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EP 7

スアイのポポロ山サウナと、魂の薪割り

「……ハァ、ハァ……っ! なんで、なんで標高二千メートルの雪山に登らされてるのよぉぉぉっ!? 寒い! 指先の感覚が完全に消え去ってるんだけどぉぉっ!!」

ポポロ村の背後にそびえ立つ霊峰、ポポロ山。

吹き荒れるブリザードの中、緑の健康サンダルを投げ捨ててタローマン製の防寒長靴に履き替えた世界神ルチアナが、雪煙を上げながら這うようにして山道を登っていた。

着せられているのは、タローマン特製の極厚デニム地ガテン系ツナギ。

昨夜、アパートの裏庭で五十個の油まみれの寸胴鍋を洗い終え、デュークから「出汁ガラと廃棄寸前の米麦草」を恵んでもらって飢えを凌いだルチアナは、すでに全身の筋肉痛と睡眠不足でフラフラだった。

「文句を言わないの、ルチアナ様! 標高の高い場所での有酸素運動は、基礎代謝を極限まで引き上げる最高の心肺機能トレーニングなんですから!」

私は厚手の白衣風ウールコートに身を包み、手元のカルテをめくりながら元気よく声をかけた。

私の隣には、寒風など一筋も通さない防寒魔導フィールドを周囲に展開し、私の手を自らのコートのポケットに入れて温めてくれているレオン様がいる。

「コハル、足元が凍りついている。私の肩を掴みなさい。……あ奴が滑落しそうになったら即座に影の鎖で引き上げるが、自業自得の骨折ならば現地でトリアージしてやれば十分だな」

「レオン様、骨折したら作業効率が落ちちゃいますから、安全第一でいきましょうね」

「……あんたたち、マイナス十度の吹雪の中でイチャついてんじゃないわよぉぉぉっ!!」

ルチアナが絶叫したその時、猛烈な吹雪のカーテンが不意に割れた。

現れたのは、巨大なログハウス風のロッジと、そこから立ち上る真っ白な湯気――。

年間売上四千万円を叩き出す、元氷魔将軍スアイが経営するポポロ山スキー場&本格フィンランド式サウナ施設だった。

「――騒々しいですね。神威を散らす暇があるなら、息を整えなさい」

ロッジのポーチから、カツン、と硬質な音を響かせて一人の美女が姿を現した。

元氷魔将軍・スアイ。

かつて魔皇国軍で「寒冷地獄の処刑人」と恐れられた彼女は、今や露出狂まがいのビキニアーマーを完全に脱ぎ捨て、タローマン製の無骨なオーバーオールに厚手のネルシャツを着こなし、首元には汗拭きタオルを巻いた完全無欠の「ガチ農業キャンパー&熱波師」の姿となっていた。

「ス、スアイ……!? アンタ、魔皇国の将軍を辞めて、こんな雪山で何やってんのよぉぉっ!?」

「何をやっているか、見ればわかるでしょう。世俗の無意味な権力闘争とセクハラ同然の露出甲冑に退職届を叩きつけ、大自然の中で己の力のみで生きる自立した女帝へクラスチェンジしたのです」

スアイは冷淡な瞳でルチアナを見下ろすと、手にした巨大な薪割り斧を、ズドンッ! と丸太の上に叩きつけた。

「コハル殿から事情は伺いました。リボ払いの天井に張り付いてマグローザ漁船送りの危機にある、哀れな多重債務者だそうですね。……本日の日当は、危険寒冷地手当込みで【金貨七枚(七万円)】。ただし、生半可な根性では一銭も持ち帰れませんよ」

「き、金貨七枚……っ! やる! やるわよ! 昨日の分と合わせれば、一気に返済が進むじゃないの! なにをやればいいのよ!?」

ルチアナが目を血走らせて身を乗り出すと、スアイは無表情に裏庭を指差した。

そこには――。

「「「…………」」」

直径一メートルを超える巨木な丸太が、山のように……いや、本物の小山のように何百本と積み上げられていた。

「まずは午前のノルマ。サウナの熱源となる薪の確保です。このポポロ杉の丸太二百本を、夕方までにすべて薪割りしなさい。魔法の使用は厳禁。己の腕力と体重移動だけで叩き割るのです」

「に、二百本ぉぉぉぉっ!? 無理よ! 私、神様よ!? なんで木こりのバイトみたいなことしなきゃいけないのよぉぉっ!!」

「能書きは不要。割らぬなら、今すぐ谷底へ突き落としてマグローザ漁船へ着払いでお届けします」

「ひぃぃぃん! やりますぅぅぅっ!!」

ルチアナは涙目で渡された両手斧を握りしめた。

丸太に向かって斧を振り下ろす。

ガツンッ!!

