第50話 魔法の習得
王家主催の夜会のあと、学園内を歩いていると、指輪がぼんやりと光っているように感じることが幾度かあった。
だが、その光はあまりにも弱い。
本当に光っていたのか、それとも自分の気のせいなのか、判断がつかなかった。
その曖昧な状況に、リディアは少しずつ不安になっていく。
(誰かに相談するべきかしら。でも、本当に学園内で光ったのか自信がないわ。夜会で光ったのを見たせいで、疑心暗鬼になっているだけかもしれない……。マグダレーナ先生とお話ししたい。)
マグダレーナはリディアの家庭教師を終えたあと、研究塔で研究員として働いていると聞いていた。
会いに行きたい気持ちはあった。
けれど、確かなことも分からないまま訪ねるのは迷惑ではないかと思い、足を運ぶことができずにいた。
(決定的なことが分かっていればいいけれど、今の漠然とした状態では、マグダレーナ先生も困ってしまうものね)
そんなある日。
歴代の聖女について調べていたリディアは、一人の聖女に目を留めた。
約二百年前に活躍した七代目聖女、セラフィーナ。
彼女は治癒魔法を体系化した人物として知られ、薬学や治癒魔法に関する数多くの基礎魔法を生み出したとされていた。
その中に、「異物排出魔法」という魔法があった。
この魔法の異物の定義は、『対象の生命を脅かす有害物質』である。
一般的な解毒魔法よりもはるかに繊細で、高度な集中力と魔力制御を必要とする魔法らしい。
扱える者は極めて少なく、現代ではほとんど使い手がいないという。
古い文献には魔術式も残されていたが、その構成は非常に複雑だった。
古い魔法であるため、現代魔法のように合理的な簡略化が施されていないことも、習得を難しくしている理由の一つだった。
だが、その効果は絶大だった。
毒を中和するのではなく、体内から完全に排出することができるという。
(この魔法を使えるようになれば、もし仲間が毒に侵された時に役に立てるかもしれない。……きっと前世で、フィオナ様の足を蝕んだ毒も治すことができたはずだわ)
その日から、リディアは学園から帰宅すると、この魔法の習得に打ち込むようになった。
公爵家の薬園で栽培されている研究用の薬草から抽出した毒液を、あらかじめ重さを量って果物へ注入する。この薬草は少量なら薬となるが、高濃度では毒となる。
そして、魔法で同じ量だけ毒を抜き出す。
その作業を、何度も何度も繰り返した。
だが、毒だけを正確に抜き出すのは想像以上に難しかった。
果汁まで一緒に吸い出してしまったり、逆に毒が残ってしまったりする。
魔力の制御は、まるで針の穴に糸を通し続けるような繊細さが求められた。
挫けそうになるたび、右手の中指にはめたマグダレーナから贈られた指輪を見つめる。
(私は、国内屈指の魔導師の弟子なんだからできるはずよ)
そう自分に言い聞かせ、何度でも立ち上がった。
ある夜。
屋敷裏の演習場で遅くまで訓練を続けていると、アルヴィスがやって来た。
「何をそんなに練習しているんだ?」
「異物排出魔法です。解毒魔法とは違い、毒などの異物を体内から完全に排出する魔法です」
「ふむ……私には重要性がいまひとつ分からないのだが、それほど重要な魔法なのか?」
「この魔法の優れているところは、未知の毒であっても分析することなく、体内の異物として識別し、すぐに体外へ排出できる点です。ダンジョンに生息する魔物の毒にも有効ですし、排出した毒を容器に回収すれば、あとから分析することもできます」
「なるほど……。たしか、もうすぐダンジョン探索実習だったな」
「ええ。奥には毒を持つ魔物もいますので、念のため習得しておきたいのです」
「……分かった。だが、今日はもう遅い。休みなさい。顔色も良くない。晶蜂蜜をお湯に溶かして飲むといい」
「……わかりました」
リディアは素直に頷き、杖をしまった。
アルヴィスは作業台の上に置かれた、変色したリンゴへ視線を向ける。
「魔術式が、随分と古めかしいものに見えたが……」
「ええ。七代目聖女セラフィーナ様が遺した魔術式を、そのまま使っていますので」
「なるほど。あの時代の魔術式なら複雑だろうな」
アルヴィスは少し考え込んでから続けた。
「魔術式を分析して、現代魔法の術式に組み替えてみたらどうだ? その方が制御もしやすくなるかもしれん」
「……!」
リディアは目を見開いた。
「その発想はありませんでした」
古い文献に書かれた魔術式を、そのまま再現しようとばかり考えていた。
(現代魔法の補助術式を組み込めば……うまくいくかもしれない)
「おいおい。今日はもう駄目だぞ」
アルヴィスは苦笑する。
「考えるのは明日にしなさい」
娘がまた訓練を始めないよう見守りながら、アルヴィスは屋敷へ戻るまで付き添った。
リディアも観念して自室へ戻り、その日は久しぶりにゆっくりと体を休めた。
翌日。
アルヴィスの助言どおり、古い魔術式を現代魔法へ置き換える作業を始めた。
特に魔力制御が難しかった箇所へ補助術式を加え、安定性を高めていく。
すると、今まで苦戦していた制御が驚くほど滑らかになった。
一か月後。
屋敷の罠にかかったネズミへ、ごく微量の毒を投与する。
リディアは慎重に魔法を発動し、毒だけを完全に体外へ排出した。
成功だった。
こうしてリディアは、「異物排出魔法」を完全に習得した。
(人を助けられる魔法を覚えると、不思議と安心するわね)
この魔法は、リディアに大きな自信を与えてくれた。
そして、それをきっかけに「人を助ける魔法」そのものへ興味を抱くようになる。
以来、彼女はさまざまな治癒魔法を調べ始めた。
休日に訪れた王立図書館。
そこでリディアは、一冊の古びた本を見つけた。
それは、ある冒険者が自身の経験をもとに書き残した魔法書だった。
さまざまな実践的な魔法が紹介される中、一つの項目にリディアの視線が止まる。
――幻術など、精神干渉系の呪いを解除する魔法。
(これだわ……! これを覚えておけば、精神干渉された人を助けられるかもしれない)
その日からリディアは再び屋敷の演習場へ通い詰めるようになり、アルヴィスを悩ませるのだった。




