第71話 親友への告白
トレーカの事件は、ローレンツの知識不足による事故として片付けられた。
翌朝、教室に来たリディアに、カレンが真剣な顔で話しかけた。
「リディア様、お話があります。談話室を使えるように手配しましたので、放課後、お時間をいただけますか? トビアス様にもご一緒いただきたいのですが」
リディアは息を呑んだ。
おそらく、昨日の件についてだ。
トビアスには、その加護ゆえに隠し事を悟られると思っていた。けれど、カレンにはうまくごまかせたつもりだった。
「……はい。放課後は空いておりますので、大丈夫です」
リディアは、いつものように微笑んだ。
その後も何食わぬ顔で自席に座り、本を開く。
周囲の目には、普段と変わらない姿に映っているはずだった。
だが、内心では思いが目まぐるしく駆け巡っていた。
(どこまでカレン様にお話しすればいいのかしら。昨日の説明を通すべき? でも、何かに気づいていらっしゃるのなら、また嘘を重ねることになってしまう……)
正直に話せば、グラウ家の絡む危険な事情に、カレンを引き込むことになる。
それに、トビアスも同席するのだ。昨日、ローレンツを憶測とはったりで問い詰めたことを叱られるかもしれない。
本の文字を目で追ってはいたが、内容は少しも頭に入ってこなかった。
結局、考えがまとまらないまま、放課後を迎えてしまった。
カレンから逃げたくはなかった。
大切な友人だからこそ、真正面から向き合いたい。
けれど、グラウ家は人の命を狙い、それを実行に移すだけの力を持つ家だ。誠実でありたいという気持ちだけで、カレンを危険に近づけてよいのだろうか。
一緒に談話室へ向かうものと思っていたが、カレンとトビアスは先に教室を出たらしい。
リディアはひとり、重い足取りで廊下を歩いた。
(いつも一緒にいるお二人なのに。今からお会いするのが、こんなに緊張するなんて……)
談話室の前で足を止め、ひとつ息を整える。
扉を開けると、カレンとトビアスがこちらを向いた。
「お待たせしました」
「いえ、私たちも今来たところです」
カレンは柔らかな表情でリディアを迎えた。
二人は並んで座っていたため、リディアは向かいの席に腰を下ろした。
膝の上で手を重ね、背筋を伸ばす。こうして二人と向き合うと、どうにも落ち着かなかった。
「さっそくですが、私にも、お二人が抱えている秘密を話していただけないでしょうか?」
遠回しな探りも、前置きもなかった。
(……さすがカレン様ね)
身構えていたリディアは、その率直さに思わず感心してしまった。
「カレン嬢。先に、僕から少し話してもいいかな?」
「ええ、もちろんです」
トビアスは、慎重に言葉を選ぶように切り出した。
「話すかどうかを決める前に、分かっておいてほしいことがあるんだ。この件には、いろいろな事情が複雑に絡んでいる。個人的な事情もあれば、公爵家の内情に関わる話もある。知れば、君まで厄介な事態に巻き込まれかねない」
カレンは表情を引き締め、トビアスの話に耳を傾けた。
「それに、僕たちの判断では他言できないことも含まれている。すべてを君に話したと知られれば、僕もリディア様も咎められることになるんだ」
カレンはしばらく黙っていた。
やがて、考えを確かめるように問いかけた。
「では、話してはいけない部分を伏せて、説明していただくことは難しいのですか?」
「……できなくはないよ。ただ、話のつながりが分かりにくくなると思う。ほかにも、どこまで伝えるかは……」
トビアスが、ちらりとリディアを見た。
きっと、やり直す前の人生のことを指しているのだろう。
それは、トビアスの一存で話せることではなかった。
本音を言えば、カレンに打ち明けるのは怖かった。
正義感の強い彼女が、かつてのリディアの言動を知ったら、どう思うだろう。
フィオナを陥れようとした自分を、軽蔑するかもしれない。これまでのようには話してくれなくなるかもしれない。
だが、カレンのまっすぐな眼差しを見ているうちに、リディアは自分が何を恐れているのか、あらためて思い知らされた。
(カレン様もフィオナ様を守りたくて、少しでも事情を知ろうとしていらっしゃるのよね)
危険な目に遭わせたくない。その気持ちに嘘はない。
けれど、過去を話せない理由は、それだけではなかった。
(幻滅されるのが怖いから、話したくない……。その気持ちまで、カレン様のためだと思い込もうとしていたのかもしれない)
話してはいけないことまで、明かす必要はない。
それでも、過去を打ち明けるかどうかは、自分で決められる。
リディアは、膝の上でそっと手を握った。
「トビアス様。私の過去については、カレン様にも聞いていただこうと思います」
口にすると、緊張がいっそう強くなった。
だが、言葉を引っ込めるつもりはなかった。
トビアスは何か言いかけたが、リディアの顔を見て口を閉じた。
「念のため、会話が外に漏れないようにしますね」
リディアは魔法をかけ、ここにいる三人にしか会話が聞こえないようにした。
「まずは、私の過去のお話から始めますね。とても信じられないような話ですが、最後まで聞いていただけると嬉しいです」
カレンが小さく頷くのを見届けてから、リディアはゆっくりと話し始めた。
私は一度、十二歳の頃に戻り、人生をやり直していること。
やり直す前はクラウスの婚約者であり、傲慢に振る舞っていたこと。
才能に恵まれたフィオナに嫉妬し、命を奪いかけたこと。
そして、島流しの刑に処され、島へ向かう船が嵐に遭ったこと。命を落としかけたとき、父からもらった本に記されていた魔法を使ったこと。
過ちを口にするたび、声が小さくなった。
それでも言葉を濁さず、一つずつ伝えていった。
話の途中で、カレンだけでなく、なぜかトビアスまで驚いた顔をした。
(あら? どうしてトビアス様まで驚いていらっしゃるのかしら。まだお話ししていないことがあった?)
