19.図書館で中学生に告られる
『黄金の乙女』
世界にたった一人の至高の存在。
その女性と相思相愛になると、この世界はおろか、マルチバース全てが二人のものとなる、という伝説。
伝説を信じ、冒険者達は異世界転生を試みていた。
これまで
1.星野翔真 転生者。アイドルグループ・バイオレットバタフライメンバー 告白した騒動を謝罪し、現在は電話で会話する仲。
2.進藤君也 転生者。三崎東高校数学科教師 生徒指導担当 校舎の屋上で告白するも失敗、仁平からあやめを守る。
3.見城利幸 三崎東高校1年 バスケ部所属 体育館裏で告白するも保留。富永からあやめの危機を救う。千枝美琴と付き合っている。
4.吉水健吾 アイドルグループ・バイオレットバタフライメンバー 告白するも失敗。来春、三崎東高校に入学予定。
5.仁平茂樹 転生者。株式会社『あすなろ』社長。75歳 あやめに死を宣告するも失敗。二度と近づかない事を誓う。
6&12.富永悠一 転生者。ファストフード店元アルバイト 不治の病の妹を掬いたい、という口実であやめに近づくも失敗。夜道であやめを襲うも失敗。日本政府によりあやめ達から遠ざけられる。
7.島畑和毅 転生者。塾講師アルバイト 無理矢理あやめをわがものにしようとしたが失敗。
8.下田 三崎東高校1年 教室で告白するも保留。
9.清水良治 転生者。病院勤務内科医 母親の再婚相手としてあやめに近づいたが失敗。
10.野村正貴 三崎第二中学二年 市民プールで告白するも、あやめに諭される。
11.内藤洋二郎 転生者。雑誌編集者 原宿であやめ達に声をかけたが失敗。
13.海道信哉 警視庁SP 監禁中のあやめを救おうとして失敗。重傷を負う。一時的に『黄金の乙女』の力を発動出来る様になる。
14.氏名不詳 某国大統領 あやめと付き合いたいと伝えるが失敗。
15.渡辺慎之介 転生者。旅行代理店勤務 旅先のホテルであやめに恩を売ろうとするが失敗。
16.常盤隆人 転生者。書店員。あやめに告白するが失敗。この世界での安住を望んでいる。
17.小田原雅和 外務省事務次官。あやめと付き合いたいと伝えるが失敗。
18.戸川 市民病院の泌尿器科医。あやめと結婚を前提に付き合いたいと伝えるが失敗。
ちえみの家に行くと、やすことちえみは勉強していた。
「あや、遅かったじゃない、何かあったの?」
「病院で腎臓の検査と父さんのお墓参り。市民病院と墓地が近いんで、一遍に済ませて来た」
「あや、なんか、ごめん・・・」
「大丈夫、気にしないで。父さんの件は、ほぼ克服したつもりだから。まだ克服できていないのは、海道さんの方よ」
「この間の旅行で克服したんじゃないの?」
「ガチの恋愛なのよ。そんな簡単に克服できるもんじゃないわ。思い出す度に涙が出るわ。キミ達、こんあ可哀想なあやめちゃんを慰めようとは思わないの?」
「そうねえ。・・・だったら、可哀想なあやめちゃんには、今度の夏祭りで林檎飴を奢ってしんぜよう」
「じゃあ、私はかき氷を奢ってあげる!」
「ありがとう。・・・それで、私はあなた達のイチャイチャを見せつけられる訳?」
「当然よ。あやは私達の後見人として見届ける責任があるわ」
「はいはい。わかりました。じゃあ、後見人として聞かせてもらうけど、今週のデートの予定はどうなってるの?」
「私は、夏祭り用の浴衣を買いに行くつもり」
「ふうん、ちえみはどうするの?」
「・・・どうしよう。何も決めてない」
「なんかないの?映画とかフェスとか花火大会とかテーマパークとか・・・」
「うん、今月お金がピンチなの・・・」
ちえみの告白に、私もやすこも沈黙してしまった。デートにお金が必要なのは確かだし、高校生に自由に使えるお金が少ないのも事実だ。大学生や社会人のカップルの様なデートは出来ないだろう。しかし、お金は無くとも、会うだけで楽しい!、というものではないだろうか?それに夏祭りに私にかき氷を奢ってくれるのではないか?今から1日限りのアルバイトを探すか?そもそもちえみにふさわしいアルバイトって何だろう?
