第70話 屑の自白
東屋の椅子に座るローレンツを見つけ、リディアは足を止めた。
秋風に吹かれて、深い焦げ茶色の髪が揺れている。足元には色づいた庭木の葉が散り、東屋の床に薄く積もっていた。ローレンツはただ、ぼんやりと庭の奥を眺めている。
(……見つけた)
カレンは医務室と事務室を当たっている。ここに来たのは、自分ひとりだ。
それでも、引き返すつもりはなかった。
「……ローレンツ様、何をしていらっしゃるのですか?」
声をかけると、ローレンツの肩がびくりと動いた。
少し間を置いてから、ゆっくりと振り返った。
「リディア嬢こそ、ひとりでどうしたの?」
その声は、いつもと変わらず穏やかだった。
「ローレンツ様を探しに来たんです」
「……そうか」
ローレンツは口元をわずかに緩めた。
その表情が何を意味するのか、リディアには読み取れなかった。
「礼拝堂の暖炉でトレーカが燃やされて、毒の煙が出たんです。大変だったんですよ」
「ああ、そうだったんだ。それは大変だったね」
ローレンツは特に驚きもせず、相槌を打った。
(誰かが怪我をしたかもしれないのに、お尋ねにならないのね)
「フィオナ様が心配されていましたよ。ローレンツ様も巻き込まれたのではないかと」
フィオナの名を聞いた途端、ローレンツはうつむいた。
「フィオナ様は……無事だったんだね」
その声は、かすかに震えていた。
「ええ、ご無事です」
「そうか。よかった」
ローレンツの指先が、そっと目元に触れた。
(涙……?)
その仕草を見た瞬間、リディアの中で何かがぷつりと切れた。
(フィオナ様を、本当に心配していたというの?)
「ローレンツ様。フィオナ様の命を狙っておきながら、涙を流していらっしゃるのですか?」
ローレンツの動きが止まった。
「……まだ、誰がトレーカを燃やしたのか分かっていないと思うんだけど」
「ええ。ですが、ローレンツ様が手引きされたのではないかと思っています」
証拠があるわけではなかった。
憶測だけで問い詰めたと知れば、トビアスには叱られるだろう。それでも、こみ上げる怒りを抑えられなかった。
「……僕は誰の手引きもしていないよ」
「では、言葉巧みに誰かを操ったのですか? 記憶の操作はお得意のようですものね」
ローレンツは唇を噛み、視線を落とした。
やがて、意を決したように顔を上げた。
「……君が精神干渉魔法の解除までできるとは思っていなかったよ」
「なぜ、それをご存じなのですか?」
「君とトビアスが僕を疑っていたことも知っている。この国の情報は、グラウ家がすべて把握しているんだ」
(王国裁定院での出来事は、トビアス様にお願いして伏せていただいたのに……。グラウ家には伝わっていたのね)
「そうですか。では、今回もベアトリクス様のときと同じように、誰かを利用したのでしょう?」
ローレンツは深く息を吐いた。
「今回は誰も利用していない。トレーカを燃やして、フィオナ様の命を狙ったのは僕だ。二度も失敗するなんて、自分の無能さに嫌気が差すよ」
その顔からは、すっかり笑みが消えていた。
「なぜ、グラウ家が次期聖女であるフィオナ様の命を狙うのですか?」
「次期聖女のお守りに疲れたんだ。グラウ家は関係ない」
「嘘をついても無駄です。あなたが、そんな理由で人の命を奪おうとする方ではないことくらい、分かっています」
「何も分かっていないよ。僕は屑なんだ。ベアトリクス嬢を利用して罪を犯すよう仕向けておきながら、自分は何食わぬ顔で、殺そうとした相手の隣で笑っている。気持ち悪い人間だろう」
吐き捨てるように言うローレンツの顔は、苦痛に歪んでいた。
(こんなお顔、初めて見た……)
フィオナの隣にいる間、ずっと苦しんでいたのだろうか。
