竜宮之記
夜の砂浜にひとり佇んでいるのはミツハだ。
ぼくは彼女が砂浜にいると知って会いに来ていた。
「〝砂浜は生命が流れ着く場所でなければならぬ〟、わたしの一族が禁止を用いた言の葉です」
「渚の言の葉ですか」
生命は循環する。海から陸へ、陸から海へと流れてゆく。
「どうして生命が流れ着く場所でなければならないのか、隊長さんは分かりますか?」
ふむ、どうしてぼくの預かる隊員はみな難しい質問をしてくるんだ。正直言ってぼくはバカだ、そのぼくに質問したところで返ってくる答えなんてたかが知れているだろうに。
「大馬鹿者が黒亀を助けたからです」
ぼくが答えれば、ミツハはニコリと笑った。
「かつて、砂浜に打ち上げられた穢れし黒亀を助けた大馬鹿者がいたそうです。昔から黒い亀は縁起が悪いと言われており、砂浜で殺されそうになっていたのですが、その者は己が穢れても黒亀の盾となったそうです。『渚は生命の流れ着く場所でなければならぬ』と、そう言って黒亀を庇いました。助けられた黒亀はその者を海の城へと招待したと言われています」
ミツハの言う物語をぼくは知っていた。
「《浦島子の伝説》、懐かしいです」
「やはり隊長は知っておられるのですね」
親父殿と御袋殿に読み聞かされた物語は全て知っている。
「はい、知っていますよ。『渚は生命の流れ着く場所でなければならない』と、いつの間にか穢れが祓われていた黒亀は歴史書にそう記したんですよね」
「そうです。その空白の歴史書を渚の一族は遺伝の記憶で修復したんです。渚の一族だけでなく、三相劃の一族や七道巫の一族は遺伝の記憶で偽の歴史書を完成させました。そうして虫食いばかりの歴史書が完成し、その歴史書を昔話や御伽噺として世に広めたんです」
その昔話を広めた先駆者は千一夜の一族、アーリシェス家だった。アリスブランドという童話出版会社の創設者がルーナの御家で、他の士師の一族や巫の一族は個人事業主のような立場で歴史書をルーナの御家に提供した。
そんなこんなで今では歴史書や昔話は一般家庭にも根付いている。
「隊長は、空白の歴史書を全て読んだのですか? 空白の書紀記とかも」
「『七道物語』と『士師物語』だね。自分でも読んだし、親父殿や御袋殿に聞かされて育ったよ」
「それはおかしいですね……七道物語や士師物語は世に出回らない物語や歴史書なのですけど、まさか書紀記も知っているなんて」
あ、まずい。ここは題名を出さないで答えるべきだったか。
「まぁ、ぼくの両親は夜禅部隊所属なので、何かしら五王から聞いているのだと思います」
理論としては少し強引だっただろうか? しかしぼくのことをあまり知られるのは嫌だから強引にでも隠さなくてはならない。
「ご両親が夜禅部隊に……そうでしたか」
「今は家の方でぼくの妹と弟の面倒を見ておりますが、現役の夜禅部隊ですよ」
「そうですか。ですが、空白の言の葉を知っている隊長は、何者なのでしょうか? ご両親の一族はどこの出身なのでしょうか? 謎です、気になります」
ミツハはぼくの正体について怪しんでいるようだ。
「何者……と言われても、今のぼくは何者にもなれないただのヒトです」
「誤魔化しですね」
「あはは……」確かに誤魔化している。
「まあいいです。わたしも隊長に知られたくないことは山ほど海ほどありますから」
海ほどか、それは広く深く知られたくないのだな。
「それで、隊長はこんな夜の砂浜に何の用があって来たのですか? もしかしてわたしを口説きに来たのでしょうか?」
「いやいや、ただアイリスの挑戦に協力してくれないかなってさ」
「他の巫の方がおりますでしょう」
「みんなでアイリスに協力しなくては復興なんて夢のまた夢です。なのでミツハも手伝ってくれないかな?」
言うと、ミツハは海の方からぼくの方へ視線を移した。
「ならわたしを笑わせてくれたら考えます」
笑わせるだと、そんな全世界で一番難しいことをぼくができるはずない。どうしよう……あ、そうだ。
「――じゃあいきます。ここだけの話、ぼくは原始人なんです」
「…………」
なんだこの空気は、ぼくの言ったことはそんなに面白くなかったか? 面白いと思ったんだけどなぁ、もしかして誰も笑ってくれなかったりするのかな?
「そんなこと七道巫なら誰もが知っております。あなたは未来人であり源史人でしょう、そんなことで笑うほど巫は甘くありませんよ」とミツハ。
「え?」
どういうことだ、話が噛み合っていないぞ。ぼくって原始人なの? 巫の間では未来人であり原始人であるって噂されているの? ぼくって巫の間で嫌われてたりするの?
と、ぼくはミツハに訊きたいことが山ほど海ほど星の数ほど出てきてしまった。
「――まあいいです。隊長の正体が掴めた気がするので、わたしもアイリスのお手伝いをしてあげましょう」
ふむふむ、なんだか分からないがこれで渚の一族も協力してくれるぞ。
「ありがとう、これで海も浄化される」
「そうですね、また海で泳げます」
「泳いだことないでしょう」
ふふふ、と笑うミツハは穢れた海を見て、
「泳ぎましたよ、ヒュラスさんも一緒にね」
うむ、ミツハとの会話は不思議ばかりだ。
まぁ、これで後三人の協力を仰げばいいことになった。
もう少しですよアイリス、ぼくはあなたとの約束を絶対に守って見せます。
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