第19話 「追跡」
敵の黒い影が目指したのは、村の外れにある牧場の、そのまた一番外れにあるサイロだった。壁面を蹴り砕きながら一息に駆け登ると、その天辺から跳んだ。いや、飛んだ。跳躍と同時に腰骨が長く、薄く伸びてさながらそこから翼が生えたかのように変形していった。ゆらりと身体を傾けると敵は大きく旋回し、アーティーの方へと向かって来る。
「何だよ、アレ……」
「敵機、飛翔形態に移行。接近中」
誰の声とも知れない声がそれに答える。
敵が姿を変えたこと、空を飛んでいること、そしてこちらへと迫っていることはアトラスにも理解できる。しかしアトラスの思考はそこまでで精一杯だった。当然、アーティーは違う。敵を見据えて冷静に分析する。
「飛ぶのは意外でしたが、これはこれで脅威が減りました」
敵が必要に応じて姿を変えることも、あれほどの巨体が頼りない翼で宙に浮かんでいることも、アトラスには脅威でしかない。しかし、アーティーは淡々と言ってのけた。そうこうしている間にも、敵は目の前まで迫ってきている。
「簡易飛翔ユニットには推進力が殆ど備わっていません。ですから――――」
そう言ってアーティーは突っ込んできた敵の爪を事も無げに躱す。躱された敵の方はそのまま通り過ぎていき、遠方で再び大きく旋回する。
「ですから、小回りは利きませんし、あれに捕まることはありません。
それで、アトラスはあれをどうしたいですか?」
その質問もまた、アトラスには謎だった。自分があれを――――迫り来る敵をどうしたいなどということは全く考えていなかった。それは襲われている当事者のアーティーが考えることだとさえ、思えた。アトラスは敵がアーティーに危害を加えようとしているのを何とかしたい、何とかして食い止めたいとしか考えていなかった。
頭の中がまとまらないアトラスに、アーティーは更に続ける。
「村を破壊されて怒るのも分かります。敵のあれこれについて驚くのも、まぁ、分かります。しかしそうやってアトラスの心が揺れ動いているおかげで出力が安定しません。さっきも行き違いに敵を捕まえるという案があったのですが、現在の出力では二機分の重量を支え切れず、墜落する恐れがあったので実行できませんでした」
「墜落……」
アトラスはその言葉を小さく繰り返して下の方へ目をやった。
潰れている家は一つや二つではなかった。敵が駆けた所も地面が抉れて酷い有様だったが、そんな中一番アトラスの目を惹いたのは広場の陥没孔だった。跳躍から殴りつけただけであれほど破壊されるのなら、身体ごと地面に叩き付けた時の破壊力は一体どれほどになるだろうか。それを想像してアトラスは身震いした。しかし震えの後には、心が定まっていた。
「あれをどうするかなんて、どうでもいい。村に被害が出ないようにしたい。アーティーならできるよね?」
「それは、アトラスの気持ち次第です」
そう答えるアーティーの声が、アトラスには笑いを含んでいるようにも聞こえた。
答えながらアーティーは山の方へと向かって移動し始めていた。追いかけてくる敵との距離は少しずつ縮んでいたが、それはそうなるようにアーティーがわざと速度を落としているからに他ならない。
「基地跡上空で迎撃します。あの辺りであれば、いくら地面が裂けようとも問題ないですよね?」
「う、うん」
戸惑いがちにアトラスが頷く。
敵はアーティーを追いかけてきている。即ち、村から引き離すことには難なく成功した。そもそも敵の狙いがアーティーなのだから、当然と言えば当然の結果だ。多少山の地形が変わったところで、そんなことは大した問題ではない。大嵐になれば土砂崩れの一つだって起こるのだから。
一先ず村の被害の拡大は止められたと安心するのだが、アトラスの胸中にはまた一つ別の不安が再来していた。
何故、敵はそこまで執拗にアーティーのことを狙うのか?
いや、そもそも付け狙うということは、そこに明確な意志がある。上空のタマゴは兎も角、今背後に迫っている敵は間違いなく確固とした意志を持っており、それは雨風のような自然現象の類いが持つものではない。人や、或いは獣たちが――――
「先ほども言った通り、あれも、タマゴも、そして私も生き物ではありません」
アトラスの心配は全て、アーティーに筒抜けだった。
「それじゃぁやっぱり、神様とか、精霊とか……」
「そういったスピリチュアルな存在でもありません。私やあれらは、人が造った、言わば道具です」
「人が?造った?」
「アトラスたちの文明水準からすれば信じられないかもしれませんね。私がざっと見渡しただけでも、村の中にはおよそ機械文明の賜物と呼べるような物はありませんでしたから。私が眠っている間に、随分と衰退してしまったものです」
淡々と言うアーティーとは対照的に、アトラスの頭の中は「人が、造った」のフレーズで埋め尽くされ、そこから先には全く進めずにいた。
「要はナイフやハンマーや鶴嘴と同じ。それが少し大きかったり、ひとりでに動いたり、人の言葉に反応したりしているだけです。
さぁ、話はこのくらいにして、集中して下さい。そろそろ作戦を開始します」
「う、うん」
アーティーが動きを止め、敵に向き直る。上の空で返事を返したアトラスも、どんどん距離を詰めてくる敵の姿を見て、緊張で頬を強張らせた。
村から引き離しはした。でもそれで終わりではない。むしろようやく今から戦闘が始まろうとしているのだ。アトラスは頬をパンと打って、目を見開いて敵を見詰める。
村のことは今はもう、心配しなくてもいい。ならば、次は――――
「このまま一度受け止めて、地面に叩き付けます。敵の飛翔能力では対応できない筈です」
アーティーが話す作戦の説明が耳に入らないほど、アトラスの意識は集中していた。
敵は三本の爪を突き出して一直線に突っ込んでくる。
それを躱しがてら、横から敵の二の腕を掴む。敵の突進力で勢い、アーティーはその場で一回転して敵を振り回す形になる。そのまま地面に向けて、投げつける。
しかし、アーティーがその手を放しても、敵は放り投げられなかった。振り回されながらも敵は、反対の手でアーティーの腕を掴んでいたのだ。
目まぐるしい視界の急変動だったが、敵が左手でアーティーの右腕を捕らえているのは、アトラスの目にも捉えられた。
それと、もう一つ。
目の前の光壁上で、敵を示すマーカーが突如としてオレンジ色の光を孕むのも、アトラスは見て取っていた。
次の瞬間、その場で爆炎が上がった。