「ぐあぁっ!? 手が、手のひらが痺れるぅぅっ!!」

「腰が入っていません! 腕の力で振るのではなく、自重を落とし、重力を利用して刃を食い込ませるのです! ほら、もう一丁!」

スアイの容赦ない怒声が雪山に木霊する。

ガツンッ! メキメキッ! ガツンッ!

「あぁぁぁぁっ! 私の月人君の生写真代ぇぇぇっ! 握手会の遠征費ぃぃぃっ! 返済口座に消えていく金貨ぁぁぁっ!!」

ルチアナは怨念と物欲を叫びながら、狂ったように斧を振り下ろし続けた。

手のひらにマメが潰れ、血が滲み、汗が凍りついてツナギを濡らす。

しかし、一本、また一本と丸太が綺麗な二つに割れていくたびに、彼女の濁りきっていた瞳に、何かが灯り始めていた。

「……ふふっ。見てくださいレオン様。無駄な力みが抜けて、とても綺麗なフォームになってきましたよ」

ロッジのテラスから、温かいココアを飲みながら見守る私。

レオン様は私のカップを持つ手にそっと手を重ね、優雅に微笑んだ。

「ああ。他人の褌で相撲を取ることしか知らなかった者が、己の肉体を極限まで使い、物質の破壊と創造を体感している。……コハル、君の処方した『労働療法』は、あらゆる神聖魔法よりも劇的に魂の歪みを矯正しているな」

そして、午後三時。

二百本の薪割りを血反吐を吐きながら完遂したルチアナの前に、第二の関門が立ちはだかった。

「よく薪割りを終えましたね。……では、最終試練です」

スアイが扉を開けたのは、薪ストーブの炎が轟々と燃え盛る、総ヒノキ造りの巨大なサウナ小屋だった。

室内には、ポポロ村の筋肉質な農夫や、ドンガン地下帝国の屈強なドワーフ、さらには非番のルナミス帝国兵たちが、汗だくになって座り込んでいた。

「ここでの貴女の仕事は――熱波師(アウフグース)。サウナストーンにアロマ水をかけ、この特大バスタオルを振り回して、室内の男たちに極上の熱風を送り届けるのです」

「は、熱波師ぃぃっ!? この灼熱地獄の中で、タオルを振り回せって言うの!?」

「当然です。お客様の老廃物を吹き飛ばすのが熱波師の使命。……いくぞ、ルチアナ! サウナストーンへ、ポポロハーブ水を注湯(ロウリュ)!」

ジュワァァァァァァァッッ!!!!

真っ赤に熱せられた溶岩石から、爆発的な水蒸気が立ち上った。

一瞬にしてサウナ室内の体感温度が百度近くまで跳ね上がる。

「うぎゃあああああ熱い! 息が吸えないぃぃっ!!」

「タオルを回しなさい! 腕を振れ! 己の不摂生を、怠惰を、借金の重みを、すべてこの風に乗せて叩きつけるのです!!」

スアイが猛烈な風速でタオルを旋回させ、男たちに熱波を浴びせかける。

「うおおおおっ! スアイ様ァッ! 最高だァッ!」と歓声を上げる屈強な客たち。

「く……っ、負けてたまるかぁぁぁっ!!」

追い詰められたルチアナの脳内で、何かのリミッターが完全に吹き飛んだ。

ルチアナは両手で特大バスタオルを掴むと、かつて創世記に邪神デュアダロスと渡り合った時の神威の記憶を、タオルの遠心力へと強引に変換した。

「喰らいなさい! 世界神ルチアナ特製――『熱風・神聖ブラスト(アウフグース)』ォォォォッ!!」

バォォォォォォォッッ!!!!

