男子部のトイレ事情
授業の終わりを告げるチャイムが鳴ると同時に、高校男子部のトイレは急速に飽和した。
むっと立ち上るアンモニアの熱気と、無数の上履きが踏み荒らすタイルの摩擦音。
その喧騒から身を隠すように、一番奥にある個室の扉へと手をかけた。
立位での排尿という共通から外れた者は、常にこの密室を必要とした。
しかし、扉のノブが指先に触れた瞬間、背後から制服の襟首を強く掴まれた。
抵抗の余地はなかった。
身体が宙に浮き、次の瞬間には冷酷な硬さを持つタイルの床へと叩きつけられていた。
鈍灰色の床面は、長年の汚れと不完全な清掃によって油膜のような光沢を放ち、
剥き出しの天井蛍光灯の青白い光を濁らせて跳ね返している。
「おい、阿野。
なんでいつも個室んだよ」
見下す同級生たちの目が、獣のような好奇に、ぎらついていた。
「確認させてもらうぜ!」
複数の腕が、乃雅の肩と手首をタイルの床へ圧着させた。
背骨が直に硬い床と衝突し、逃げ場のない鈍い痛みが走る。
同時に、ベルトが外され、ズボンとパンツが、容赦のない力で膝下まで引き下ろされた。
「はっ……! あっ、やめて……そこは……!」
懇願は、男子トイレという閉鎖空間の残響にかき消された。
曝露された『空白』を、蛍光灯の光が容赦なく照射する。
そこには、少年たちが予測し、かつ共有しているはずの「男の象徴」が一切存在しなかった。
陰茎も、睾丸もない。
そればかりか、大陰唇の膨らみも、女子にあるべき陰裂もない。
ただ、白く滑らかな恥丘から会陰にかけて、一本の淡い縫合痕が縦に真っ直ぐ走っているだけだった。
完璧な『空白』が、そこにあった。
「……なんだこれ」
誰かが低く呟いた。
掴むべき実体の不在に、周囲の空気が一瞬にして凍りつく。
「や、やめて……触るな……今、
オシッコが漏れそうなんだ……」
喉から、空気の漏れるような掠れた声。
過呼吸による腹圧の上昇と、剥き出しにされた皮膚を襲う冷気により、
限界まで膨張していた膀胱の括約筋が痙攣を始めていた。
「あっ……!
観ないで……」
「オシッコしたかったんだろ? 俺が観ててやるよ」
一人が、不在の器官を侮蔑するように、その滑らかな『空白』へ視線を突き刺した。
観ててやる、という言葉の刃が、そこに何も存在しないという現実をいっそ鮮明に浮かび上がらせる。それが最後の引き金となった。
下腹部が不随意に激しく収縮した。
突出した尿道を持たない彼の身体において、排尿は前方に制御されるのではない。
『空白』にある尿道口から、温濁たる液体が勢いよく溢流した。
噴き出した熱い尿は、行き場を失って津波のように濡らし、冷たいタイル床へと広がっていった。
体内から強制的に押し出された生々しい熱量が、鈍灰色の床の冷気と混ざり合い、静かに中和されていく。
乃雅はただ、天井の蛍光灯を見つめていた。
衣服を侵食していくアンモニアの匂いと、皮膚に残る熱さだけが、『空白』の存在を冷徹に証明していた。
その日に限って、あの『鎧』を、家に忘れていた。
『鎧』を忘れ砦が崩れる瞬間だった。




