天原之記
「キキョウお嬢様、お客様がお見えですよ」
ぼくは五番隊長のキキョウさんの御家に来ていた。
「こんばんはキキョウさん」
「あら、こんばんはレヒトさん」
ちなみにぼくの名はレヒトということになっている。
「今日はどんな御用で?」
「マルチを敷く代わりに布をと思いまして、何か良い布は無いかと探しに来ました」
かつては土の乾燥を防いだり雑草を生やさないために藁やマルチシートを使っていた。しかし現在はマルチの製造もないし、藁を運搬するくらいなら作物の運搬をする、そういう時代だ。
アイリスとの家庭菜園のためにぼくは試行錯誤している。
「それならば黒い布をお使いになってはどうでしょう? 地中の温度も逃さない土の乾燥もさせない、冬服用にとわたしが織った布を差し上げます――支払いは結構ですので、どうぞ」
とキキョウさんに黒布を手渡された。そこでぼくは何やらよからぬ事をしているような気持になってしまった。
「失敗すると分かっている挑戦ですので、そんな高価な布は頂けません。何より対価を払わずにとなれば、一族の恥を曝してしまいます」
「あら、対価なんていいんですよ、売り物にするつもりは最初からないのです。もちろん棚に並べれば買われますが、わたしの一族の手織布は天織花織と言ってヒトのこころを見て売るか売らないかを判断します」
「ならこの織布を売っていただけないでしょうか?」
「買うのではなく貰ってください。巫に二言はありません。それこそが七道巫が一つ、出雲人族の星守の一族です。天原より降りてきた一族は己の織物に誇りを持っております」
うぬ、女子にここまで言われては買うにも買えない。巫には頑固者が多いな。
「ありがとうございます。あなたはお優しい」
「諦めないヒトを見ていると、わたしももう一度頑張ろうという気持ちになります。アイリスの挑戦には見て見ぬふりをしましたが……今度こそはわたしもアイリスの力になりたいと」
現世界を復興へ導けるのか否かはキキョウさんにかかっている。たぶん彼女無くして現世界は復興できない。いいや、ひとりでも欠けてしまえば復興は叶わない。
「レヒトさんは、わたしにアイリスの手伝いをしてみないかと言いに、わたしの御家まで来たのでしょう? わたしとアイリスの関係を修復するために来たのですよね?」
どうやらぼくの考えはバレているらしい。
「あはは……そうです。布も目的の一つでしたが、一番の目的はキキョウさんがアイリスの手伝いに協力してくれないか、それが目的でした。あなたで最後です」
「わたしを含めて、今の巫の方々は挫折を経験しております。名門中の名門の御家は五王により挫折しないような教育プログラムが施されておりました。しかしアイリスに関わってしまい、皆は意欲や気力を失ってしまったのです。負けず嫌いのシオンでもアイリスと関わることだけは今後ないと思っていましたが……あなたは凄い方です」
五王によって操作された一族、悪く言えばそうだ。しかし次代を背負うならば挫折しないように誇り高く教育するのも然りか。
「ぼくも挫折を経験してます。親父殿や御袋殿のように立派に夜禅をこなそうと思っても中々うまく行かない。次こそ完璧にという気持ちで挑んでは、失敗を繰り返し、友を、そして同志を失った」
挙句の果てに派閥を転々として失敗を無かったことにした。そんな弱い己がいるからまた誰か失うのだろう。
「そうだったのですね、しかし夜禅でのあなたは立派でした。誰かのために己を犠牲にするような立ち回りは、見ていて少し心が苦しくなりますが、レヒトさんは立派です」
「あはは……そうですかね」
「そうです。星守の一族のわたしが言うんですから間違いありません」
前に彼女と少し話をしたけれど、ここまで温かいヒトだとは思わなかった。これが七道巫の一族の長か。
「この話をすると、話を聴いてくれた相手が消えてしまうんです」
「わたしは大丈夫です」
「そんな気がしたから話したのですけど……もし今回も誰か欠けさせてしまうなら、本当にぼくは呪われているとしか言えない」
「呪われているなら解くしかありません。呪いは解くものですからね」
ほんと、なんて温かいヒトなのだろう。彼女の裡は太陽を宿しているような感じだ。この温かい織布は彼女のこころそのものを写し出しているのだろう。
「ありがとうございます、キキョウさん」
「感謝をするのはわたしの方です。七道巫の一族が再び集まろうとしているのですから、本当にありがとうございます」
と、ぼくとキキョウさんは笑顔を向け合った。
「御屋敷で例えるならば、アイリスが土台ならあなたは屋根です」
「そんな、ひとりで雨や雪を凌げる屋根じゃないよ、言うなればぼくは茅葺き屋根の一本の茅だよ。ひとりでは頼りないけど、仲間の意志や故人の遺志が編み込まれた茅葺き屋根は頼もしい。偶然は必然だったかのように、諸人はヒトが編み込んだ屋根の下に集まるんです」
そうだ、あれは牡丹の花が咲き誇っていた時期、ぼくは八人の女子たちと約束をしたんんだ。何を約束したんだっけ? いいや、ぼくが女子との約束を忘れるくらいだからあれは夢だったのだろう。
「空白記――《里見八犬伝》。あなたは、里見美野夏子さんの息子さんでしょう……」
「え――知っていましたか。御袋殿のことを誰から聞いたのですか……」
「わたしの母より、日と血に最初に呪われた空白の一族と伺っております」
ん? なんのことだ? 親父殿や御袋殿からはそんなこと聞いたことないぞ。
「日と血に呪われた空白の一族ですか……ぼくでも初耳です」
「あ、すみません。分からないのなら先ほどの発言を忘れてください」
忘れろか。いや、己のことだ、気になる。しかし女子にそう言われては忘れるしかあるまい。いや、気になって忘れられない。なんたって自分の血が呪われているなんて言われたら気になるじゃないか。それに空白の一族とはなんだ? 気になる、気になる。
「あの」
「はい?」
「いえ…………ぼくはアイリスとの約束を必ず守りますので、どうか見ていてください。どうかあなた方の力を貸してください」
ぼくは訊きたいこととは別のことを言っていた。気になるけど訊けない。
「大黒柱のような七道巫は、アイリスという土台が支えになっている、そして大黒柱の巫たちは茅葺き屋根の支えになっています。どうか、あなたが巫たちを守ってください」
「ぼくにできるならば、必ず守ります」
こうしてぼくはキキョウさんと約束をしたのだ。




