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元・傲慢令嬢は二度目の人生で平穏に暮らしたい! 〜地味な加護だと思っていたら、神の権限を解読できる力でした〜  作者: 星きあさ


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第7話 北国の年越し


 秋の終わりに初雪が降ってから、北のエルヴィン領では雪のない日がほとんどなくなった。


 屋根にも、庭木にも、石畳にも、幾重にも雪が積もっている。窓の外に広がる景色は見渡す限り白く、遠くの森も丘も、深い冬の中に静かに沈んでいた。


 今日は、一年の終わりの日。


 王都ではまだ人々が年越しの買い物や祝宴の準備で賑わっている頃だろう。けれど北のエルヴィン領では、雪に閉ざされた静けさの中で、新しい年を迎える支度が進められていた。


 朝食の席で、アルヴィスがいつもより少し厳かな声で言った。


「今日は聖火の守護夜だ。暖炉の火は、一晩中絶やさぬように」


「はい、旦那様。すでに薪の確認は済ませております」


 控えていた使用人が、丁寧に頭を下げる。


 聖火の守護夜。


 北国では、冬の闇には魔物が潜むと信じられている。そのため一年の終わりの夜だけは、家々の火を絶やさず、神と精霊に新しい年の守護を願うのだという。


 リディアは今まで、古めかしい習わしだと特別気にしたことはなかった。けれど今は、暖炉の中で赤々と燃える火を見つめているだけで、胸の奥が静かに弾むような気がした。


「お前たちも、よく気に留めておくように。火を守ることは、暮らしを守ることでもある」


「暮らしを……」


 リディアは小さく繰り返した。


 北の冬において、火はただの明かりではない。寒さを退け、食事を温め、凍えた身体を守るもの。雪に閉ざされたこの領地で冬を越す人々にとって、命に近いものなのだ。


 朝食を終えると、屋敷の中はいっそう慌ただしくなった。使用人たちは廊下の燭台を磨き、暖炉にくべる薪を各部屋へ運んでいく。玄関脇には、小さな銀の杯が置かれた。中には澄んだ酒が注がれている。


「エマ、これは?」


 リディアが尋ねると、そばにいたエマが微笑んだ。


「神や精霊たちをおもてなしするためのお酒です。聖火の守護夜には、家の入り口にこうして酒杯を置くのですよ」


「神や精霊を、おもてなし……」


「はい。一年を無事に越せることへの感謝と、新しい年の守護を願って」


 エマの声は、どこか楽しそうだった。


 リディアは玄関脇に置かれた酒杯を見つめる。冷たい空気の中で、杯の表面がわずかに揺れていた。


 前の人生では、こうした習わしを気に留めたこともなかった。誰かが用意してくれたものを、ただ当然のように見過ごしていた。


(何年もこの地で過ごしてきたというのに、まるで初めて年越しを迎えるような心地だわ)


「……今年も、無事に越せますように」


 リディアは小さく呟いた。その声は、玄関先の冷たい空気に溶けていった。


 夕方が近づくにつれ、厨房からは濃く温かな香りが漂い始めた。


 大鍋の中では、厚切りにされた燻製肉と冬野菜が、ことことと音を立てて煮込まれている。燻製肉から染み出した旨味が琥珀色のスープに溶け込み、丸く切られた人参や蕪、じゃがいもをゆっくりと染めていた。


 蓋を開けるたび、白い湯気がふわりと立ち上る。燻した肉の香ばしさと、野菜の甘い香りが混ざり合い、厨房いっぱいに広がっていた。


「……いい匂い」


 思わず呟くと、厨房の者たちが少し驚いたようにこちらを見る。リディアははっとして、慌てて淑女らしい表情を作った。


「いえ、とても美味しそうだと思って」


 そう言い添えると、年配の料理人がほっとしたように笑った。


「今夜のポトフには、秋に仕込んだ燻製肉を使っております。よく煮込むほど、味が深くなりますよ」


「ふふ、夕食が今から待ち遠しいわ」


 リディアの素直な言葉に、料理人たちは嬉しそうに笑った。


 やがて夜になり、食卓には大きな器に盛られた燻製肉のポトフが並べられた。


 銀の器に注がれたスープは透き通っているのに、匙ですくうと、燻製肉の旨味がしっかりと溶け込んでいるのが分かる。ひと口飲めば、ほどよい塩気と脂の甘みが舌の上にじんわりと広がった。


 柔らかく煮えた蕪は、匙で触れるだけでほろりと崩れる。じゃがいもはスープをたっぷり吸って、ほくほくと温かい。厚く切られた燻製肉を噛むと、外側には香ばしさが残り、内側からは深い旨味がにじんだ。


 寒い外気でこわばっていた身体が、内側からほどけていくようだった。


「冬のポトフは、やはりこれが一番だな」


 アレクシスが満足そうに息をつく。


「お兄様、もう少し上品に召し上がってくださいませ」


「無理だ。これは上品に食べるほうが難しい」


 あまりにも真面目な顔で言うので、リディアは思わず笑ってしまった。


「もう、お兄様ったら」


 母エレノアも口元に手を添えて笑っている。

 父アルヴィスも「確かに、これを上品に食べるのは難問かもしれんな」と笑いながら、スープを味わっていた。


 食卓には、他にも冬らしい料理が並んでいた。薄く切った黒パンには、香草を混ぜ込んだ白いチーズが塗られている。焼いた林檎には蜂蜜がかけられ、表面が艶やかに光っていた。小さな陶器の皿には、胡桃と干し果実が添えられている。


