第42話 王都の祭りと祈り
王都の秋は、眩いばかりの黄金色に染まっていた。
石畳の大通りには、刈り取られたばかりの麦束が飾られ、建物の軒先には林檎や葡萄、色鮮やかな南瓜が並べられている。
収穫感謝祭、通称「恵神祭」。一年の実りを神々へ捧げ、人の営みが無事に巡ったことを祝うこの祭礼は、王都最大級の活気をもって執り行われる。
(エルヴィン領では領主と領民が一体となって、冬に向けての団結力を強める1日だけのお祭りだったけれど、王都は五日間も続くのよね。雰囲気もとても華やかでさすがは国の中心地だわ)
通りを歩くだけで、焼き菓子の甘い香りと、香草をまぶした肉料理の芳しい匂いが鼻をくすぐる。あちらこちらの屋台から白煙が立ちのぼり、人々の笑い声が町中から聞こえてくる。
広場の片隅では、人々が小さな精霊の石像に麦などの作物を供え、豊作への感謝を祈っている。
「すごい賑わいですわね。油断をしたら、すぐに離れ離れになってしまいそうです」
押し寄せる人の波に翻弄されそうになりながらも、リディアは隣を歩くカレンに声をかけた。
カレンは笑って、リディアの手を取る。
「リディア様の手は、私がちゃんと握っておきます」
カレンの手は温かく、安心感があった。
「カレン様、ありがとうございます」
二人は離れないように手をしっかりと繋ぎ、人混みを進んでいった。
今日は学園行事の一環として、中央神殿での参拝が予定されていた。
リディアたちは中央神殿に到着した。
神殿の中は広大で、金の美しい細工がそこかしこに施されている。高い天井には、さまざまな神々や精霊が色鮮やかに描かれていた。
そして最奥には、大小さまざまな神々の小像が、幾重にも並べられている。人の形をしたもの、獣に似たもの、あるいは抽象的な象徴だけを刻んだものなど、その膨大な数は、ひと目では数え切れないほどだ。
その中心。最も高い位置に据えられた石柱には、「恵」を意味する古い神紋が刻まれていた。
(何度見ても圧巻ね)
その近くでは、ローレンツと、純白の法衣に身を包んだフィオナが、神官たちと慣れた様子で挨拶を交わしている。
やがて、他の神官たちとは明らかに異なる格式の祭服をまとった初老の男性が、穏やかな笑みを浮かべて二人に声をかけた。
「ローレンツ君、フィオナ嬢。今日は大切な役目を引き受けてくれてありがとう。よろしくお願いしますね」
「アウレリウス聖司教様! この度はお呼びいただき、ありがとうございます」
フィオナはアウレリウスを見て、嬉しそうに微笑む。
聖司教アウレリウスは優しくうなずいた。
「お祭り期間中は忙しいと思いますが、あまり無理をしないように」
「ありがとうございます。グラウ家として、教会の皆様との調整をしっかり全うします」
ローレンツは誇らしげな笑みを浮かべながらも、しっかりとした様子で応じていた。
リディアとカレンは空いている席に座り、式が始まるのを待った。
「……これより、次期聖女候補による『聖浄の祝福』を執り行います」
年老いた神官の声が、低く響いた。
フィオナが、ゆっくりと壇上へ進み出る。
彼女は静かに両手を掲げ、深く瞳を閉じた。
「――日々の恵みに感謝を。どうか、世界が優しい光で満たされますように。ここに生きる皆が、明日も清らかな日々を送れますように」
祈りの言葉が紡がれた瞬間、フィオナの身体から柔らかな光が溢れ出した。
それは、目を瞑りたくなるような眩しさではない。神秘的で清らかな光が広がっていく。空気の質そのものが変わっていくのが、リディアにもはっきりと分かった。
邪気や呪い、あるいは目に見えない魔性の残滓が、朝日を浴びた霧のように消え去っていった。
(……すごい。空気が、洗われていくみたい)
リディアは思わず息を呑んだ。
フィオナの加護は、間違いなく本物だ。
(前世でも同じようにフィオナ様の祈りを経験したけれど、今回は、そのすごさがよりはっきりと分かるわ)
生徒たちや教会関係者も、フィオナの力を目の当たりにして感動している様子だった。
しかし、教会関係者の中には、彼女へ邪な視線を送る者たちもいた。
そこには、純粋な畏敬の念はない。彼らの目には、彼女をどのように利用できるか測っているような、冷たい計算が宿っていた。
(フィオナ様の祈りは、あんなに純粋で美しいのに……なんて嫌な目つきなのかしら)
ふと視界の端で、アウレリウスが神官に支えられるのが見えた。顔色が優れないようだ。
