泰代の母乳計画
部屋にうっすらと白んだ朝の光が差し込む頃、
リビングのテーブルには数冊の専門書と、
手書きのノートが広げられていた。
泰代は、白衣を羽織り、
点滴の滴下量を計算するような冷徹な手つきで万年筆を走らせていた。
ノートの真ん中には、大きく「母乳計画」と実務的な文字で書かれている。
「……見つけたの、乃雅」
起きてきた乃雅へ、泰代はノートを向けた。
硬く張り詰めた光が宿っていた。
「羅切乃本にね、記述があったの。
私のように子供を産まない身体でも、
生まれてくる赤ちゃんたちに、私の母乳を与える方法」
彼女の指が、ノートに記されたホルモン名の羅列をなぞる。
エストロゲン、プロゲステロン、プロラクチン、オキシトシン。
「母親」という資格を与えた肉体の中だけで無意識に分泌される、
生命の血液の設計図。
「まず、疑似妊娠状態を作るの。
乳腺を発育させる薬を使って、
私のこの無音の胸の内側を、強制的に書き換える。
聖の妊娠周期と完全に同期させて、
エストロゲンとプロゲステロンで、器を満たしていくの」
泰代の声は平坦だったが、その言葉には猛烈な熱量が伴っていた。
「そして、聖が出産するその日、
胎盤が剥がれ落ちるタイミングに合わせて、
私は母乳を作る薬――プロラクチンに切り替える。
赤ちゃんが誕生して、私のこのオッパイを吸うその最初の刺激で、
私の血液は、世界でいちばん純粋な初乳になって外へ押し出される」
乃雅は、泰代が並べた数値の冷たさと、
その奥にある狂気のような母性を見つめていた。
それは自然の摂理に対する冒涜であり、同時に、
この世界から弾き飛ばされた四人が「八人の家族」を本物にするための、
最も崇高な合意だった。
「産後九日を過ぎれば、
授乳に必要な量に応じて、お乳はいくらでも作られるようになる
……カルテの計算は完璧よ。
聖の子宮と、私の乳房が、ひとつのシステムとして噛み合うの」
泰代は、自分の白衣の上から、そっと右の手のひらを胸元に当てた。
まだそこからは何も出ない。
けれど、乃雅に吸われたあの瞬間に、
彼女の皮膚の下にある乳腺は、
確かに未来の赤ちゃんの口唇を求めて蠢き始めていた。
窓の外、朝の街頭スピーカーから、一日の始まりを告げる冷たいチャイムの音が響いてくる。
「どこに落ちるか選べない綿毛でもね、乃雅。
こうやって血の代わりに薬を流せば、
私たちはどんな場所にだって、本物の根を張れるのよ」
泰代は小さく笑い、万年筆のキャップをパチン、と冷たい音を立てて閉めた。
それは、ただの逃避場所から、
「新しい生命の育成工場(聖域)」へと完全に変貌を遂げた合図だった。




