第44話 博物館で見つけたもの
リディアはエルヴィン領から王都に戻った後、しばらくカイと必要以上に関わることを、なんとなく避けていた。
恋愛をしたいと思っていないのに、意識してしまう自分が嫌だった。けれど、そんなリディアの気持ちを知ってか知らずか、カイは変わらずリディアに声をかけてくれる。
そのたびに、リディアの中に小さな罪悪感が積もっていった。
学園の校外学習で訪れた王立歴史博物館には、希少で価値の計り知れない品々がいくつも並んでいた。
入口にある高い吹き抜けの天井からは、百年前に討伐されたという巨竜の骨格標本が吊り下げられている。
今にも動き出しそうな迫力に、生徒たちは頭上を見上げ、感嘆の声を上げた。
「リディア様、カレン様、見てください。ドラゴンの卵の化石ですって! とても大きいですね」
フィオナが瞳を輝かせて指差した先には、大きな楕円形の岩のような塊が鎮座していた。
添えられた説明には、ダンジョン深層で見つかったものだと書かれている。
「ダンジョン深層」という言葉に、フィオナの表情はさらに華やいだ。
「生まれたての赤ちゃん、見てみたいですね」
「ドラゴンの赤ちゃんは、私たちより大きいのかしら」
「どんなに大きくても、赤ちゃんなのできっと可愛いです!」
「フィオナ様は、どんな魔物でも可愛いとおっしゃいそうですわね」
カレンがくすりと笑うと、フィオナは少しだけ頬を赤らめた。
「だって、生まれたばかりの生き物はすべて愛らしいですもの」
その言葉に、リディアは思わず目を細めた。
「……フィオナ様らしいですわね」
三人はドラゴンの卵を前に、しばらく楽しげに盛り上がった。
やがてリディアが次の展示物へ視線を向けると、そこには立派な英雄の石像が飾られていた。
――半神の英雄レオンハルト。
(伝説の、空から降ってきた大きな岩を素手で受け止めた英雄ね。ということは、ここからは王国史なのね)
さらにその先には、半神の英雄の子孫である初代国王フリードリヒ・レオンハルトと、四人の友の伝説が記されていた。
彼らは大地を脅かす蛮族や黒竜を討伐し、王国に平和をもたらしたという。
そして、ヴァルデック、アイゼン、グラウ、エルヴィンの四家は、それぞれ国家の中枢に関わる分野を担い、王家を支えてきた。
(五百年間、王家が頂点に立ち、その四方を公爵家が支えてきたのね)
リディアは、壁に並ぶ四大公爵家の紋章と解説に目を走らせた。
【ヴァルデック公爵家】南
国の軍事を司る。
鎖を断ち切るフェンリルの家紋。
家訓は『迷うな、噛め』。
(セドリック様は、まさに家訓通りという印象ね)
ちらりとセドリックへ目をやると、リディアが家訓を見ていたことに気づいたのか、彼はニヤリと笑って噛みつく仕草をした。
その様子に、リディアも思わず笑みをこぼした。
【アイゼン公爵家】東
法と秩序を司る。
秤を抱く古竜の家紋。
家訓は『秩序は血より重し』。
(なんて厳格な家訓。トビアス様の印象とは、ずいぶん違うわね)
次にトビアスへ視線を向けると、彼は学芸員に何かを質問し、楽しそうに頷きながら話を聞いていた。その姿に、リディアは思わず口元を緩めた。
【グラウ公爵家】西
教会との調整役や加護の管理、聖女の選定、神事などを司る。
星の周りに円環を描く大蛇の家紋。
(あら、グラウ家は家訓を掲載していないのね。家訓がないのかしら? ローレンツ様に伺ってみようかしら)
ローレンツは展示物には目を向けず、楽しそうな生徒たちをぼんやりと眺めていた。
(なんだかお疲れのご様子ね……今回は遠慮しましょう)
【エルヴィン公爵家】北
学術、研究、外交を司る。
巻物を掴むグリフォンの家紋。
家訓は『知は翼なり、道を照らす』。
博物館に飾られている実家の家紋を見て、リディアは誇らしい気持ちになった。
(考えてみれば、王家、そして四大公爵家が偶然にも同じクラスに揃っているなんてすごいわね)
ふと視線を向けると、クラウスも真剣な表情で展示物を眺めていた。
その隣で、興味深そうにセドリックと話すカイの姿が目に入り、リディアは思わず目を逸らした。
(はぁ、私ってば、またわざとらしく目を背けてしまったわ。もっと自然に、前のように振る舞いたいのに)
思い通りにならない自分に、リディアは小さくため息をついた。
やがて一行は、博物館の中でもひときわ静かな展示エリアへと差しかかった。
まるで礼拝堂に足を踏み入れたかのように、周囲の空気が張り詰めた。高窓から差し込む淡い光が、ガラスケースの中身を静かに照らしていた。
「こちらが、初代聖女エリシア様のご遺品です」
学芸員の声に、生徒たちが息を呑んだ。
ガラスケースの中には、約三百五十年前のものとされる聖女の私物が並んでいた。
小さな櫛、指輪、不器用ながらも丁寧に縫われたハンカチ。
そして、日記の断片。
解説には、『病で伏せる母を案じていたエリシアの遺品であり、そこに記された記号は神からの啓示とされる神聖な紋様である』と添えられていた。
「……あ」
リディアの思考が、一瞬で凍りついた。
指先が冷たくなっていくのを感じる。
そこにあったのは、父が餞別として船上で自分に手渡した、あの古書と同じ記号のような文字だった。
日記には、無垢な言葉の合間に、異質な紋様が紛れ込んでいた。
『今日もお母さまの手は冷たい。
それでも、息はしている。
――[〓〓〓〓]
この印は、祈りの言葉ではないらしい。
文字のようでもあり、絵のようでもある。
これは一体何なのかしら?