さんざん考えたけれども、どうも名案が浮かばない。お金が無いのなら、お家デートでもいいじゃん、とも思うのだが、何となく異性を家に呼ぶにはこのカップルはまだ早い様な気がする。見城君を信用していない訳でもないが、この年頃の男子は油断したら何をするかわかったものではない。
しようがないなあ・・・。私はカバンの中から封筒を取り出し、その中の紙幣2枚をちえみに渡した。
「あや、これ・・・」
「このお金は私が母さんから預かったお金。私が受験勉強の為に本を買ったり模試を受けたりする為の費用。だから、私の目標通り成績が上がらなかったら、預かっているお金の残金を全部返すつもり。まずは10月の中間テストで140位以内にならなければ、お金は返す。だから、ちえみ、10月には返してね」
「ありがと!大切に使うね」
おいおい、私は貸しただけで、お金をあげた訳じゃないよ。忠告しようとしたが何故か躊躇われた。ホント、なんでだろ?
翌日、私はいつもの様に学校へ出かけた。
勉強の前にやることがあった。
職員室に入って、中にいた進藤先生に言い放った。
「進藤先生、話があります。談話室で待っています」
談話室に入って数分後、進藤先生が現れた。私は読んでいた参考書を脇に置いて、先生と目を合わせる。
「待たせたな。・・・なんだなんだ、俺を睨むなよ。俺が何かしたか?」
「市民病院の戸川健二に私のことを話しましたよね。それも最近」
「よくわかったな。・・・ああ話したよ」
「簡単なことよ。戸川は私が医学部志望であることを知っていた。私が医学部志望のことを話したのは母と親友二人以外には進藤先生しかいないから、消去法であなたが犯人だということはわかるわ」
「成程ね。確かにそうだな」
「教えて。戸川健二は転生者なの?どうして戸川に私の情報を流したの?」
「間違い無い、戸川健二は転生者だ」
「やっぱり・・・」
「何で戸川に情報を流したか?、って。簡単だよ。戸川に言い寄られて、御前がどう動くかを観察したかったんだ。はっきり言って、戸川健二のスペックは俺よりも上だからな。御前が戸川になびく様だったら、俺もそれなりの覚悟をしなければならない、という事だ」
「それなりの覚悟、って?どういうことなの?」
「つまり、御前に言い寄りそうな人間を全員倒していく、という事だ。そうすれば、必然的に御前の中での序列が上がる」
「星野翔真についてはどうするつもりなの?」
「あいつも御前の前では理解のあるお兄さんみたいな立場を取っているが、本心はわかったものではないからな。もう一回御前に言い寄って来たら、何等かのアクションを取る必要があるだろうな」
「ふうん、安心したわ」
「安心?それはどういう事だ」
「最近、進藤先生はいい人なんじゃないか、って思って来ていたから。やっぱりあなたは転生者なのね。これで安心して、いざという時切り捨てられるわ。ショーマと同じ様にね。・・・それから一つ教えてあげる。私の恋愛対象は何も転生者だけに限ったものでは無いのよ。普通の人でも私と恋愛関係になれば望むことは何でも叶うのよ。・・・それに転生者達は勘違いしているのよ。私と付き合っても多分力は得られないと思う。何故ならそんな気持ちで付き合っても、決して相思相愛にはならないのよ。そして、その状況に絶望した転生者は私に何をすると思う?多分、転生者は私を殺して、次の転生者に望みを託そうとするんでしょ、仁平茂樹がそうした様に。だから、私は転生者とは付き合わない。進藤先生も先生としての職務に専念していればいいのよ。そうすれば命だけは保証してあげる」
