第40話 前期試験
ヴァルディア王立魔法学園の前期試験。
それは、成績下位者がクラスを追われ、下位クラスの上位者が這い上がる――いわば「階級の入れ替え」が行われる、非情な戦いの場でもある。
試験は「魔法学」「王国史」「魔物・生物学」「薬学・植物学」「外国語」「礼法・社交」「実技」の七科目で構成され、数日間にわたって生徒たちの精神を削っていった。
なお、実技については、普段の授業での様子も採点対象となっている。
(……この設問、どこまで答えるべきなのかしら)
試験中、リディアは羽ペンを握ったまま、眉を寄せていた。
王国史の解答用紙を前に、彼女は激しいジレンマに陥っていたのだ。
教科書には「五百年前にヴァルディア王国は建国された」と記載されている。だが、父の書庫で読んだ私家版の史料では、建国当初は別の国名を名乗っており、正式にヴァルディア王国と称するようになったのは四百年前だと明記されていた。
(教科書通りに書くべき? それとも真実を? ……いいえ、今は学生なのだから、この学園が正解とするものを書かなければ……)
しかし、一度知識の海に足を取られると、思考は止まらない。
薬学でも、複数の本の内容が頭に浮かんでくる。
(蛇舌草は、そのまますり鉢ですり潰して使用する方法、乾燥させてから粉状にして使用する方法、白石と共に軽く茹でてから使用する方法があったけれど……どれが現代のやり方だったかしら)
教科書の内容と、図書館や父の書庫で読んだ内容が、頭の中で混ざり始めてしまった。
翻訳の加護により、自動的に意味を解せるリディアにとって、言語の壁は種族や時代を易々と超える。
どの時代の、どの種族の知識なのか。
文献を読み漁るうちに、それらの区別を曖昧にしたまま読み進めてしまっていたのだ。
翻訳の加護により、労せず理解できることが、ここへ来て裏目に出てしまったのである。
(あら……これは教科書で読んだ内容? それとも図書館の本だったかしら?)
結果として、リディアのペンは迷い、解答欄の余白にはびっしりと注釈や反論が書き込まれていく。
こうして、教官泣かせの解答用紙が出来上がっていった。
そして迎えた、結果発表の日。
学園の中央広場には、全生徒の順位が記された巨大な掲示板がそびえ立っていた。
「……一位、トビアス・アイゼン。二位、クラウス・レオンハルト……」
掲示板の最上段に燦然と輝く上位者の名に、生徒たちがどよめく。
トビアスは知識に偏りのない天才ぶりを発揮し、クラウスもまた、次期王として積み重ねてきた帝王学の成果を見せつけた。
「あーよかった。みんなに勉強を教えてもらえたおかげで、まだAクラスにいられそうだよ」
カイがクラウスの横で、ほっと胸を撫で下ろす。
「これはカイ殿下の日々の努力の結果さ」
クラウスの真っ直ぐな言葉に、カイは「ありがとう」とはにかんだ。
ヴァルディア王国民ではないカイにとって、試験は決して簡単ではなかった。Aクラスに残るため、こっそりと努力を重ねていたのだ。
「……リディア様! 五位ですわ! 総合五位に入っています!」
カレンの弾んだ声に、リディアは小さく息をついた。
【リディア・エルヴィン:成績内訳】
魔法学:三位
薬学・植物学:十位
魔物・生物学:八位
王国史:十二位
礼法・社交:四位
外国語:一位
実技:一位
実技では、あの「精密すぎる火槍」が評価された。
「……王国史と薬学・植物学が、足を引っ張ってしまいましたわね」
リディアの独り言に、隣にいたトビアスが笑った。
「君の解答用紙は採点するのが大変だったと、王国史の採点官が漏らしていたよ。『教科書に載っていないことも書いてあるから、文献で確認するのが大変だった』ってね。リディア様は、本を読みすぎだよ」
「……あなたにだけは、それを言われたくなかったのですが。お恥ずかしい限りです」
苦笑いするリディアだったが、その視線はさらに下の順位へと向かう。
二十位――Aクラスに残れる、最後の一枠。
そこに、あの名前が刻まれていた。
「十二位、ローレンツ・グラウ。……そして、二十位……フィオナ・ヴァイス!」
「や……やりましたわ、ローレンツ様! 私、Aクラスですっ! 皆様と同じところへ行けます!」
掲示板の前で、フィオナがローレンツの手を握り、ぴょんぴょんと飛び跳ねて喜んでいた。
ローレンツは自分の順位にはさほど驚いた様子もなかった。けれどフィオナの結果には、いつもの余裕ある微笑みを少しだけ深めていた。
(……二十位。本当に入り込むなんて)
リディアがフィオナの成績を見ると、リディアが得意とした「外国語」や「魔法学」では伸び悩んでいるものの、リディアが苦戦した「王国史」や「薬学・植物学」で着実に点数を稼いでいた。
「リディア様!」
フィオナが人混みをかき分け、リディアのもとへ駆け寄ってきた。
「リディア様が教えてくださったコツのおかげです! 私、一生懸命、リディア様のお顔を思い浮かべながら解いたんです!」
「……私を思い浮かべて解ける問題は、なかったはずですけれど。おめでとうございます、フィオナ様。あなたの努力の結果ですわ」
素直に喜ぶフィオナに、リディアは穏やかな微笑みを向けた。
しかし、喜びの声が響く広場の端で、Bクラスへの転落が決まった元Aクラスの令嬢たちが、フィオナを睨みつけていた。
それに気づいたカイが、「こわいなぁ」と小さく呟く。
試験結果をめぐる喧騒が落ち着いた、放課後。
