第18話 「襲撃者」
窓の外の夜空は晴れ渡り、至って静かなものだった。
アーティーと出会ったあの日から、アトラスも何度かこの星空を見上げているが、ようやく馴染み始めてきたところだ。こんなにも多くの星たちが、それもあんなにもはっきりと輝く様は、見ていて落ち着くものではない。人によっては不吉だのなんだのと言う者もいたが、あの日、雲の上で同じ様なものを見ているアトラスには”落ち着かない”の意味合いが違ってくる。
静かで、平穏そのものといっても差し支えないこんな夜には、「敵が来る」という物騒な言葉を持ち出す方が不穏当だ。しかしそれをアーティーが言うのであれば、アトラスには無視できない。アトラスは窓の外の、何もない空中に問いを投げかけた。星の揺らぎが一瞬、そこにアーティーの輪郭を描く。
「敵が来るって、今朝来たばっかりなのに?」
アーティーが嘘を吐くとは思わなくとも、やはりアトラスには俄かには信じられなかった。
第一、空が晴れている。あの触手タマゴが迫っているなら、奴らが吐き出すという雲で夜空は埋め尽くされてしまい、こんなにも開けている筈がない。
「今度はまた勝手が違います。さぁ、急いで下さい」
その緊迫感に満ちた声に急かされるまま、アトラスは窓枠を飛び越えた。イアが何やら叫ぶ言葉がその背中を掠めたが、アトラスの耳にまでは届かなかった。
窓から飛び出したアトラスを待ちわびたように、アーティーが姿を現す。跪き、差し出された手を踏み台に、アトラスは一息にその胸元に飛び込んだ。
そこには今朝と同じ様に、既に三枚の光壁が開けてアトラスを待っていた。ただ、少し様子が違うのは、敵を示す赤い三角形の印が一つしかなく、そして――――
「近いっ!?」
アトラスが叫ぶのと、ほぼ同時だった。背後で何かがぶつかるような音が轟く。轟音の出所を追って振り返ったアトラスの目に映ったのは、金色に輝く光の盾を翳すアーティーの左腕と、その盾に突き立てられた、赤く輝く三本の爪。両者がせめぎ合い、撒き散らされる光の中、その爪の持ち主、即ち襲撃者は意外な姿を一瞬だけ晒したが、押しきれないとみたのか、すぐに大きく下がった。
「黒い、巨神……?」
まず間違いなく、アーティーと同じくらいの背丈はあるだろう。襲撃者の影は人に近い形をしていた。
ただ、その体は枯れ木のように酷く痩せ細り、特に腰回りなどは簡単に折れてしまいそうなほどだ。爪の生えた腕も、太く見えたのは腕に着けた手甲のせいに過ぎず、歪に膨れ上がった肘の関節と相まって痛々しかった。長く伸びて突き出した骨盤の両端が、それが人の姿を模しているだけだと、無言のうちに語っている。弾ける光の中で見た姿も黒かったが、今、改めて向き合ってもその姿は夜の闇にくっきりと浮かび上がるほど暗く、顔面の真ん中で一眼が赤く爛々と輝く様は飢えて目を血走らせる獣を思わせた。
「二度の失敗で手を変えて来た、ということでしょう」
平然とアーティーが言い放つが、アトラスはまだ驚きから立ち直れていなかった。
敵がタマゴでなかったことに驚いたのではない。
人の姿を取っていることに衝撃を受けていた。
アーティーとは違うが、アーティーと同じ様に、人の姿をしていることに。
そのことがアトラスに一つの懸念を抱かせる。
「心配いりません、アトラス。それより――――」
「何だ、あれは!?」
アトラスのなかで湧き上がる懸念を遮るかのように語り掛けるアーティーだったが、その言葉もまた、別のものに遮られた。家屋から飛び出してきた村人たちが、めいめいにアーティーを、或いは敵を指さして騒いでいる。
アトラスの意識が騒ぎ立てる村人たちへと僅かに傾いた隙に、敵は動き出していた。一瞬のうちにその姿は影を残して視界の外へと消えていった。しかしアーティーは敵の動きを完全に捉えていた。再び眼前に現れた敵が放つ拳を難なく躱す。続け様に繰り出された左の拳も―――いつの間にかそちらの拳にも赤い爪が生えていたが――――空しく空を切る。
攻撃を防ぐことも、反撃に転じることもなく、ただ相手の攻撃を躱しながらアーティーは後退を続ける。村の真ん中の広場まで後退したところでアーティーが大きく距離を取ると、敵もそこで一旦、攻撃を中断した。広場を挟んで敵と睨み合いながら、アーティーがアトラスに告げる。
「大丈夫です、アトラス。あれは私とは全く違うものです。ですから、あれの中に誰かがいるようなことはありません」
敵の姿を捉えてから、アトラスがずっと気になっていたのはその点だった。
言われるまでもなく、敵とアーティーが別物というのは理解できた。というよりも、同じと言うのが憚られるくらいだった。それなのに、アーティーと同じ様に人の姿をしているせいで、その細くせり上がった胸の中に誰かがいるのでは、と思えて仕方なかったのだ。敵の胸部にはアーティーのような黒いブロックはないというのに。
「アトラスが動揺しているおかげで、出力が安定しません。これではシールドさえ展開できません。
あれも、これまでのタマゴも、生き物ではありませんし、その内に何か生き物を抱えているということもありません。有り得ません」
アトラスには何故、アーティーがそのように断言できるのか分からなかったが、それよりも一つ、差し迫った問題があった。睨み合っていた敵の方に動きがあったのだ。
やや姿勢を低くして、今度は一直線に真正面から駆けてくる。かと思えば、広場の中程まで来ないうちに宙高く跳び上がった。そのまま真っ直ぐアーティーめがけて振りかぶった拳を打ち下ろしてきた。
ただただ直線的な攻撃がアーティーに当たる筈もなく、振り下ろされた拳は大地を抉る。衝撃の余波で背後の家の石壁が崩れ落ちるのを見て、アトラスは危機感を募らせた。あの拳の破壊力は、タマゴが降らせていた光の矢に匹敵するかもしれない。盾で防ぐことは出来ていたが、万が一あれが直撃したら、アーティーも自分もただでは済まないということは、容易に想像できた。何よりも、
「アーティー、このままじゃ、村が!」
アトラスが皆まで言う前にその恐れる所を察して、アーティーは空へと飛び上がる。アーティーが宙へと逃れたのを見て、敵はおもむろに駆け出した。アーティーとは全く見当違いの方向へと駆けだした敵は、大地を蹴る衝撃で家や牛舎を揺るがしながら、進路上にあった木柵を踏み潰し、なおも突き進む。
「みんな、逃げて!」
アトラスは夢中で叫んだ。潰れた家から住人が這い出てくるのを見て、安堵と同時に怒りが込み上げてくるのを抑えられなかった。




