第61話 友人達と共に領地へ
リディアはカレンとフィオナと共に、馬車でエルヴィン領へと向かっていた。
「エルヴィン領、楽しみです!」
フィオナが弾んだ声を上げた。
窓の外を流れていく景色を眺める横顔も、どこかそわそわしている。
「私は三年前に一度行かせていただいたことがありますが、とても素敵なところでしたよ」
向かいに座るカレンが、懐かしそうに微笑んだ。
「もう、あれから三年も経つのですね。皆さんが来てくださったのが懐かしいです」
「そうですね。……実は私、あの時とても緊張していたんですよ?」
「まあ、カレン様が?」
意外に思い、リディアが聞き返す。
「だって、あの時の顔ぶれを思い出してください。クラウス殿下にルーカス殿下、セドリック様、それにトビアス様ですよ?前の晩は、緊張してなかなか眠れなかったんですから」
改めて名前を並べられると、確かになかなかの顔ぶれだった。
ほとんど関わりのない相手ばかりだったなら、リディア自身もこの顔ぶれでの旅行は遠慮したいと思ったに違いない。
カレンの三年越しの告白がなんだか可笑しくて、リディアは思わず笑みを浮かべた。
「ふふ、よく考えてみれば、そうですよね。面倒な方々と一緒にお呼びしてしまい、申し訳ありませんでした」
リディアは頬に手をやり、わざとらしく申し訳なさそうな顔を作った。
「あら、リディア様ってば。私、『面倒』とまでは言っておりませんわよ?」
カレンが思わず笑う。
そのやり取りを聞いていたフィオナも、くすくすと笑い出した。
「でも、その面倒な皆様と、今では同じ教室で楽しく過ごしているんですよね」
「そう言われると、不思議ですわね」
三年前には、今のような関係になるとは思ってもいなかった。
リディアにとっても、あの頃は友人を領地へ招くこと自体に緊張していた。
それが今では、こうして気負うことなくカレンとフィオナを領地へ迎えることができる。
(まさかフィオナ様をエルヴィン領に迎える日が来るなんて、神様さえも予想できなかったんじゃないかしら)
リディアは二人の楽しそうな笑い声を聞きながら、にっこりと微笑んだ。
やがて、見慣れた景色が窓の向こうに広がり始めた。
「この辺りからエルヴィン領ですわ」
「ここがリディア様の育った場所なんですね」
フィオナが嬉しそうに窓へ顔を向ける。
「家族は王都のタウンハウスに残っていますので、屋敷はいつもより静かですけれど、そのぶん気兼ねなくゆっくりしていただけると思います」
「ありがとうございます。ゆっくりとエルヴィン領を味わわせていただきます」
カレンの言葉に、フィオナが大きく頷いた。
屋敷へ到着すると、使用人たちがリディアたちを出迎えてくれた。
三人は荷物を預けると、長い移動のあとにひと息つくため、サロンへ向かった。
すでにテーブルには茶と焼き菓子が用意されていた。
「こちらのベリータルトには、エルヴィン領で採れた晶蜂蜜とクリムゾンハートベリー、それから香りづけに雪香草を使っております」
クララが三人に説明する。
「晶蜂蜜にクリムゾンハートベリー、雪香草ですか。どれも初めて聞く名前です」
フィオナが興味深そうにタルトを見つめる。
「晶蜂蜜は、クリスタルスティングという魔物から採れる蜜ですわ」
「えっ! 魔物の蜜なんて初めてです! いただいてもいいですか?」
「もちろんです」
フィオナは目を輝かせながら、さっそくタルトにフォークを入れた。
一口食べた途端、その表情がさらにぱっと明るくなる。
「えー! なんですか、これ! すごく美味しいです!」
カレンも一口食べ、頷いた。
「晶蜂蜜は前回もいただきましたが、すっきりとした甘みでとても食べやすいですよね。このベリーの甘酸っぱさと雪香草の香りもよく合っていて、とても美味しいです」
「気に入っていただけてよかったですわ」
エルヴィン領で収穫したものを二人に喜んでもらえたことが、リディアには素直に嬉しかった。
「この晶蜂蜜は、今では領内のお店でも売られているんですか?」
カレンの問いに、リディアは頷いた。
「ええ。まだそれほど多く採れるものではありませんけれど、領内のお店で販売していますわ。一部は商人にも卸しています。商人の方のお話では、とても人気があるそうです」
「とても美味しいですもの。人気なのも頷けます」
フィオナはすっかり気に入ったようで、頬をわずかに膨らませながら幸せそうにタルトを頬張っている。
「学園へ入学してエルヴィン領を離れてからは、いろいろと心配だったのですけれど、クララがこまめに報告してくれるので本当に助かっています」
「ありがとうございます! リディア様のお役に立つことができて、とても嬉しいです」
リディアがクララの方へ目を向けると、クララは誇らしそうに微笑んだ。
(初めはあんなに自信がなさそうだったのに、すっかり頼もしくなったわね)
