第52話 消えた聖女
フィオナが立ち去ってから、どれほどの時間が経過しただろうか。
残されたリディアたちは、討伐を振り返りながら意見を交わしていた。
討伐したモンスターの挙動や、洞窟の構造について、それぞれ気がついたことを共有した。
だが、いつまで経ってもフィオナが戻ってくる気配はない。
「フィオナ様、なかなか戻ってこないですね……」
カレンが不安そうに周囲を見渡す。
「どこへ行ったんだろう。少し時間がかかりすぎだね」
ローレンツの言葉に、リディアの胸に嫌な予感が走る。
フィオナがいなくなってから、すでに三十分以上が経っていた。
心臓の鼓動が、再び速まり始めた。
「……私、フィオナ様を探してきますわ」
「リディア様? 顔色が良くないですよ。私も一緒に行きます」
「僕らも一緒に探そう。何かあったのかもしれない」
四人は立ち上がり、フィオナが去っていった方向へと歩き出す。
けれど、生徒が集まる平場をいくら探しても、あの桃色がかった金髪は見当たらない。
何人かの生徒にフィオナの居場所を尋ねて回ると、「女子生徒三人がダンジョンへ入っていくのを見た」という証言が得られた。ただ、その中にフィオナがいたかどうかまでは、はっきりしないという。
教師たちの多くはダンジョン探索実習中の生徒たちのサポートに呼ばれ、教師は手薄になっていた。
「……フィオナ様、またダンジョンの探索に行ってしまったのかな?」
トビアスは冗談めかして言ったものの、自分でも笑えず、暗い洞窟の入り口を見つめた。
その瞬間。
リディアの脳裏に、前の時間軸で起きた「あの事件」がよみがえる。
血の気が引き、指先が凍りついたように冷たくなる。
(前回は私がフィオナ様を陥れようとしたけれど、まさか今回も……他の誰かがフィオナ様を狙っているというの……?)
嫌な汗が背中を伝う。
「もう一度、ダンジョンの中へ入りましょう」
リディアの震える言葉に、トビアスたちがハッとしたように顔を上げた。
まさにその時、背後から緊張感を含んだ鋭い声が響く。
「待ってくれ、どうしたんだ。何かあったのか?」
鋭く問いかけながら歩み寄ってきたのはクラウスだった。
振り返ると、そこにはセドリックとカイの姿もある。
三人の顔には、ただならぬ雰囲気を察したような鋭い眼差しが宿っている。
リディアは必死に呼吸を整え、フィオナが二人の女子生徒に連れ出されたまま戻らないこと、そして彼女がダンジョンへ向かった可能性があることを手短に説明した。
「……事情はわかった。我々も行こう。セドリック、教官への報告と許可を!」
「承知しました!」
クラウスの迅速な判断により、事態は動き出す。
教官の緊急許可を得たリディアたちは、即席の七人編成――リディア、カレン、トビアス、ローレンツ、そしてクラウス、セドリック、カイという、七人で再び薄暗い入り口へと足を踏み入れた。
前衛にセドリックとカレン、中衛にクラウス、カイ、後衛にリディア、トビアス、ローレンツという布陣で進んでいく。
回復役のフィオナがいないため、トビアスとローレンツがその役を補う。
二度目のダンジョンは、先ほどとは全く違う表情を見せていた。
入り口付近の明るさは消え失せ、奥へ進むほど冷たく湿った空気が肌にまとわりつく。
通路は複雑に枝分かれし、巨大な迷路のように入り組んでいた。
リディアが焦りで足元を乱しかけたその時、トビアスが迷いのない声で指示を出した。
「北側のエリアに向かおう。そこが一番怪しい。次の角を左だ」
「トビアス様、道がわかるのですか……?」
リディアの問いに、トビアスは前方を見据えたまま短く答える。
「事前に図書館でこのダンジョンの地図や情報は読み込んでおいたんだ。リーダーとして、退路を含め全ルートを把握しておくのは当然のことだからね。北側エリアは今回の実習では範囲外だから、何かあったときに他の生徒に助けを求めることができない。もし悪意を持ってフィオナ様を連れ出したなら、そこだろう」
その言葉には、トビアスの優れた判断力と、仲間を守ろうとする責任感が滲んでいた。
リディアは彼の予想をつけた場所に心当たりがあり、鼓動が跳ねた。
(……間違いない。そこは、前の時間軸で私がフィオナ様を嵌めた場所だわ)
北側エリアは深部と呼ばれる。
初級ダンジョンの中でもレベルの高いモンスターが出るため、今回の実習ではどのグループのゴールにも設定されていない危険地帯だ。
(……待って。どうして私は、前の時間軸でその場所を知っていたのかしら?)