リディアはカレンと、そして新たにAクラスへの切符を手にしたフィオナを誘い、王都にあるエルヴァイン家のタウンハウスへ向かった。
中庭にあるガゼボで、ささやかなお茶会を開くためだ。
テーブルには、エルヴァイン公爵家御用達の菓子店から取り寄せた色鮮やかなマカロンと、淹れたてのダージリンが並んでいる。
「改めて、おめでとうございます、フィオナ様。Aクラスでも、またお互い切磋琢磨して頑張りましょうね」
「はい! リディア様に少しでも近づけるよう、私、全力で頑張りますわ!」
フィオナはマカロンを頬張りながら、強い決意を瞳に宿していた。
そして、フィオナが「こんなに美味しいマカロンは初めて食べました! 頬が落ちそうです!」と目を見開き、大げさなほど感動している様子を、リディアとカレンは微笑ましく見守っていた。
やがて話題は自然と、それぞれの加護の能力へと移っていく。
「フィオナ様の聖女としての加護は、やはり教会でも特別視されているのでしょう?」
カレンの問いに、フィオナは一瞬だけ、マカロンを持つ手を止めて視線を落とした。
「……はい。どうやら、かなり珍しい能力らしいんです。それで、こんな力を持つ私が言うのも変な話なのですが……実は、お恥ずかしい話、幼い頃は冒険者になりたかったんです」
「冒険者?」
意外な言葉に、リディアはカップを置いた。
「ええ。ヒーラーとしてパーティーに加わって、世界中の未知の場所を旅するのが夢でした。でも、加護の鑑定でこの力がわかってからは、周囲の目が一変してしまって……。教会の皆様には、とても良くしていただいています。この力は国のために使わなければならない、とても有り難い授かりものなのだと、自分にも言い聞かせているのですが……」
フィオナの笑顔は、どこか寂しげだった。
(……貴重な加護を授かったがゆえに、自分の道を選べなくなったのね。教会が掲げる『加護は人のため、国のために』という教えが、彼女を縛っているみたい)
リディアは、かつて自分がその加護に嫉妬し、人生を狂わせたことを思い出した。
膝の上に置いた手に、知らず力がこもる。
「……私の加護も、似たようなものかもしれませんわ」
今度はカレンが、自嘲気味に笑って口を開いた。
カレンには二つの加護がある。
一つは、武器の理屈を瞬時に理解する『武技理解』。
もう一つは、卓越したバランス感覚を誇る『身体制御』。
どちらも戦場に立つ騎士にとっては、喉から手が出るほど欲しい力だ。
「両親も、恐らくは思っているはずです。私が男に生まれていれば、エーデル侯爵家の嫡男として、どれほど輝かしい武勲を立てただろうかと。……女に生まれた私にとって、この力は時に、持て余すだけの業に見えることがありますわ」
普段は凛々しく、弱さなど見せないカレンの瞳が、一瞬だけ揺れた。
リディアは、そっと二人の手に自分の手を重ねた。
「……加護が、人生の全てを決めるわけではないと思います。カレン様、私はカレン様が女性であっても、輝かしい功績を残す方だと思っていますわ。……そしてフィオナ様。いつかあなたが自由な立場を得た時、その癒やしの力で世界を旅する道が、絶対にないとは言い切れませんわよ」
リディアの言葉に、二人は顔を見合わせ、やがて小さく微笑んだ。
「ふふ、リディア様は本当にお強いですわね。……では、気分転換に恋のお話でもしませんか?」
カレンが少し頬を赤くしながら、話題を変える。
「カレン様は恋をしていらっしゃるのですか?」
フィオナが目を輝かせて尋ねる。
「ええ。一方的な片思いなんですけれどね。アピールするどころか、平常心を装うだけで精一杯で……我ながら不器用で笑ってしまいますわ」
カレンは恥ずかしそうに苦笑しながら、紅茶を口にした。
「恋をしているカレン様は、とても可愛らしくて素敵だと思いますよ。きっとお相手も、そう思っているのではないかしら」
「り、リディア様、からかわないでくださいませ」
カレンの顔が耳まで赤くなる。
その様子を見て、フィオナは微笑ましそうに目を細めた。
「フィオナ様は、その……どなたか、気になる殿方はいらっしゃらないの?」
「私ですか? うーん……。教会の方は皆様、お父様のような方ばかりですし……。あ! でも、強いて言えばリディア様ですわ!」
一瞬、何を言われたのか理解できず、リディアは紅茶のカップを持ったまま固まった。
「……えっ?」
「あの日、私を助けてくださった時のリディア様、本当に格好良くて……。私、あの日からリディア様に恋をしているのかもしれません!」
フィオナが冗談めかして、けれど半分本気のような熱量で身を乗り出すと、リディアはたじろいだ。
「よ、よしてください。そんな冗談、トビアス様たちが聞いたら何を言われるか……」
「大丈夫ですよ。私がトビアス様に叱られるだけですから」
「いえ、トビアス様なら喜ぶかもしれません」
カレンの言葉に、リディアが思わず吹き出す。
「ふふ、どうしてトビアス様が喜ぶのですか?」
「なんとなく、私の中でトビアス様はそういうイメージなのです」
夕暮れ時の中庭に、三人の少女たちの笑い声が響く。
前世では、誰にも心を開かず、孤独な嫉妬の中で溺れていた。
けれど今は、こうして互いの弱さを分け合える友がいる。
(……この穏やかな時間が、どうか壊れませんように)
リディアは二人の笑顔を胸に刻み込みながら、密かに祈るのだった。