優しい言葉をかけられるたびに、罪悪感に苛まれていたのだろうか。
だが、どれほど苦しんでいようと、フィオナを殺そうとした事実は変わらない。
「ローレンツ様。グラウ公爵のご指示ですね?」
「……違う。僕自身の判断だ」
「私、自白させる魔法も得意なんですよ」
リディアは、あえて穏やかな声で告げた。
実際には、自白させる魔法など知らない。ただのはったりだった。
だが、ローレンツの目に動揺が走った。
しばらく黙り込んだ末に、彼は重い口を開いた。
「……それが、国のため、民のためになると言われたんだ」
「フィオナ様を殺すことが、ですか?」
「そうだよ」
(なぜ、フィオナ様を殺すことが国のためになるの? 国の宝とまで言われている方なのに)
グラウ家がフィオナの命を狙っているとしたら、その理由は何なのか。
これまでも考えてきたが、納得のいく答えは見つからなかった。
(フィオナ様が国家転覆を企んでいるとも思えない。いったい、どうして……)
「フィオナ様は、力が強すぎるんだ」
「……力が強いのは、よいことではありませんか?」
「ご本人に野心がなくても、周囲の人々が彼女を特別視して集まってくる。そうなれば、王家や既存の秩序を脅かす存在になる」
「そんな……」
いつか、そうなるかもしれない。
ただそれだけの理由で、命を狙われているというのか。
リディアは言葉を失った。
ローレンツも、それ以上は何も言わなかった。
東屋を吹き抜けた風が、床に落ちた葉をさらっていく。
「……では、なぜ今回は、ご自身の手でトレーカを暖炉にくべたのですか?」
「ベアトリクス嬢のように、僕のせいで不幸になる人を、もう増やしたくなかったんだ」
ローレンツは、自分の手のひらに目を落とした。
「……誰かに汚れ役を押しつけることも、その人の人生を背負うことも、僕の器では耐えられなかっただけだよ。だから、フィオナ様はこの手で殺すしかないと思った。恨むなら、僕だけを恨んでくれればいいと……」
その表情には、悔恨がにじんでいた。
けれど、どこか安堵しているようにも見えた。
「ローレンツ様が王国裁定院で裁かれても、グラウ家はフィオナ様を狙い続けるのでしょうか?」
「恐らく、そうだろうね」
(グラウ公爵は、ローレンツ様を犠牲にしてでもフィオナ様を殺したいということ? 理解できない……)
ローレンツを裁くだけでは、終わらない。
フィオナの命が狙われ続けるのなら、それを防ぐ手立てが必要だった。
「……フィオナ様は、ローレンツ様が巻き込まれたのではないかと、本気で案じていらっしゃいました。ご自分を殺そうとした方の無事を、祈っていたんです」
ローレンツの喉が、小さく動いた。
「……それは、知りたくなかったな」
「いいえ、知るべきです。あなたが命を奪おうとしたのは、そういう方なのですから」
ローレンツは何も言わず、唇を引き結んだ。
「そして、どれほど悔やんでも、あなたのしたことが許されるわけではありません」
「……分かっている。許されようとは思わないよ」
「ローレンツ様。私はフィオナ様を守りたいのです。そのために、あなたの知っていることを教えてください」
「……それなら、取引をさせてもらえないだろうか」
「取引……ですか?」
「そんなことを頼める立場じゃないのは分かっている。それでも、僕の頼みを聞いてもらえるなら、グラウ家について知っていることは話すよ。僕にできる範囲でなら、動くことも約束する」
指輪にも、先ほどから反応はない。ローレンツがリディアに精神干渉魔法をかけてくる様子もなかった。
(信じていいの……? 分からない)
それでも、彼から情報を得る機会を逃すわけにはいかない。
リディアは返答をためらった。だが、ローレンツはもう目を伏せず、まっすぐにこちらを見ていた。