「どういう事だ?大人を脅すなんて感心しないな」
「この夏休みに色々ありまして・・・。あの国の大統領と、この国の外務省事務次官を味方に引き入れたの。それに別の意味だけど、私には今警視庁の監視が付いている。公立高校の一教師とか、市民病院の医師の一人なんか消そうと思えば簡単なのよ。だから、先生のお友達にも警告しておいてね。迂闊に『黄金の乙女』に近づくな、と」
「転生者はそんな生半可な気持ちでこの世界に来ていない。御前をものに出来なかったら死んでもいい、この世界を滅ぼしてもいい、と覚悟を決めた者達ばかりなんだ」
「だから、何?そんな覚悟は『黄金の乙女』が粉砕してあげるから。自分達が告白したら、女の子は付き合って当然みたいな考え方、私は否定するわ。私は好きな男の人に自分から告白したいの!」
私は談話室を出て、図書室に向かった。
数学の問題集と三時間弱取り組んだが、『ロジカルシンキングのあやめちゃん』への道はまだまだだ。次の中間テストに向けて、私はある誓いを立てていた。成績向上は勿論だが、てこ入れするのはいわゆる理系科目である数学、生物、化学と英語に限定する。国語・社会については1学期と同じくらいの熱量で臨む。成績が上がっても文系科目のおかげでは意味がない、と思っている。
12時をこえたので、切りのいいところで私は切り上げて、帰宅する事にする。この後、昼食を摂りちえみの家に向かう予定だ。
ちえみの家に行き、引き続き数学の問題集に取り組む。
その間にちえみの週末の予定を聞くと、隣町の夏祭りと花火大会に行く、とのこと。
よかったな、と思う反面、何かしら得体の知れないもやもやとした思いが残った。
家に帰り、そろそろ寝ようかと思い始めた25時にスマホが振動した。
ショーマからだった。
「まだ起きていたか。久しぶりだな」
「こんな夜に何かご用?」
「用が無ければ電話を掛けちゃダメなのか?これでも心配しているんだぜ」
「心配してくれていたの?それはどうもありがとう」
「その口ぶりなら、いつものあやに戻ったと思っていいのかな?」
「それはちょっと違う。どちらかと言うと、手痛い経験をして生まれ変わった、という感じかな。勿論、心の傷は残っているし、以前の自分になんか戻れる筈も無いわ」
「すまない。俺の言い方が悪かった」
「別に気にしていないから。私を心配しての言葉であることも理解しているし、あの時言葉を掛けてくれたことを感謝もしている」
「じゃあ、改めて俺と付き合わないか?」
「お断りします」
「何でだ?俺の事を嫌いなのか?」
「ショーマのことは嫌いじゃないわ。でも好きでもないのも事実だわ。はっきり言うと、あなたは私の中でスペシャルな存在ではないの。それに・・・」
「それに、何だ?これだけでも十分キツい理由なのに、まだあるのか?」
「改めて転生者の行動が信用出来なくなっただけよ。あなたも知っている進藤君也は、私の情報を別の転生者に流していたわ。その件で私がどれだけ窮地に陥るか考えもしないで、自分の利益の為に私の情報を流したのよ。許されることではないわ」