クララの成長を感じ、リディアは目を細めた。
「では、あとでいろいろと案内してもらえる?」
「もちろんです!」
クララの元気な返事に、三人の顔にも自然と笑みが浮かんだ。
お茶を飲み終えると、三人はクララの案内で領地を見て回ることにした。
最初に向かったのは、クリムゾンハートベリーを育てている畑だった。
「あっ、実がたくさんなっています! うわぁ! とっても真っ赤な実ですね」
フィオナが声を上げる。
「ふふ、驚くほど赤いでしょう? 今年はまだまだたくさん採れそうね」
リディアも嬉しそうに実を眺めた。
「今なっているものは、お菓子などに使うため収穫してもよいと言われていますが、秋頃に実ったものはアイスベリーワイン用なので、収穫してはいけないとアレクシス様から言われております」
クララがそう言うと、リディアが呆れたようにため息をつく。
「まったく、お兄様ってば。お酒のことになるとちゃっかりしているんだから」
その様子を見て、カレンとフィオナが笑った。
「あの、このまま食べてみてもいいですか?」
フィオナが遠慮がちに尋ねる。
「ええ、もちろんです。ですが、棘がありますので気をつけてくださいね。それから、そのまま食べると酸味がかなり強いです」
リディアがそう言うと、クララが慣れた手つきでベリーを摘み、三人に渡してくれた。
「いただきます!」
フィオナは嬉しそうに口へ入れる。
「ん〜〜! 甘酸っぱい! そのままだと香りがさらに強く感じますね」
フィオナが目をぱちぱちさせる。
「あら、本当。酸味も香りも強いですね。ですが、甘さもしっかりあって美味しいです」
カレンも気に入ったようだ。
リディアも一粒口にする。
噛んだ瞬間、爽やかな酸味と甘さ、豊かな香りが口いっぱいに広がった。
「ふふ、お二人と一緒に食べると、いつもより特別に感じます」
リディアの言葉にカレンもフィオナも嬉しそうにはにかんだ。
次の場所へ向かう途中、カレンが期待を抑えきれない様子で口を開いた。
「私、リディア様からドロガン様たちのお話を聞いてから、ずっとお会いしたかったんです」
「ドワーフの方々ですよね?」
フィオナが尋ねる。
「ええ。ミスリルの武器を作っていらっしゃると伺っていましたし、ドワーフの武器職人の仕事を直接見られる機会なんて、そうありませんから」
話しているうちに、カレンの声が少しずつ弾んでいく。
リディアは思わず笑った。
「カレン様、本当に武器がお好きですのね」
「はい。素敵な武器や防具を見ると、ドキドキしてしまいます」
カレンがうっとりしたように言う。
鍛冶場へ着くと、クララが先に職人たちへ声をかけた。
職人に案内されて中へ入ると、炉の熱気で外よりも一段と暑かった。
「おお、嬢ちゃん! 帰ってきたのか!」
「お久しぶりです、ドロガン様」
いつもの豪快な声に、リディアも笑顔になる。
ドロガンの近くには、トールンとグレンの姿もあった。
「今日は友人を連れてきましたの。こちらがカレン・エーデル様。そして、こちらがフィオナ・ヴァイス様です」
「初めまして。カレン・エーデルと申します」
「フィオナ・ヴァイスです。よろしくお願いします!」
二人がそれぞれ挨拶する。
「おう。よろしくな!」
ドロガンがにやりと笑った。
挨拶を終えたカレンの視線は、さっそく鍛冶場の中へ向けられていた。
並べられた武器や防具を、真剣な眼差しで見つめている。
「ドロガン様、あちらにあるものも見せていただいてよろしいですか?」
「おう。武器や防具に興味があるのか?」
「はい。幼い頃から剣の訓練をしてきましたので、いろいろと見るのが好きなんです」
カレンのきらきらとした瞳を見て、ドロガンが楽しそうに笑う。
「ほお。なら、とっておきのやつを見せてやろうかな」
ドロガンは何本かの武器を取り出し、カレンに説明していく。
「綺麗ですね……」
カレンは刀身を見つめながら、感嘆の声を漏らした。
その瞳には隠しきれない好奇心が浮かんでいる。
「こちらもドロガン様が作られたものですか?」
「そいつは俺が作った。だが、あっちにあるものは、ここの職人が作ったものだ」
ドロガンは、少し離れた場所で作業をしている職人たちへ視線を向けた。
「まだ荒削りなところもあるが、基本的な仕事なら安心して任せられるようになってきた」
その言葉を聞いた職人たちが、どこか照れくさそうな表情を浮かべる。
リディアの胸にも、じんわりと喜びが広がった。
クララからの報告で、職人たちが順調に腕を上げていることは知っていた。
けれど、実際にその成果を目にし、さらにドロガン本人から評価を聞くと、嬉しさもひとしおだった。
「皆さん、本当に頑張ってくださっているのですね」
「まだまだこれからだがな」
そう言うドロガンも、どこか誇らしそうだった。
その日の夜。
夕食と湯浴みを終えた三人は、それぞれ寝間着に着替え、リディアの部屋へ集まっていた。