「まずは、お話を聞かせていただけますか。お受けするかどうかは、その後で判断させてください」
「もちろん。それでいいよ」
ローレンツは頷いた。
「グラウ領の南のはずれに、古びた屋敷がある。そこの地下に幽閉されている少女を助けてほしい」
「少女……?」
リディアが眉をひそめて聞き返したとき、庭の小道から慌ただしい足音が近づいてきた。
「リディア様! ローレンツ様を見つけたんですね!」
先に駆けてきたカレンが声を上げ、その後ろからトビアスも姿を現した。二人とも、少し息が上がっている。
「ええ。東屋で休まれていました」
そう答えながら、リディアはローレンツに視線を戻した。
(今、すべてを二人に話してしまっていいのかしら)
真実を明かせば、ローレンツは裁かれる。そうなれば、彼の協力を得てグラウ家の内情を探ることも、難しくなるかもしれない。
彼のしたことを許すつもりはない。
けれど、今ここですべてを明かすことが、フィオナを守ることにつながるとは限らなかった。
リディアの迷いを察したのか、ローレンツが先に口を開いた。
「トレーカを燃やしたのは、僕だよ」
「えっ」
カレンとトビアスが、驚いた顔でローレンツを見る。
ローレンツの視線が、ちらりとリディアに向いた。何を話しても構わない、とでも言いたげな目だった。
自ら罪を認めた彼を見て、リディアは小さく息を吸った。
(……フィオナ様を守るために、今は彼の持つ情報が必要だ)
罪を見逃すのではない。今だけは、真実を伏せるのだ。
「……ただ、ローレンツ様は、トレーカを燃やすと毒の煙が出ることをご存じなかったそうです」
「え?」
「お香があるでしょう? トレーカを燃やせば、礼拝堂にさぞよい香りが満ちるだろうと思われたそうなんです」
リディアは眉を下げ、困ったように微笑んでみせた。
一瞬、トビアスの視線が鋭くなった。
彼はローレンツの顔を見たあと、確かめるようにリディアへ目を向けた。
リディアはその視線を受け止め、小さく頷いた。
トビアスは眉を寄せたものの、それ以上は問いたださなかった。
「……そうだったんですね」
カレンはほっと息をついたが、すぐに表情を引き締めた。
「でもローレンツ様、今回は大事に至らずに済みましたが、とても危なかったんですからね? 今後は気をつけてくださいね」
「ああ、本当に申し訳ない」
「……まったく、君は意外と、とんでもないことをしでかすんだな。学園には先に報告してしまったから、君の口から直接、何があったか説明してくれ。それと、フィオナ様にもきちんと謝っておくんだぞ」
トビアスはそう言って、ローレンツの肩を強めに叩いた。
「すまない。分かったよ」
ローレンツの声は少し震えていた。
彼は再び、目元に軽く触れた。
四人は、礼拝堂のほうへ向かって歩き出した。
その道すがら、トビアスが小声でリディアに尋ねた。
「どうして、ローレンツの居場所が分かったの?」
「逃げ出したいのに逃げられない。ひとりになりたいのに、誰かに見つけてほしい。そんなお気持ちなのではないかと思ったんです」
リディアは、先ほどまでいた東屋を振り返った。
「あそこなら、周りからの視線を避けられます。でも、完全に隠れてしまうわけではありませんから。もしかしたら、と思って。……本当に見つけられたのは偶然ですけれど」
「偶然でもすごいよ」
「ローレンツ様とは、思えば長い付き合いですから。お気持ちが少し分かったのかもしれません」
トビアスは、どこか遠い目をした。
「そういえば、そうだったね」
リディアは、少し先を歩くローレンツの背中を見つめた。
彼が口にした、地下に幽閉されているという「少女」。
その少女は、いったい誰なのだろう。
茜色に染まりはじめた空を、数羽の鴨が連れ立って渡っていった。