 リディアはいつもより食が進み、気づけばたっぷりと食べていた。


 食後には、甘い果物入りのホットワインが出された。温められた赤い酒の中には、薄く切った林檎と干した小さな果実が浮かんでいる。蜂蜜の甘さと香草の香りがふわりと立ち上り、口に含むと、喉の奥から胸元までじんわりと熱が広がった。


「冬に甘いものがあると、それだけで救われるな」


 アレクシスがぽつりと言った。


「ええ、そうですね」


 甘いものなんて、欲しいときにいつでも食べられる。以前のリディアは、そう思っていた。けれど恵神祭でクッキーを配ったときの子どもたちの反応を見て、甘いものがどれほど貴重なのかを知った。


 そのとき、胸の奥にふと小さな疑問が生まれた。


「お父様」


「なんだ?」


「エルヴィン領は、秋の収穫はそれなりにあったのですよね」


「ああ。今年は悪くなかった」


「それでも……冬は大変なのですか? いえ、食料が足りないという意味ではなくて。冬の間は商人の行き来も減ると聞きましたから」


 アルヴィスがカップを置き、少し意外そうにリディアを見た。それから、ゆっくりと頷く。


「収穫があることと、領が豊かに回ることは同じではない。北の冬は道が閉ざされる。商人の行き来も減り、品の売買は鈍る。食料の備えはあっても、貨幣の流れは細るのだ」


 貨幣の流れ。


 リディアは、その言葉を胸の中で繰り返した。


 食料がある。屋敷には暖炉があり、食卓には温かな料理が並ぶ。だから、豊かだと思っていた。けれど領地全体で見れば、それだけでは足りないのだ。


「税を上げれば、帳簿の数字だけは増えるだろう」


 アルヴィスは淡々と言った。


「だが、それでは領民の冬を削ることになる」


 その声は静かだったが、揺るぎないものがあった。


「民が冬を越せなければ、領地は成り立たない。領地が成り立たなければ、エルヴィン家も成り立たない」


 当たり前のことのように言う父を見て、リディアは胸が苦しくなった。


 今まで領地の収支など意識したことがなかった。


 前の人生で、自分はどれだけ無駄金を使ったのだろう。家の名を誇りながら、その家が何によって支えられているのか、何も知らなかった。公爵令嬢であることに胡坐をかき、守られるばかりで、守る側に立とうとしたことなど一度もなかった。


(エルヴィン領の人々の暮らしを、今より少しでも豊かにできたなら)


 甘いものが食べたいときに、特別な日でなくても口にできるように。

 冬を耐えるだけではなく、温かな楽しみを持って越えられるように。


(エルヴィン領で、新たな収益源になるものを生み出せたなら……)


 ふと頭をよぎった考えが、まだ曖昧であることは分かっていた。具体的な方法があるわけではない。けれど、胸の奥に小さな火が灯ったような気がした。


 ただ守られるだけではなく、自分も何かを見つけたい。


 この家のために。

 この領地のために。

 前の人生では見ようともしなかったものを、今度こそ。


 その夜、屋敷中の暖炉には火が灯され続けた。ぱち、と薪のはぜる音が、静かな夜に小さく響く。窓の外では、雪が音もなく降り積もっていた。


 リディアは部屋の窓の外を長い間眺め、膝に掛けた毛布をそっと握った。部屋は温かい。けれど窓の向こうには、長く厳しい冬が広がっている。


 果てしなく続く真っ白な世界は美しい。

 けれど、そこに暮らす人々にとっては、生きるだけで精一杯の日もあるのかもしれない。


 翌朝。


 年が明けたエルヴィン領は、昨日よりもさらに静かだった。


 雪は夜のうちに降り止んだらしい。朝日を受けた庭は淡く輝き、積もった雪の表面がきらきらと光っている。


 リディアがカーテンを開けると、窓ガラスに白い模様が浮かんでいた。


「まあ……」


 思わず声が漏れる。


「お嬢様、失礼いたします」


 ちょうど部屋に入ってきたエマが、窓を見て目を輝かせた。


「見事な氷紋ですね。私の祖母は、年明けの朝にこの氷紋の形を見て、その年の運勢を占うんですよ」


「エマには、何に見える?」


 リディアが尋ねると、エマは窓に近づき、真剣な顔で氷紋を覗き込んだ。細く伸びた氷の線が、いくつも重なっている。その先には、小さな花のような結晶が開いていた。


「そうですね……道のようにも見えますし、蔦のようにも見えます」


「道と蔦……」


「はい。まっすぐに伸びた道の先に、小さな花が咲いているようにも見えますね」


 エマは少し考えてから、柔らかく微笑んだ。


「今年のお嬢様は、努力した先に道が開く、あるいは花が咲く。そんな氷紋かもしれません」


「努力した先に……なかなか良い占い結果ね」


 リディアは年明け早々によいお告げが出たような気がして、満足そうに頷いた。


「今年は、エルヴィン領のためになることを見つけたいわ」


 そう言うと、エマは一瞬驚いたように目を瞬かせた。けれどすぐに、嬉しそうに微笑む。


「お嬢様なら、きっと見つけられます」


「まだ何も分からないのよ」


「それでもです」


 まっすぐに返されて、リディアは少し照れくさくなった。


「……ありがとう」


 窓の氷紋は、朝日を受けて少しずつ薄くなり始めていた。けれど、その形はリディアの胸に残っている。


 今年は、ただ穏やかに過ごすだけではなく、エルヴィン領の未来につながるものを探したい。長い冬を、ただ耐えるだけではなく、この地で生きる人々が、少しでも豊かに越えられるように。


 リディアは胸の前でそっと手を組み、冷たい朝の光の中で、静かにそう決意した。


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