(お疲れなのかしら)
それだけ思って、リディアはフィオナへと目を戻した。
その後も祝福の余韻はしばらく神殿に満ちていたが、やがて祭典は静かに終わりを迎えた。
神殿の外へ出ると、再び街の喧騒と芳しい香りが一行を包み込んだ。
「リディア様! カレン様! ……私、緊張して手が震えてしまいました」
足早に駆け寄ってきたフィオナは、先ほどまでの神々しさが嘘のように、年相応の少女らしい表情に戻っていた。純白の法衣も脱ぎ、今はいつもの制服姿だ。
「見事な祝福でしたわ、フィオナ様。王都の空気が、今もまだ清らかに澄み渡っています。素晴らしい体験をさせていただきましたわ」
「ええ。急に体が軽くなったような、とても不思議で神秘的な体験でしたわ。フィオナ様、とても素敵でした」
リディアとカレンが心からの賞賛を伝えると、フィオナは少し照れたように頬を染め、はにかんだ。
「フィオナ様、お疲れ様でした」
ローレンツとトビアスも、フィオナに声をかける。
そのまま一行は、祭りの屋台街へと繰り出した。串焼きの肉が弾ける音、果物を煮詰めた甘い香り、威勢のいい呼び声が、賑やかに交差している。
「とても活気がありますね」
「わぁ、どれも美味しそうです!」
美味しそうな匂いに誘われ、リディアのお腹も空いてくる。
「では、串焼きをいただきましょうか。買ってきますので、待っていてください」
トビアスとローレンツが、屋台へ串焼きを買いに行く。
「ではみなさま、恵みに感謝していただきましょう」
ローレンツの神官のような口調に、みなが笑う。
一口、肉を頬張る。ぷりっと引き締まった肉質に、香ばしい脂と濃いめの塩気が、じんわりと舌の上で広がった。
「歯ごたえがあって、とても美味しいですね」
「わたし、十本くらいペロリといけそうです!」
「ふふ、フィオナ様ってば」
「次期聖女様が満足されるまで、何本でも買いに行きますよ」
トビアスが笑顔で言う。
祭りの賑わいは、夜まで続いた。
けれどリディアの胸の内には、ざらつくような違和感が残っていた。祭りの賑わいが、まるで遠い地響きのように感じられる。
タウンハウスのエルヴィン公爵邸のテラスで、リディアは一人、夜風に当たりながら、神殿で目撃した教会関係者たちの視線を反芻していた。
「リディア、まだ起きていたのか」
振り返ると、アレクシスが上着を片手に立っていた。仕事帰りなのか、領地にいた頃よりも少しやつれ、瞳には疲労の影がある。
「お兄様。……はい、今日のお祭りの余韻がすごくて。フィオナ様の『聖浄の祝福』、本当に素晴らしかったんですのよ」
「ああ、報告は聞いているよ。とても広範囲の浄化だったらしいね。原因不明で体調を崩していた者たちが、みるみるうちに元気になったとか。……なんだか他に気になったことがあったような顔だけど、どうかした?」
アレクシスはリディアの隣に立ち、冷たい手すりに体重を預けた。
リディアは少し迷ったが、今日感じた気味の悪さを口にした。
「……今日の神殿で、一部の教会の方々の目が忘れられなくて。彼らはフィオナ様の祈りに感謝しているのではなく、まるで……使い勝手の良い道具を手に入れたかのような、そんな目で彼女を見ていましたわ」
アレクシスはしばし沈黙した。
「人々が神に感謝し、心穏やかに過ごすことはとても重要だ。だけど、教会がその仕組みを維持するためには色々と必要なことが多い。……それは、個人の幸せとは相容れない残酷なものだったりするのかもしれないな」
アレクシスの言葉は、どこか寂しげだった。
「フィオナ様の能力は素晴らしい。だが、強い光は、目の眩んだ者も引き寄せる。……リディアは、あまり深入りしすぎないことだ。教会側には、我々には理解できない常識がある」
「……お兄様は、何かご存じなのですか?」
リディアの問いに、アレクシスは何かを言おうと口を開いた。だが言葉は出ず、一拍置いてから、静かに声を落とす。
「……さて、どうかな。私も、分からないことだらけだ」
「……そうですか」
「さあ、もう夜も更けた。明日はエルヴィン領に向かうんだろう? 早く休もう」
アレクシスはそう言って、リディアを促した。
(お兄様も何かを感じているようだけれど、言葉を濁しているのはどうしてかしら)
リディアは、兄が残した微かな懸念を胸に、自室へと戻った。
祭りの終わりの静寂は、これから始まる嵐の前の、不気味な静けさのようだった。