不思議に思いながらも、リディアは最後まで話し終えた。
カレンは、考え込むように視線を落としていた。
その反応を待つ間が、ひどく長く感じられた。
「……やり直す前のリディア様が起こしたことは、ベアトリクス様の件とよく似ていますね」
「はい。私もそれが気になって、当時の記憶をたどってみたんです。そうしたら、ローレンツ様からダンジョン深部の話などを聞かされていたことを思い出して……」
リディアは、膝の上の手に目を落とした。
「ベアトリクス様は、精神干渉魔法によって、ローレンツ様に関する記憶を思い出せなくされていました。ですが、私がその魔法を解除すると、やはり同じ話を聞かされていたことが分かったんです」
カレンが、はっと顔を上げた。
「では、お二人ともローレンツ様に……」
「そそのかされていたのだと思います。ですが、実際に行動に移してしまったのは、私とベアトリクス様なんです」
ローレンツの関与があったからといって、自分のしたことまでなくなるわけではない。
そこだけは、曖昧にしたくなかった。
トビアスが、リディアの説明を引き継いだ。
「ベアトリクス嬢の件では、ローレンツはお咎めなしになった。けれど、念のため、セドリックに頼んで、学園にひそかにフィオナ様の護衛を配置してもらっていたんだ。昨日はその護衛が異変に気づいて、フィオナ様を礼拝堂から連れ出してくれた」
「なるほど、あの方は護衛だったのですね。道理で、立派な体格をしていらっしゃると思いました」
カレンは納得した様子で相槌を打った。
そして、あらためてリディアに目を向ける。
「それで……昨日の件にも、ローレンツ様が関わっているのですよね? ここまで伺うと、ただの事故とは思えないのですが」
「……はい。昨日の説明は、私の独断でついた嘘なんです。ローレンツ様は、毒の煙が出ることを承知で、トレーカを燃やしたと認めました」
「えっ!」
カレンが大きな声を上げ、はっとしたようにトビアスを見た。
「トビアス様は、ご存じだったのですか?」
「いや。何か伏せているとは感じていたけれど、事情までは知らなかった。リディア様が話してくれるのを待つつもりだったんだ」
トビアスは苦笑して、リディアへ視線を向けた。
叱られるのではないかと身構えていたが、その目に責めるような色はなかった。
待っていてくれたのだと分かると、かえって申し訳なさが募った。
カレンが問いかけた。
「リディア様……どうして、そのような嘘を?」
「ローレンツ様は、グラウ公爵の指示でフィオナ様の命を狙っているようなんです。彼が捕まっても、グラウ家はフィオナ様を狙い続けるだろうと……。そこで、フィオナ様を守るための情報を得ようと、ローレンツ様と取引をすることにしたんです」
カレンは、信じられないという様子で尋ねた。
「どうしてグラウ公爵が、フィオナ様を殺そうとしているのですか?」
「ローレンツ様のお話では、フィオナ様は力が強すぎるそうです。ご本人に野心がなくても、人々が彼女のもとに集まれば、王家や既存の秩序を脅かす存在になると」
カレンは表情を曇らせた。
「力が強いというだけで、命を狙われているのですか?」
「……はい。少なくとも、ローレンツ様はそうおっしゃっていました」
カレンもトビアスも、納得しかねる様子だった。
リディア自身も、そう説明されたからといって、受け入れられる話ではなかった。
「その取引とは、どのようなものなのですか?」
カレンが身を乗り出して尋ねた。
「まだ詳しくは聞けていないのですが、ローレンツ様は、フィオナ様を守る協力と引き換えに、グラウ領の南のはずれにある屋敷の地下に幽閉されている少女を助けてほしいと……」
「少女?」
トビアスが怪訝そうに眉をひそめた。
その少女は誰なのか。なぜ、そんな場所に幽閉されているのか。
今のリディアには、それ以上説明できることがなかった。
「リディア様。ローレンツがフィオナ様の命を狙った実行犯だということは、忘れないでほしい。少女の話が本当だとしても、助けてほしいという頼み自体が、君を誘い出すための罠かもしれない」
トビアスの声は穏やかだったが、その目は真剣だった。
「はい、全面的に信じているわけではありません。ですが、本当に幽閉されている子がいるのなら、見過ごせません。ですから、まずは確かめたいんです」
「確かめるにしても、ひとりでは絶対に動かないでほしい。次にローレンツと話すときは、僕たちも同席させてくれ」
「私も同感です」
カレンが言い添えた。
リディアは二人の顔を順に見て、「……分かりました」と答えた。