「わかった。あやが転生者に不信感を抱く理由については理解するよ。でも、俺だけは信用して欲しい」
「信用して欲しければ、行動で示しなさい」
「やれやれ、随分と手厳しいな。これじゃあ当分の間、あやと付き合う事は出来そうにも無いな。・・・それで進藤君也をどうしたんだ?まさか何もしないで、許した訳ではないだろ?」
「まあね。ちょっと脅しただけよ」
「どうやって?」
「まあ、ショーマにも適用される事だから言ってあげるわ。あの時に、私は大統領とも、外務省とも知り合いになったのよ。私の頼みなら、少々無茶なことでも叶えてくれる、それだけの力を手に入れたわ。それに今私には警視庁の護衛が付いているから、私を殺すのは難しいわよ」
「あや、いつの間に・・・」
「『黄金の乙女』に言い寄るのは何も転生者に限ったことじゃない。転生者は私と相思相愛にならないのだったら、私を殺して、次の『黄金の乙女』に期待する道がある。だけど、この世界の人間は、次の『黄金の乙女』に期待することは出来ない。何故なら、転生する術がないから。野心を持っている男達は、私の気を引く為に、私の望みを叶えるしかないのよ」
「驚いたな・・・よくそこまで考えられたな」
「何回か死ぬ様な目に遭ったからね。少しは学習するわ。・・・それから、もう一つあなたに忠告してあげる。あなたが駒に使おうとした私の友達、取り返したから」
「あの二人に何をした?」
「それはこちらのセリフ。都合のいい情報を吹き込まれていたから、ちょっと上書きしただけよ。星野翔真、進藤君也、他にも何人かいたわね、彼等は私が自分のものにならないと確信した時、私を殺そうとする筈、とね。二人の内女の子の方に言っただけだから、眼鏡の男の子にはまだ伝わっていないかもね」
「あの二人付き合っているんだろ?じゃあ、もう無理じゃないか。畜生、ここまで転生者の悪評を俺が引き受ける目になるとは・・・」
「もう転生者達の早い者勝ちというルールじゃないの。この世界の普通の恋愛のルールに従えば、あなたにもチャンスはあるかもね。・・・ところで、何の用で電話を掛けて来たの?」
「おお、そうだった。忘れるところだった。・・・俺とケンゴの卒業コンサートが決まったんだ。もし良ければ来ないか?チケットなら用意するが・・・」
「エンリョしておくわ。顔バレしているから、あなたとケンゴのファンに見つかったら、殺されるわ。どこかの映画館でひっそりライブビューイングで見させていただくわ」
「・・・そうか。来てくれるならケンゴも張り切ると思ったんだが・・・」
「ケンゴなら来年の4月には、いつでも会える様になるんだから、余計な気を遣わないでいいんじゃない?私は転生者より普通の人間と恋愛したいのよ」
「畜生。まさかケンゴが最大のライバルになろうとは・・・」
「それも違う。私は男女共学の高校に通っているのよ。毎日、何人の男の子に会うと思ってるの?女の子の交友関係を甘く見過ぎ。・・・まあ、せいぜい頑張りなさい、転生者さん」
これだけ牽制しておけば、ショーマにも行動変容が見られる、と思う。願わくば、他の転生者を倒す存在になってくれれば有り難いが、それは欲張り過ぎだろうか?