サウナ室内に竜巻のような猛烈な熱風が巻き起こった。

熱波が男たちの皮膚を焼き、毛穴という毛穴から滝のような汗が噴き出す。

「うおおおおっ!? なんだこの熱波はァッ!? 全身のコリが吹き飛ぶぞッ!」

「すげえぞ、新人のタオルの回転! 魂まで洗われるようだァッ!」

「はっはっはっ! どうよ、私の熱風は! もっと汗をかきなさい、愚民どもぉぉぉっ!!」

ルチアナはトランス状態に突入し、狂ったようにタオルを振り回し続けた。

男たちの老廃物だけでなく、ルチアナ自身の毛穴に詰まっていた「甘え」「自堕落」「物欲」のすべてが、沸騰した汗となって全身から噴き出し、床を濡らしていく。

そして――。

「――終了! 水風呂へ直行しなさい!」

スアイの号令と共に、サウナ室の扉が開け放たれた。

フラフラになりながら外へ飛び出したルチアナの前に広がっていたのは、ポポロ山の天然水が注ぎ込む、水温四度の巨大な露天水風呂だった。

ドッシャァァァァァンッッ!!!!

「ぎょえぇぇぇぇぇぇっ!?」

頭から水風呂へダイブしたルチアナ。

百度の灼熱から、四度の極冷へ。

血管が収縮し、全身の神経が限界を超えてスパークする。

スアイに首根っこを掴まれて引き上げられたルチアナは、雪景色が一望できるウッドデッキの『ととのい椅子』へと無造作に放り出された。

「……あ、あぁ……」

冷たい雪山を渡る風が、火照った肌を優しく撫でる。

ドクン……ドクン……と、力強く脈打つ自分の心臓の音だけが、世界のすべてのように耳の奥に響いていた。

視界が、信じられないほど鮮明に澄み渡っていく。

頭の中にあった「クレカの残高」も、「ソシャゲのガチャ」も、「月人君の生写真」も、すべてがどうでもいい塵のように消え去っていた。

ただ、生きている。

自分の心臓が、自分の血液が、全身を巡っている。

「……な、なにこれ……。私……溶けてる……? 空と、ひとつになってる……?」

「それが――『ととのう』ということです」

隣に立ったスアイが、穏やかに微笑んだ。

「泥を払い、汗を流し、極限の熱と冷気を経て、己の輪郭を取り戻す。……ルチアナ、今の貴女の肌は、神威など纏わずとも、一人の労働者として最高に輝いていますよ」

「……ととのったわ……。私、生まれて初めて……本当の意味で、ととのっちゃったわ……」

ルチアナの瞳から、ポロリと一筋の綺麗な涙が零れ落ちた。

その顔には、かつての卑屈で下品な笑みは微塵もなく、まるで生まれたての赤ん坊のような、無垢で透き通るような美しさが宿っていた。

ピロリロリーン♪

ルチアナの首の端末が鳴る。

『――【入金通知】:ポポロ山リゾートより、特別熱波師手当込み日当【金貨七枚(七万円)】が振り込まれました。全額が大宇宙管理局の返済口座へ充当されます』

『現在の残り借金残高:金貨八十六枚』

「……ふふっ。素晴らしいバイタルサインね」

私はととのい椅子に座るルチアナに歩み寄り、冷たいミネラルウォーターのボトルを手渡した。

「お疲れ様でした、ルチアナ様。魂のデトックス、大成功ですね」

「……コハルちゃん。お水……美味しいわね。サケスキーなんかより……ずっと、ずっと身体に染みるわ……」

ルチアナは両手でボトルを抱え、慈しむように水を喉へと流し込んだ。

泥を耕し、薪を割り、熱風を巻き起こして汗を流した駄女神。

残る借金は、あと八十六枚。

明日はいよいよ、三国前線基地を駆け巡る「超高速弁当デリバリー」の最終決戦。

改心した(ように見える)女神の前に、奇跡の完済劇が目前へと迫っていたのである。

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