第51話 ダンジョン探索実習
ついに、ダンジョン探索実習の本番当日がやってきた。
エマが窓を開けると、夜明けのひんやりとした空気が部屋へ流れ込んできた。
エマにいつもより髪をきつく結ってもらい、動きやすい位置でまとめる。
きゅっと引かれる感触に、自然と背筋が伸びた。
鏡に映る自分は、実習用の簡素な装備に身を包み、まるで冒険者のようだった。
(いよいよ、ダンジョン探索実習ね)
これまで仲間たちと何度も訓練を重ねてきた。
異物排出魔法も習得した。
やれることは、すべてやってきたつもりだ。
それなのに、胸のざわつきだけは消えてくれない。
「大丈夫よ、大丈夫」
小さく自分に言い聞かせる。
落ち着かない胸の鼓動を抑えながら、リディアは朝早く屋敷を後にした。
目的地は、魔法学園のすぐ南に位置する洞窟型の初級ダンジョン。
内部は広大だが、出現するモンスターは比較的弱く、駆け出しの冒険者が腕試しに訪れる、いわば初級者の登竜門と呼ばれる場所だった。
実習のルールはシンプルだ。
グループごとに地図が配られ、それぞれ異なる目的地が設定されている。
教官があらかじめ設置した「目印のボール」を回収し、無事に持ち帰れば合格となる。
ダンジョン入口前の広い平場では、生徒たちが緊張した面持ちで待機していた。
落ち着かない様子で装備を確認する者、仲間と最終確認を交わす者。
誰もが実習を前に、自然と表情を引き締めている。
教官たちが最終確認を行っている間、リディアはぼんやりとダンジョンの入口を見つめていた。
「リディア嬢、大丈夫? 手が震えているようだけど」
不意に横から、カイが心配そうに声をかけてきた。
(えっ……)
驚いて視線を落とす。
白く細い指先が、かすかに震えていた。
自分では冷静なつもりだった。
呼吸も整えているつもりだった。
それでも、知らず知らずのうちに体へ力が入っていたらしい。
このダンジョン探索実習こそ、前の時間軸でリディアが断罪されるきっかけとなった日だった。
あの頃の自分は、醜い嫉妬に囚われていた。
そして、この場所で危うくフィオナを殺しかけた。
その記憶が、今もなお首を締め付けるような息苦しさとなって胸に蘇る。
リディアは慌てて震える手を背中へ隠した。
「む、武者震いですわ。自分がどれくらい通用するのか、楽しみで仕方がないんですの」
精一杯の虚勢を張り、誤魔化すように微笑む。
唇が引きつっていないか、それだけが気がかりだった。
カイは納得したような、それでいてどこか複雑そうな表情を浮かべる。
「君のパーティーには優秀なメンバーが揃っている。心配ないとは思うけれど……」
そこで一度言葉を切る。
金色の瞳が、まっすぐリディアを見つめていた。
その真っ直ぐな眼差しに、胸がわずかに熱くなる。
「だけど、やっぱり俺もリディア嬢のそばで戦いたかったな」
「……っ」
そう言うと、カイは照れ隠しをするように笑った。
「まあ、別々のパーティーでも、お互い頑張ろうね!」
「ええ、お互いに頑張りましょうね」
笑顔のまま去っていくカイの背中を見送る。
強張っていた体から、少しずつ力が抜けていくのを感じた。
(カイ殿下と話したら、少し落ち着けたみたい)
リディアも仲間たちのもとへ向かう。
カレン、フィオナ、ローレンツ、トビアス。
皆、いつもより少しだけ表情が硬い。
(緊張していたのは、私だけじゃなかったのね)
そう思うと、不思議と心に余裕が生まれた。
いよいよ、ダンジョン探索実習が始まる。
この日が無事に終われば、断罪も、追放される未来も訪れないはずだ。
「今日は、これまで練習してきた通りに動けば問題ない」
パーティーリーダーのトビアスが、落ち着いた声で仲間たちへ告げる。
普段は柔和な笑みを浮かべる彼だが、装備を整えた今日の姿は、いつも以上に凛々しく頼もしく見えた。
「トビアス様、私、頑張りますので! どうぞお任せください!」
フィオナが目を輝かせながら元気よく答える。
前のめりになった彼女の肩を、ローレンツが優しく叩いた。
「フィオナ様、まだ始まってもいないよ。あまり気負いすぎると、本番で疲れてしまう。落ち着いて」
するとトビアスも続けた。
「フィオナ様には、序盤は無理をせず力を温存してほしい。回復役として余力を残しておくことが、この班では何より重要だからね」
トビアスの的確な指示に、フィオナは「わかりました!」と元気よく頷いた。
リディアはそんな様子を見て、小さく笑みをこぼす。
(冒険者に憧れていたフィオナ様は、本当にこの日を楽しみにしていたのね)
やがて最終チェックが終わり、教官から最後の注意点とルールが説明された。
「では、準備ができたパーティーから順次出発せよ!」
号令とともに、数組のパーティーが暗い洞窟の奥へと吸い込まれていく。
「じゃあ、私たちも行きましょうか」
先頭を歩くのは、剣を携えたカレン。
続いてローレンツ、リディア、フィオナが並び、最後尾をトビアスが務める布陣だ。
洞窟へ足を踏み入れると、想像していたよりも中は明るく、通路も広かった。