私は他に牽制すべき転生者がいないか、思い返そうとした。仁平茂樹は十分だろうし、・・・ちょっと待って仁平茂樹に警告したのは誰だった?私じゃない。そうだ、進藤君也だ。彼はどの様な警告を与えたのか確認していない。『今は自重しておけ』というものだったら?まだまだ仁平に関して警戒を解くべきではないと感じた。
色々検討すると、除外できる転生者は富永悠一だけだった。まだまだ相互監視体制の構築には程遠いし、進藤君也の情報が確かなら転生者の1割も私の前に現れていない。当分の間、大統領や外務省、警視庁を使って自重させるしかないか。
もう遅いし、寝よう・・・私が眠りについたのは、ショーマから電話がかかってから1時間後、26時になっていた。
何ということもなく二日が経過し、日曜日となった。
さて、どこで勉強するかな・・・。家でばかりやっていると、どうも誘惑も多くて能率が悪い。それに家で勉強するには、この季節は暑すぎる。無料で利用できる近場の施設であれば最高だ。スマホで色々調べると駅近の市立図書館が最適だと思った。なんと自習室完備、これは苦学生の為の措置ではなかろうか。
私は開館時刻ぴったりに到着する様に出発した。私は開館の2分前に到着したのだが、敵もさるもの既に行列が作られていた。やっぱり考えることは皆一緒か、自習室が満杯になっていたらさっさと帰ろう。
開館時刻となり、職員さんによって扉が開けられると、行列は無言で前進する。並んでいたのはほぼ同世代の人ばかりだったので、多分自習室まで前の人について行けばいいのだろう。予測通り自習室へ到着したが、既に九割程度席が埋まっており、奥の方に空席を見つけ確保することが出来た。
席を確保すると、私は問題集やノート等を取り出して、勉強を再開した。
数学の問題集と格闘し始めて90分、休憩しようと両手を上げて座ったまま伸びをした時、間仕切りの向こうの隣の席の人が立ち上がろうとしているのが見えた。
どんな人なのだろう。何の気無しに見上げたら、見覚えのある男の子だった。
プールで会った野村君だ。向こうも私の顔を覚えていたみたい。
「九条さん・・・」
「久しぶりね、野村君」
自習室で話をするのははばかれるので、自販機コーナーで話をすることにした。十分ぐらいなら、使わないのに自習室を占拠したと苦情を言われることもあるまい。
「驚いたわ。まさか野村君がいるなんて・・・」
「驚いたのは僕の方ですよ。隣の席に九条さんがいるなんて・・・」
野村君は顔を真っ赤にしていた。かわいいー。でも私程度で顔を赤くしている様じゃ、ガールフレンドなんて出来ないわよ。
「今日は夏休みの宿題をする為に、ここへ来たの?」
「まあ、そんなところです。九条さんは?」
「うちの学校はあんまり宿題は出ないから、もう終わる目途は着いているわ。だけど普段の授業のペースが早くて、中学の頃の感じで勉強してたら取り残されるのよ。だから1学期分の挽回中、うまく行けば2学期の分の予習が出来るかな」
「・・・そうですか。高校の授業ってそんなに厳しいのですか」
「今はそれを気にしても仕方無いじゃないの。一生懸命勉強して、志望校に入ることだけを考えればいいのよ」
あらら、野村君は浮かない顔だった。そうだった。この子は私と同じ三崎東高校を受験することにしたんだっけ。偏差値の高い高校だから、夏休みの宿題だけじゃなく、中二の夏から図書館に通って勉強しているのだろう。
「わからない問題があったら言ってくれれば教えてあげるよ。いくらバカな私でも中二の問題くらいなら、わかるからさ。あんまり時間がないのは確かだけど、一、二問なら教えてあげるよ」
「・・・その時はお願いします」
「じゃあ戻らないと。あんまり長い時間離席していると、文句言われちゃうからね」
「九条さん、すみません、この問題教えて下さい」
「うん、どれどれ」
私は野村君の椅子の後ろに立って、机の上の問題集を覗く。どうやら数学の問題の様だ。
最近急激に勉強を始めたからか視力が悪くなっている様な気がする。問題集の文字がよく見えない。思わず前かがみになって、顔を近づける。野村君の頭が邪魔だなぁ。
ふんふんふん。ああそういうことか。
さて、図書館で説明となると、あんまり大きな声を出すと、周りに迷惑だろうな。
「野村君、この問題はね、どこに補助線を引くかが問題なの。図形をよく見ればわかるわ」
小声で耳元で言うと、耳まで真っ赤になっていた。手元を見ると、シャーペンがぶるぶると震えている。もしかして私を意識してるの?