ひとまず話が途切れ、談話室に静けさが戻った。
握っていた手をほどくと、指先がこわばっていることに気づいた。
「話してくださって、ありがとうございます」
しばらくして、カレンが口を開いた。
その声は、いつもと変わらなかった。
「カレン様、今まで隠していてごめんなさい」
「いえ、私こそ、踏み込んだことを尋ねてしまって申し訳ありませんでした。ですが、事情は分かりました。今後はトビアス様だけでなく、私にも頼ってくださいね」
これまで、リディアとトビアスが二人だけで声を潜めて話しているのを見て、カレンも何かを感じていたのかもしれない。
頼ってほしいと言ってくれる。そのことが嬉しいのに、まだ確かめずにはいられなかった。
「カレン様は……私の過去を知って、嫌悪されたりはしないのですか?」
カレンは、まっすぐにリディアを見た。
「とても驚きましたよ。ただ、過去に戻ってやり直されたのであれば、その出来事は、今のリディア様が生きている時間では起こっていないのですよね?」
「……はい」
「でしたら、起こっていないことを理由に、リディア様を嫌うことはできません」
カレンは、当然のことのように言った。
「私が知っているリディア様は、フィオナ様を助けようとなさっています。今のお話を聞いたからといって、私がこれまで見てきた姿まで、変わってしまうわけではありませんから」
「カレン様……」
返そうとした言葉が、うまく続かなかった。
そして、カレンは少し照れたように目を伏せ、穏やかな口調で付け加えた。
「白百合の刺繍が入ったハンカチは、永遠に私の宝物です」
夏のお茶会で、お互いの誕生月の花を縫い合い、贈り合ったハンカチのことだ。
リディアが不器用ながらも、カレンのために一生懸命に縫った白百合だった。
「……私も、藤色のスイートピーのハンカチは宝物です」
そう答えると、二人は笑い合った。
過去の話を聞いても、カレンはこれまでリディアと一緒に過ごしてきた時間を、なかったことにはしなかった。
ふと見ると、トビアスが頬杖をついて、穏やかな目で二人を眺めていた。
その視線に気づいたカレンが、眉を寄せる。
「……トビアス様。なんですか、その生温かい目は」
「いや、カレン嬢はいいやつだなと思って」
「いいやつって、どういう意味ですか。今の言葉は本心ですからね」
「うん、分かってるよ」
二人のやりとりを聞いているうちに、リディアは目の奥が熱くなった。
あれほど恐れていた告白を、カレンは受け止めてくれた。
今も、いつものように目の前で話してくれている。
泣いてしまわないよう、リディアはそっと息を吐いた。
「それにしても、やり直す前のリディア様がクラウス殿下の婚約者だったなんて、驚いたよ」
トビアスが感心したように言った。
「私も驚きました」
カレンも続ける。
「ですが、なぜ殿下との婚約を辞退されたのか、ずっと不思議だったんです。謎が解けて、すっきりしました。以前の人生を覚えていらしたから、今度は別の道を選ばれたのですね」
カレンは、晴れやかな顔でそう言った。
リディアは同意しかけて、トビアスを見た。
「……トビアス様には、この話をしていませんでしたっけ?」
「うん。聞いていないよ」
やけにはっきりとした返事だった。
リディアは思わず、何度も瞬きをした。
(あのときは、フィオナ様とローレンツ様の話で頭がいっぱいで、婚約者だったことまで話していなかった……)
話の途中で驚いていた理由が、ようやく分かった。
「とにかく、昨日の事情は分かったよ。どうやってローレンツを自白させたのかも気になるけれど」
リディアの肩が、わずかにこわばった。
トビアスはそれを見逃さなかったらしく、口の端を上げた。
「それはまた今度、聞かせてもらおうかな」
(……そこは、話さずに済むかと思ったのに)
リディアは曖昧に視線をそらすしかなかった。
「ローレンツ様との取引についても、詳しく伺わなければなりませんね。明日の放課後、三人でお話を聞きませんか?」
カレンは、早くも次の相談に移っていた。
「ああ、そうしよう。ローレンツには僕から伝えておくよ」
談話室に来るまでは、足が鉛のように重かった。
軽蔑されるかもしれない。これまでのようには話してもらえなくなるかもしれない。そんなことばかり考えていたのに。
カレンはもう、これからどうするかを一緒に考えてくれている。
その自然さが、何よりも嬉しかった。
「……ありがとうございます。お二人とも」
リディアは、ようやく肩の力を抜いて微笑んだ。




