俊の「静けさ」の破綻
俊の部屋は、昼なのに夜の匂いがした。
遮光カーテンが重く垂れ、外の光は細い線になって床に落ちている。
ベッドに背を預けた時。
古いスプリングが、背骨の形をそのまま受け止めるように沈む。
女子部へ編入してしばらくが経ち、ブラウスが、新しい摩擦を伝えてきた。
着ている制服のホックが微かに擦れ合い、胸のあたりで小さな、乾いた音が鳴った。
俊がこっちを見て、
少しだけ笑った。
「ねえ」
「何」
「見せてほしい」
間。
「……何を」
俊は、少しだけ首をかしげる。
未知の形状を確かめようとする、生物準備室の人体標本に向けるような、乾いた執念。
「乃雅ちゃんの、それ」
一瞬、言葉が止まる。
でも、否定はしなかった。
理由は分からない。
たぶん。
こいつなら、いい気がした。
「……見るだけな」
その部分には、恥丘から会陰へと一本の縫い目が通り、
古い傷の名残が淡い影のように沈んでいた。
起伏も毛もなく、ただ「そこに何も刻まれていない」という静かな事実だけがある。
俊はしゃがみ込み、その「空白」を凝視した。
怜悧な観察のまなざしのまま、俊は自分の膝を抱え、スカートの裾を握りしめた。
その指先が、かすかに震えている。
「……僕の身体、まだ“うるさい”んだ」
俊の声は、ぽつりと闇に落ちた。
「ホルモンを打って、毎日どれだけきつく粘着テープで引き絞っても、夜になったら消えてしまう。
ただの借り物の更地なんだよ。
朝になったら、血が巡って、新陳代謝が始まって、男としての肉体がまた勝手に息を吹き返そうと暴れだす。
……皮膚の下で、ずっと肉の雑音が鳴り止まないんだ」
俊はベッドの床に額を押し付けるようにして、浅い呼吸を繰り返した。
完璧な女性美を模倣しているはずの彼の輪郭が、その内側の「本能の主張」に苛まれ、ひどく脆く歪んで見える。
「なずな姉さんには『模倣者に課せられた美しき刑罰』って笑われた。
乃雅ちゃんの背負う、その完璧な空白に比べたら、僕のやってることなんて、滑稽で、泥臭い手間でしかないよね」
俊の言葉を憐れむことはしなかった。
ただ、同じ「平均値からはみ出した者」として、その脆さを静かに見つめていた。
俊のタックやホルモンは、外側から縛るための一時的な処置に過ぎない。
けれど、だからこそ、俊が乃雅の「不可抗力の空白」に、いかなるノイズも寄せ付けない本物の正しさ(道標)を見出しているのだと、深く理解できた。
流れるのは、依存ではなく、お互いの歪んだ肉体の真実を認め合うような、静かで熱量の高い沈黙だった。
「乃雅ちゃん……その静けさを、少しだけ確かめさせて」
俊の手が、躊躇いながらも、その均された「空白」の面へと伸びていく。
「乃雅ちゃんってさ」
間。
「完成してるよね」
意味が分からなかった。
「完成?」
「うん」
股を広げる。
「ノイズがない」
俊の身体のうるささを宥めるように、乃雅の絶対的な静寂が、薄暗い部屋のなかに広がっていった。
*
部屋を出た。
廊下が少し明るく感じた。
空気が軽い。
でも、胸の中は重かった。
理由は分からない。
でも、分かる。
あれは、ただの違和感じゃない。
「消したい」ってやつだ。
——いつか、本当にやるかもしれない。