「じゃあ、わかったら呼んでね。私は自分の勉強してるから」
私は自分の席に座って問題に取り組む。問題に集中していくと、やがてここがどこだか、どんな状況かもわからなくなる。ただただ頭の中の記号を分解し、再構築していく作業に集中する。
「九条さん、九条さん・・・」
遠くで私を呼ぶ声が聞こえ、現実に引き戻される。ああそうだ、ここは図書館で、隣の男の子の勉強を見てあげていたんだ。
私は立ち上がり、野村君の背後に立つ。
「さっきの問題、わかった?」
「はい、ここに補助線を引けば、答えを導けました」
「うん、正解よ」
「九条さん、この問題も教えていただけますか」
「うん、どれどれ」
私は前かがみになって問題文を読んだ。どういうこと?ちょっとわからないなぁ。私は更に前かがみになって、問題文を凝視する。
「ちょっと九条さん、近いですよ」
「ごめんね。暑かったから汗臭いかも」
「いえ、そんなことは・・・」
ああ、そうか。やっとわかった。これも補助線の問題か。
「野村君、これも補助線の問題よ。補助線を引いて、二つの三角形の相似を証明する。後は二等辺三角形の角度が同じことを使えば証明は出来る筈よ。頑張ってね」
5分後、私に声を掛けてきた。見事、正解だった。野村君、やるじゃん。
私は自分の席で数学の問題をひたすら解いた。問題集3、4頁というところか。スマホを確認したら14時過ぎていた。お腹も減って来たし、場所を変えようかな。
「野村君、悪いけど先に帰るね」
私は荷物を鞄に入れて、ウェットティッシュで机を拭きながら言った。
「九条さん、待ってください。僕も帰ります」
自販機コーナーの前にあるベンチに座って、私は野村君と話をすることにした。
鞄の中から水筒を取り出して、直接麦茶を飲んだ。
「麦茶だけど飲む?まだ冷えているわよ」
水筒を差し出したけれども躊躇している様だった。間接キス、気にしているのかな?かわいいな。
「いえ、そんな・・・九条さんはいつもここに来ているのですか?」
「今日が初めて。でも、ここの環境気に入ったから、夏休み中の日曜日は来ようかな。野村君は?」
「僕も今日が初めてなんです。夏休みの宿題が終わらなくて、環境を変えようと思って・・・」
「そうだよね。中々家で勉強するのって難しいよね。私もついついマンガ読んだり、部屋の掃除始めたりしちゃうのよ。だから月曜日から土曜日までは朝は学校の図書室で、午後は友達の部屋で勉強しているのよ。移動時間のロスはあるけど、その方が能率的だと思ってるの」
「九条さんでもそうなんですか・・・じゃあ、なおさら僕は環境を変えてでも頑張らないと」
「頑張ってね。応援してるよ」
私が野村君の背中をぽんと叩くと、彼の中での堤防が決壊したのか私の両手を取って言った。
「九条さん、僕はもう高校入学まで我慢出来ません。今すぐ僕と付き合って下さい」
困ったな。まだ野村君を弟としか見れないし、転生者でもないのにそう邪見にすることは出来ない。かと言って、好きでも無いのに付き合うのも、付き合った結果危険な目に遭わせるのも違うと思う。しかし、思い詰めた男の子と言うのは何をしでかすかわからない。しばらく考えた後、私は自分の思いを野村君に告げた。
「御免なさい。私はあなたを弟としか見れていない。・・・プールで私が言ったことを覚えてる?知らない男の子とはお付き合いしない、って。夏休みはまだ1ヶ月近くあるわ。期間内で私が付き合う気になれば、お付き合いしましょう」
「じゃあ、まだ僕にもチャンスはある訳ですね」
「ええ、勿論」
我ながら酷い女だな、とは思う。きっと月末に、野村君をフるか高校入学まで保留とするかの対応をするのだろう。彼を危険な目に遭わせたくない、というのは言い訳にもならないだろう。私は嫌われたくなくて、態度を曖昧にしているだけだ。
「でも、いつまでも『九条さん』なんて他人行儀に呼んでいちゃダメかもね」
「じゃあ、次からは『あやめさん』と呼ばせてもらいます。構いませんよね?」
「いいわよ。照れずに言えたら、構わないわよ。・・・じゃあ、私はこれで帰るから。また会いましょう、正貴君」




