第62話 禁じられた研究
リディアはアルヴィスと共に、国王の執務室を訪れていた。
部屋の中央には大きく重厚な執務机が置かれ、壁には歴代国王の肖像画が並んでいる。高い天井からは精緻な装飾が施されたシャンデリアが下がり、その荘厳な雰囲気に、リディアは思わず気圧されていた。
(国王陛下の執務室に入るなんて初めてだわ……緊張する)
知らず知らずのうちに身体を強張らせていたリディアに気づいたのか、国王は安心させるように優しく微笑んだ。
「本日はお時間をいただき、ありがとうございます」
アルヴィスは国王へ一礼した。
「ご相談したいのは、事前にお伝えしていた、研究が禁じられている分野についてです。現在、王国では具体的にどのような研究が禁じられているのか。そして、なぜ禁じられているのか。その理由も含めて、お聞かせいただければと思いまして」
国王は頷くと、アルヴィスの隣に立つリディアへ視線を向けた。
「それで、今日は娘も一緒か」
「はい。今回の件は、娘のリディアにも聞かせておきたい内容ですので」
アルヴィスが答えると、国王はそれ以上追及することなく話を続けた。
「国として研究を禁じているものはいくつかある。魔物を人為的に強化し、兵器として利用する研究。邪神に関する研究。そして、人の意思を奪う精神支配の研究だ」
そこで一度言葉を切り、国王は続けた。
「それともう一つ、古くから禁じられている分野がある。神代語と、それを用いた神代魔法の研究だ」
アルヴィスが眉をひそめる。
研究者である彼でさえ、これまで耳にしたことのない言葉だった。
「……神代語と神代魔法、ですか。それはいったい、どのようなものなのでしょうか?」
「その名の通り、神々の時代に、神々が使っていたとされる言葉と魔法だ」
「神々の言葉と、魔法……」
リディアは思わず息を呑んだ。
(じゃあ、私は……神々が使っていた魔法で、時を遡ったということ……?)
「神代魔法は、我々が現在使っている魔法とは比べものにならないほど強大なものだったと伝えられている」
国王の表情がわずかに険しくなる。
「神々はその力で山を築き、川や海を生み、生命さえも作り出したという。これだけでも、どれほど強大な魔法だったか分かるだろう」
アルヴィスもリディアも、黙って続きを待った。
「だが、その力が人間の手に余るものであることだけは確かだ。遠い昔、人間が神代魔法を使い、大きな被害を引き起こしたという記録が残されている」
「それで、研究そのものが禁止されたのですか?」
「ああ。それ以来、神代語や神代魔法に関する研究は禁止され、関連する書物も禁書として扱われるようになった。現存するものは、王宮や神殿で厳重に管理されている」
アルヴィスの目に、研究者らしい興味の色が浮かぶ。
「……その書物を、見せていただくことはできませんか?」
こう言い出すことを予想していたのか、国王は小さく苦笑した。
「申し訳ないが、エルヴィン公であっても許可はできない。私でさえ、自由に閲覧できるものではないんだ」
「そうでしたか。図々しいお願いをしてしまい、申し訳ございません」
アルヴィスは丁寧に頭を下げた。
しかし、すぐに何か思いついたように顔を上げる。
「もう一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか。王家が禁書を管理しているのは分かりますが、なぜ教会も研究や禁書の管理に関わっているのでしょう?」
アルヴィスの問いに、国王は少し困ったように眉を下げた。
「たしかに、研究という点だけを考えれば、私はエルヴィン家が管理する方が自然だと思う」
その言葉に、アルヴィスの表情がわずかに明るくなる。
「ただ、古くからそうなっていたらしくてな。教会が管理するようになった経緯までは、私も詳しく知らない。おそらく『グラウ家』が関係しているとは思うんだが……」
そこまで言って、国王は口をつぐんだ。
「いや、あまり憶測でものを言うのはよくないな」
「なるほど。よく分かりました。ありがとうございます」
アルヴィスは満足そうに礼を述べた。
研究に関するものならエルヴィン家が管理する方が自然だという国王の言葉が、よほど嬉しかったらしい。
そんなアルヴィスを見ながら、国王は少しばかり不安そうな顔をした。
「私は君のことをよく分かっているつもりだ。……頼むから今話した国が禁止している研究は控えてくれ。余計な面倒事は御免だ」
「分かっております。陛下にご迷惑をおかけするようなことはいたしません」
そう答えるアルヴィスだったが、その表情は明らかに浮き立っていた。
(お父さま……陛下が心配なさっているのに、その顔では全然説得力がないわ)
そんなアルヴィスを見て国王はやれやれといった様子でため息をついた。
リディアは、研究のこととなると途端に周りが見えなくなる父が、少し恥ずかしくなった。
王宮をあとにした二人は、馬車で屋敷へと向かっていた。
「……まさか、神々の言葉と魔法だったとはな」
アルヴィスが興奮を隠しきれない様子で口を開く。
「ええ。古い言葉だとは思っていましたが、まさか神々がこの世界にいた時代のものだとは、思いもよりませんでした」
リディアも同意するように相槌を打った。
「神々の言葉や魔法であれば、たしかに研究が禁止されるのも頷ける。そして、時間を戻す魔法についても……」
アルヴィスはしばらく考え込んだあと、小さく息を吐いた。
「あの様子では、王宮の図書館を探しても関連する書物は見つからないだろうな」
「そうですね……」
「となると、研究はリディア、お前が頼りだ」
アルヴィスの期待に満ちた眼差しを向けられ、リディアはわずかに怯みながら頷いた。
(だけど、研究といっても難しいのよね……)
本に記された文字は、記号や模様にも見える、非常に複雑なものだった。
リディアは『翻訳の加護』を持っているため、神代語であっても、その意味自体は理解できる。
しかし、それはあくまで加護によって本能的に理解しているだけだ。
なぜその文字がその意味になるのか。
どのような文法で成り立っているのか。
そこにどんな規則があるのか。
それらを自分の言葉で説明しようとすると、途端に難しくなってしまうのだった。
(ヴァルディア王国では研究そのものが禁止されていて、関連する書物も禁書……)
そこまで考えたところで、リディアははっと目を見開いた。
そして勢いよくアルヴィスの腕を掴む。
「お父さま! いい考えを思いつきました!」
「リ、リディア、どうした? 落ち着いて話しなさい」
「ヴァルディア王国で書物を探せないのでしたら、ルグナス帝国で関連する書物を探せばいいのです!」
「なるほど……!」
アルヴィスの目が輝いた。
「たしかに、ルグナス帝国でも神代語や神代魔法の研究が禁じられているとは限らない。あの国は全ての研究に積極的だ。神代魔法について何か調べられていてもおかしくはないな」
アルヴィスは納得したように何度も頷く。
「夏休みのあいだ、カイ殿下は帝国へ戻られているそうなので、新学年が始まりましたら聞いてみます」
「ああ、それがいいだろう。この内容では、手紙で尋ねるわけにもいかないからな」
思わぬところに新たな手がかりを見つけ、リディアとアルヴィスはどこか落ち着かない様子のまま、屋敷までの帰路を過ごすのだった。




