働いた後の……命懸けで海を渡ってきた後の飯、最高ぉぉぉぉっ!!」
「あーっ! 泥棒猫ならぬ泥棒女神! ワテがキープしとった大トロ皿を勝手に食うなやーッ!」
マシロが飛びかかり、ルチアナの顔面にウサギキックを叩き込む。
「ぶべらっ!? 痛い! でも美味い! ほら、この冷凍マグローザを捌きなさいよ板前! 私が命懸けで獲ってきたんだから、タダで食わせろぉぉぉっ!!」
「誰がタダで食わせるか、このクソ客がぁぁっ!」
厨房から飛び出してきたドワーフの料理長が、巨大な出刃包丁を振り回しながら追いかけ回す。
「ぎゃああああああっ! 暴力反対! 私はこの世界の創造主なのよぉぉぉっ!!」
大広間を逃げ惑うルチアナ。
飛び交う寿司皿。
笑い転げる村人たちと、呆れ果てて額を押さえるマンミア。
「……はぁ。本当に、救いようのない神様ね」
私は深いため息を吐いた。
けれど、その口元には、どうしても隠しきれない柔らかな笑みが浮かんでいた。
どんなに理不尽で、どんなにカオスで、どんなに手が焼ける存在であっても――。
泥にまみれ、寿司を頬張り、みんなで大笑いしながら明日を迎える。
この温かくて、少しおかしな世界こそが、私が前世の暗闇を越えて辿り着いた、守るべき「最高の日常」なのだから。
「コハル」
レオン様が私の手を取り、そっとグラスを傾けてくれた。
「あの騒がしい害虫の処分は明日の朝考えるとして……今宵は、君の勝利と、この世界の平和に乾杯しよう」
「……ふふ。はい、レオン様。乾杯です!」
カチン、と澄んだ音を立てて重なり合うグラス。
砕けた窓から吹き込む夜風は、どこまでも心地よく、ポポロ村の夜を優しく包み込んでいた。
波乱万丈の駄女神更生プログラムは、結局のところ、賑やかな笑い声と積み上がる寿司皿のタワーと共に、これ以上なく完璧な形で幕を閉じたのだった。