これが分かれば、お母さまを救えるような気がするのに』
それは、太い線や塗りつぶされた円に、装飾のような複雑なあしらいが加えられた、ひどく密度の高い紋様だった。
だが、リディアには、それは意味を持つ言葉だった。
(「不老不死」……そう書いてあるわ)
けれど、奇妙な感覚が拭えなかった。
聖女エリシアは、この紋様を啓示として授かったとされる。
だというのに、彼女自身は「これは一体何なのかしら」と、その意味を素朴に問いかけている。
(……初代聖女様が、これを神様から授かったものとして認識しているようには思えないわ)
解説では「紋様」とされているものが、リディアには明確な意味を持つ「文字」として読めている。
そして、この紋様に意味があることを、誰も気づかないまま展示している。
リディアは、何か見てはいけない世界の深淵を覗いてしまったような気がした。
(なんだか恐ろしいわ……)
リディアはしばらくその場に立ち尽くし、その「紋様」を見つめていた。
「リディア様。とても熱心にご覧になっていたから、学芸員の方が感心していましたわよ」
カレンがリディアに声をかけた。
リディアは咄嗟に視線を逸らし、涼やかな声を作った。
「あまりに興味深かったので、つい見入ってしまいました。お恥ずかしいですわ」
「リディア様は本当に勉強熱心だな。確かにあの紋様は興味深いよね。何か意味があるようにも見えるし……君のお父様なら、何かご存じなんじゃないかな? アルヴィス公爵は、こういった古い資料にもお詳しそうだし」
トビアスも気になったのか、リディアに声をかけた。
「……さあ、どうでしょう。今度、伺ってみますわ」
リディアは心臓の鼓動を悟られないよう、静かに歩き出した。
本能的に、このことを軽々しく誰かに漏らしてはならないと思ったのだ。
(お父様が言っていた、ダンジョンで見つかった『文字ではない刻印』。そして、聖女様が残した『紋様』。もし、これらが同じ言語なのだとしたら――)
リディアは、自身の加護が持つ真の重みを、この時初めて実感し始めていた。
(……あの日、お父様があの本を私に託したのは、どうしてなのかしら)
ふと、父の不可解な行動が頭をよぎった。
(もしかしたら……あの時お父様は、私がこの文字を読めると分かっていた?)
リディアの胸の内には、いくつもの疑念が渦巻いていた。
(文字に関しては、もう少し自分で調べてみたほうがいいわね。他にも、模様のように紛れ込んでいるかもしれないし)
「ふぅー……」
リディアはゆっくりと息を吐いた。
よく分からない漠然とした恐怖に胸が息苦しくなり、考えすぎたせいか、頭が締め付けられるように痛んでいた。
「……リディア様、大丈夫?」
ふわり、といつものハーブの香りがした。
顔を上げると、トビアスが心配そうにリディアの前に立っていた。
様子のおかしいリディアを見て、後を追いかけてきてくれたのだろう。
「……トビアス様」
トビアスの顔を見た瞬間、強張っていた心が、なぜか少しだけ緩んだ。
「顔色が悪い。引率の先生を呼んでこようか?」
「ありがとうございます。少し休めば大丈夫ですわ」
ハーブの香りのせいか、リディアの息は次第に落ち着き、頭の痛みも少しずつ和らいでいった。
「何かあった?」
「いえ……あまりにも珍しい展示物ばかりで、少し興奮しすぎてしまっただけです」
「……そうか」
トビアスはリディアの嘘に気づいているようだった。
けれど、言葉を濁すリディアを深く追及することはしなかった。
ただ優しく、リディアが落ち着くまで隣で見守ってくれたのだった。
「トビアス様、ありがとうございます。もう大丈夫です」
リディアがそう告げると、トビアスは安心したように柔らかく微笑んだ。
「トビアス様は、いつも私が困っている時に、気づいてくださいますね」
「まあね。どうしてだかリディア様のピンチが分かるらしい」
トビアスは少しふざけた口調でそう言うと笑った。
先ほど目にした文字が、言い知れぬ不安となってリディアの心を沈ませようとする度に、彼女は無意識にトビアスの姿を探した。そうして彼の存在や笑顔に触れるたび、かすかな救いを感じてしまうのだった。
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