ふとした違和感がリディアの脳裏をかすめる。
当時の自分は嫉妬に目がくらみ、ただ無我夢中だったはずだ。
ダンジョンの知識もなく、地図もろくに調べなかったはずの自分が、なぜピンポイントでその場所を選べたのか。
けれど、今はその違和感を突き詰める余裕はなかった。
七人は凄まじい速度で奥へと突き進む。
行く手を阻む魔物たちは、セドリックとカレンという二人の優秀な前衛によって、瞬く間に切り伏せられていく。
「カイ殿下、左から来るぞ!」
「了解、クラウス殿下!」
クラウスが放つ高威力の魔法に、カイが素早い速度で次々と追撃を加える。
「は、早すぎる……!」
トビアスは圧倒されたように呟く。
クラウスとセドリック以外の、初めてカイの戦いを見る者たちは、その魔法の発動速度に息を呑んだ。
(あんなに早い魔法の発動を見たことがない。あの魔道具を使いこなすとあんなことができるのね)
想定していたよりも攻撃力が足りていたため、リディアも治癒やサポート役に回る。
「止血や治癒は私が担当します。ローレンツ様は魔力の回復魔法、トビアス様は補助魔法と状況判断に集中なさって大丈夫です」
「ありがとう。では身体面の回復は任せた」
リディアは頷き、杖で魔術式を描く。
治癒魔法を色々と学んでおいたことが活きた。
「サポートが厚くて助かる。ずっと戦っていられそうだ」
セドリックは疲れを微塵も見せずに不敵に笑う。
「ええ、補助魔法のおかげで体も軽いです」
カレンが魔物を薙ぎ倒しながら言った。
(みんな強い……!日々修練しているのは自分だけじゃないってことね)
「おそらく、もうすぐだ!」
トビアスの声が響く。
全員の呼吸が荒くなり始める。
――バアンッ!
前方の空気を引き裂くような、乾いた破裂音が轟いた。
「誰か、助けて……っ!」
弱々しい悲痛な叫び声が奥から聞こえてきた。
「フィオナ様!!」
リディアは叫び、全速力で声の方向へと向かう。
開けた大空洞の奥。そこには、数体の巨大な蜘蛛――ロック・スパイダーが、粘着質な糸を吐き散らしながら、一人の少女を追い詰めていた。
「セドリックとカレン様は手前の一体を! 奥の左をリディア様とローレンツ、右をクラウス殿下とカイ殿下、私で倒しましょう。攻撃開始!」
トビアスの鋭い指揮が飛ぶ。
七人の魔力と闘気が、薄暗い空間を爆発的に照らし出した。
激しい閃光と斬撃の末、最後の一体がチリとなって消滅した。
「フィオナ様! 無事ですか!?」
カレンが真っ先に駆け寄り、地面にへたり込む彼女を抱きかかえる。
「みなさん……っ、きてくださって……ありがとう……ございます……」
フィオナは、ボロボロだった。
衣服は裂け、手足には蜘蛛の毒による変色と、無数の擦り傷がある。
その痛々しい姿に、リディアは言葉を失い、その場に釘付けになった。
(……ああ……)
前の時間軸では、フィオナが実際にどうなったかなど、見ていなかった。
「殺人未遂」という言葉を聞いても、どこか他人事のようにしか感じていなかったのだ。
けれど、目の前にいるのは、今にも消え入ってしまいそうなほど弱りきった、少女だった。
リディアの心臓が、締めつけられるように痛んだ。
体は冷え切って、手や足がガクガクと震え始めた。
「とりあえず、止血と回復だ。ローレンツ、回復魔法を頼む」