壁一面に自生する光苔が、ぼんやりと青白い光を放っている。
「あと少し進んだ先を右だね。足元が見えにくい場所があるから気をつけて」
トビアスの指示に従って進んでいくと、やがて前方から「ペチャッ」という水音のような物音が聞こえてきた。
「魔物かしら。皆さん、気をつけてください」
カレンが剣を抜き、周囲へ警戒を促す。
慎重に距離を詰めると、そこには数体のスライムがうごめいていた。
学園の森での実習でも何度か相手をしたことのある魔物だ。
「リディア様、攻撃魔法をお願いします。皆は距離を保って」
トビアスの冷静な指示が飛ぶ。
リディアは杖を構え、精神を集中させた。
「――鋭き矢よ、貫け!」
空中へ素早く術式を描き、短く呪文を唱える。
杖の先から放たれた鋭い魔力の矢が、正確にスライムの核を貫いた。
スライムはあっという間に崩れ落ち、小さな魔石だけが地面に残る。
「ダンジョン内の魔物は死ぬと死骸はチリとなって消えると授業で習ってはいたが、実際に目にすると不思議な光景だな」
トビアスは興味深そうに呟いた。
「魔石は私が袋へ入れておきますね」
カレンが腰をかがめて手を伸ばそうとした時、それをフィオナが慌てて制した。
「あっ、念のため私が拾います!」
フィオナが魔石を拾い上げる。
すると、魔石にまとわりついていた薄暗い邪気が、霧が晴れるようにすっと消えていった。
「弱い邪気でも、蓄積すると体調に悪影響を及ぼしますから。これで安全ですよ」
「フィオナ様、さすがですわ。助かります」
カレンが感心すると、フィオナは照れくさそうに「えへへ」と笑った。
その後も一行は、立ちはだかるスライムやゴブリンを鮮やかな連携で退けながら進んでいく。
リディアの的確な魔法、カレンの剣技、ローレンツの援護、フィオナの回復、そしてトビアスの冷静な指揮。
誰一人として役割を乱すことなく、探索は驚くほど順調に進んだ。
予定よりかなり早く目的地へ到着した一行は、設置されていた箱から目印のボールを回収し、そのまま出口への道を引き返す。
「スムーズに回収できて良かったね。大きな怪我もなくて何よりだ」
ローレンツが安堵したように息をつく。
しかし、フィオナはすぐに表情を引き締めた。
「ローレンツ様、まだダンジョンの中ですよ。安心するのは外へ出てからです」
冒険者に憧れる彼女らしい言葉だった。
その真剣な眼差しに、一同の気も自然と引き締まる。
慎重に歩みを進め、一行は無事にダンジョンを抜けた。
眩しい陽光を浴びた瞬間、張りつめていた空気がようやく和らぐ。
教官の姿を見つけると、トビアスが代表して報告へ向かった。
「教官、規定のボールを回収し、ただいま戻りました」
「おお、トビアス班か。……なんと、お前たちが一番乗りだぞ! 実に見事な手際だ。全員が戻るまで、あちらで休んでいなさい」
(私たちが、一番早かったのね)
仲間たちの無事な姿を改めて見渡したリディアは、ようやく肩の力を抜いた。
「無事に……戻ってこられて、本当に良かった……」
思わず、本音がこぼれる。
その呟きに気づいたトビアスが、優しく微笑んだ。
「リディア様も、お疲れ様。あちらの木陰で皆と休もうか」
促されるまま、一行は近くの木陰へ腰を下ろした。
しばらくすると、他のパーティーも続々と戻ってくる。
その中には、クラウス、セドリック、カイの姿もあった。
(三人とも無事に戻られたのね……本当に良かった)
最悪の未来を変えられたのかもしれない。
そんな安堵が、リディアの胸を静かに満たしていく。
「初めてのダンジョンでしたけれど、皆さんと協力して探索できて、とても楽しかったですね」
カレンが晴れやかな笑顔で口を開く。
フィオナも嬉しそうに身を乗り出した。
「力を合わせて冒険するって、やっぱりロマンがありますよね! 私も、とっても楽しかったです!」
リディアも微笑みながら頷く。
「カレン様の素早い剣さばき、本当に格好良かったですわ」
するとトビアスも続けた。
「リディア様の魔法も無駄がなく、とても正確だった」
ローレンツも穏やかに笑う。
「僕の魔法も何度もフォローしてもらえて助かったよ。とても綺麗な魔法だった」
「フィオナ様の治癒魔法も、回復だけじゃなくて、優しく包み込まれるような安心感がありましたわ」
「えへへ、ありがとうございます!」
「そして何より、トビアス様の指示が完璧だったからこそ、ここまで順調に進めたのですわね」
自然と、お互いを称え合う言葉が次々とこぼれる。
パーティーとしての絆が深まったことを感じ、リディアは穏やかな幸福感に包まれていた。
――しかし。
そんな和やかな空気の中、二人の女子生徒がこちらへ歩み寄ってきた。
二人はリディアたちを一瞥すると、神妙な面持ちでフィオナへ声をかける。
「フィオナ様、少々よろしいでしょうか」
耳元で何かを告げられたフィオナは、一瞬驚いたように目を見開いた。
「……ちょっと、私、行ってきますね」
そう言い残し、フィオナは女子生徒たちの後を追って、人混みの向こうへと姿を消していった。