髪もほどき、昼間よりもずっと寛いだ格好だ。
テーブルには飲み物と、ちょっとした菓子が用意されている。
「こうして三人で夜遅くまでお話しするのって、楽しいですね」
フィオナが嬉しそうに言った。
「そうですわね。学園ではなかなか、こういう時間は取れませんもの」
リディアも頷く。
三人で学園の授業や友人たちの話をしているうちに、話題はいつしか恋愛のことへ移っていった。
「そういえば、カレン様」
「なんでしょう?」
「お兄様とは、その後どうなっているんですか?」
「えっ」
それまで普通に菓子を食べていたカレンの手が止まった。
「アレクシス様とですか?」
フィオナまで興味津々に身を乗り出す。
「え、ええ……」
カレンが視線を逸らす。
昼間、ミスリルの武器を前にしていた時とはまるで違う。
「どうなんです?」
「フィオナ様まで……」
カレンは困ったように二人を見たあと、観念したように小さく答えた。
「……手紙のやり取りは、しています」
「まあ」
「本当ですか!」
二人の声が重なった。
カレンの頬がほんのりと赤くなる。
「そんなに驚くようなことではありません。近況をお話しするくらいですから」
「でも、ずっと続いているのでしょう?」
「それは……そうですけれど」
歯切れの悪い返事が、なんともカレンらしくない。
普段は凛としていて、どんな相手にも堂々としているのに、兄の話になると途端にこんな表情になる。
リディアはなんだか可笑しくなって、思わず笑ってしまった。
「リディア様、笑わないでください」
「ごめんなさい。でも、カレン様があまりにも可愛らしくて」
「もう……」
さらに頬を赤くしたカレンが、ふいに目を細めた。
「そういうリディア様こそ、どうなんですか?」
「私?」
「トビアス様と、最近なんだか親密そうですよね?」
「えっ」
今度は、リディアの動きが止まった。
フィオナもぱっとリディアを見る。
「そうなんですか?」
「い、いえ。別にそのようなことは……」
どうしてか、急に落ち着かなくなる。
トビアスは昔から変わらず、リディアを気にかけてくれている。
けれど、リディアには彼の本心が分からなかった。
「……トビアス様はとても素敵な方ですが、友人ですわ」
「本当に?」
「……本当です」
カレンがじっとこちらを見る。
「リディア様は、トビアス様のことを何とも思っていないということですか?」
カレンの核心を突いた質問に、リディアは言葉に詰まった。
(どうやらカレン様の質問からは逃げられないわね)
「はぁ……もう、観念いたします。トビアス様のことが気になっているのは事実です。ですが、トビアス様が私のことをどう思っていらっしゃるのかは分かりません」
リディアの言葉に、カレンとフィオナは口元に手をやり、目を見開いた。
「トビアス様は、明らかに……」
フィオナの言葉を、カレンが遮った。
「フィオナ様、それ以上は言わないほうがいいですわ」
そう言いながら、どこか楽しそうだ。
「えっ、何ですの? どうか私にも教えてくださいませ」
リディアが懇願するように二人を見つめたが、二人はにんまりと笑って首を振った。
(もう、二人とも楽しんでいるわ)
「まったく。もういいです」
リディアは二人に問いただすのを諦め、飲み物へ口をつけた。
「では、フィオナ様は?」
今度はカレンがフィオナを見る。
「私ですか?」
「ローレンツ様のこと、どう思っているんです?」
「ローレンツ様?」
フィオナはきょとんと目を瞬いた。
少し考えてから、にっこりと笑う。
「お兄さんみたいな方です」
「お兄さん?」
「はい。とても面倒見がよくて、いろいろと気にかけてくださるので。でも、たまにお母様みたいになることもありますね」
「お母様……」
カレンが吹き出した。
「だって、本当にいろいろと心配してくださるんです」
「ふふ。確かにローレンツ様は面倒見がよくて、お優しいですからね」
カレンは楽しそうに笑っている。
フィオナもつられるように笑った。
リディアも、二人に合わせて微笑む。
「……そうですわね」
穏やかで、優しくて、いつもフィオナを気にかけている。
今のローレンツを見ていれば、そう思うのも当然だ。
けれど、リディアは知っている。
ローレンツがベアトリクスに、さまざまなことを吹き込んだことを。
(ローレンツ様……)
胸の奥に残る小さな引っかかりを悟られないよう、リディアは笑顔を崩さなかった。
わずかに生まれた間を埋めるように、リディアはカレンへ視線を戻す。
「ところでカレン様。お兄様とのお話、まだ終わっていませんよ?」
「えっ」
「私も、もう少し聞きたいです!」
フィオナもすぐに乗ってくる。
「私の話は、もう十分ですから」
再びカレンの頬が赤くなった。
その様子に、リディアとフィオナが笑う。
三人の楽しげな声は、それからも夜遅くまで部屋の中に響いていた。