「わかった!」
トビアスが止血魔法をかけ、ローレンツが回復魔法をかける。
リディアがはっと我に返る。
「私が異物排出魔法で毒を排出します!」
「異物排出魔法……」
トビアスは聞き馴染みのない魔法に思わず繰り返し口にする。
「大丈夫です。何度も何度も訓練しましたから」
リディアは体の震えを止めるように自分の顔を両手で叩いて気合いをいれた。
短い息を吐き、杖で描き慣れた異物排出魔法の魔術式を描き、フィオナの体から集中して毒を排出させる。
体の外に排出された毒がゆらりと浮かんで少しずつ大きくなっていく。
「異物排出魔法なんてものがあるのか。初めて見たがすごいな」
カイが驚いたように呟く。
「七代目聖女セラフィーナ様の魔法ですよね……私も習得しようとしましたが、全然ダメでした……この魔法を扱えるなんて、さすがリディア様です」
フィオナは静かに微笑んだ。
毒を完全に排出し、フィオナの顔色が先ほどより良くなってきた。
「止血も回復も済み、毒も排出できた。応急処置はこれで良いだろ」
トビアスがホッとしたように口にすると、みな胸を撫で下ろした。
だが、リディアの心の中はぐじゃぐじゃになっていた。
罪悪感。情けなさ。
そして、彼女が生きていたことへの、安堵。
気づけば、視界が激しく歪んでいた。
堪えようとしても、大粒の涙が頬を伝って止まらない。
「リディア様……? 大丈夫ですか?」
隣にいたローレンツが、狼狽えたように声をかける。
「いえ、違うの。……ごめんなさい。ごめんなさい……っ」
リディアは慌てて涙を拭うが、一度溢れた感情はもう止められなかった。
自分がどれほど恐ろしいことをしようとしていたか。
そして今、彼女を救えたことがどれほど奇跡的なことか。
周囲の者たちは、リディアがフィオナを心配するあまり泣いているのだと思っただろう。
けれど、この「ごめんなさい」は、リディアにしかわからない贖罪だった。
「リディア様、私は大丈夫ですので……。そんなに、泣かないでください……」
弱々しく泥のついたフィオナの小さな手が、リディアの頬にそっと触れた。
(……自分がこんなに傷ついているのに、私の心配をするなんて)
彼女は、本物の聖女だ。
リディアはすがるように、フィオナの手を握りしめた。
「本当に、ごめんなさい……。あなたが、無事でよかった……!」
リディアの謝罪に皆が不思議そうに首を傾げたが、フィオナだけは、聖母のような慈愛に満ちた微笑みを浮かべ、両手を広げてリディアの体を優しく抱きしめた。
リディアはようやく、時間軸を超えてフィオナに謝罪することができた。
ずっと胸の奥に引っかかっていた息苦しさが、ようやく溶けて消えていくのを感じた。
その後、セドリックがフィオナを背負い、一行は慎重にダンジョンを脱出した。
フィオナが治療を受けて回復してから聞いた話によれば、事の真相はこうだ。
「ダンジョン内でモンスターの呪いを受けた生徒がいる。先生を呼ぶと減点されるから助けてほしい」と、嘘の依頼で呼び出されたのだという。
フィオナを連れ出した女子生徒たちの背後には、かつてAクラスに在籍しながら、現在はBクラスへと転落した侯爵令嬢の影があった。
自分よりも輝くフィオナへの、身勝手な逆恨み。
それは、前の自分と全く同じ、醜い嫉妬の形だった。




