第39話 賑やかな勉強会
ヴァルディア王立魔法学園のカリキュラムは多岐にわたる。
その中でも「剣術」の授業は、将来、騎士団への入団を目指す者たちが主に受講していた。
魔法が主体となるこの学園において、あえて重い剣を握ろうとする生徒は多くない。
だが、「万が一、魔力が底を突いた際、己の身を守る術を持たぬ者は魔導師に非ず」という学園創設以来の理念に基づき、演習場の一角では今日も鋭い気合いが響いていた。
当然、令嬢のほとんどは魔法理論や歴史学の講義を選択するため、この場に女子生徒の姿があるのは珍しい。
「……ふぅ。……はぁ」
リディアは演習場の隅で、額に浮かんだ汗を拭いながら、ずしりと重い木剣を構え直していた。
魔法に関しては教官からも一目置かれるリディアだが、武術に関しては完全なる初心者である。
教官の手本を真似ようと試みるものの、筋力も、瞬時に反応する運動神経も、今のリディアの身体には圧倒的に不足していた。
(難しいわね……。自分の腕一本を思い通りに振るうのが、これほど困難だなんて)
呼吸を整えながら中央へ視線を向けると、そこではカレンとセドリックが、模擬戦とは思えないほど鋭い打ち合いを演じていた。
しなやかな体躯を活かして踏み込むカレン。
それを、最小限の太刀筋で淡々と受け流すセドリック。
互いの木剣がぶつかり合う乾いた音が、演習場に小気味よく響く。
(……それにしても、信じられないわ。あんなに堂々と剣を振るい、セドリック様と対等に渡り合うカレン様が、お兄様の前ではあんなに可愛らしい乙女になってしまうなんて)
先日の邸でのカレンの様子を思い出し、リディアの口元が思わず緩む。
(そういえば、お兄様には浮いた話を聞かないけれど、恋人のような方はいらっしゃるのかしら? 前の時間軸でも、女性を紹介されたことなんて一度もなかったわね。……もし、カレン様がお義姉様になってくれたら……)
普段は冷静沈着であろうとしているリディアだったが、大好きな親友と兄が家族になる可能性を想像すると、胸の内でにやける気持ちを抑えきれなかった。
「リディア嬢、何を笑ってるの? 大丈夫?」
カイが不思議そうにリディアを見る。
「だ、大丈夫ですわ」
リディアは慌てて口元を引き締めた。
「それにしても、リディア嬢が剣術の授業を取っているとは意外だったよ」
「私も、カイ殿下がいらっしゃるのは意外でしたわ」
「だよねえ。なんか、欲張って受講しちゃったんだよね」
カイが気楽な調子で笑う。
リディアはちらりと中央の二人を見た。
カレンとセドリックは、相変わらず高い技量で木剣を打ち合わせている。
「……どうやら、頼りない剣筋なのは私たちだけのようですわね」
「なんだ、みんな経験者なのか。じゃあ、俺たちは初心者同士のライバルだね」
「ふふ、そうですわね。私、負けませんわよ」
セドリックとカレンが高度な打ち合いを繰り広げる一方、演習場の隅では、初心者二人によるささやかな戦いが始まったのだった。
放課後、リディアはカレンに声をかけた。
「カレン様。テストも近いですし、今日も我が家で自習をしませんか?」
もちろん、これはカレンのためにアレクシスと顔を合わせる機会を作ろうという、リディアなりの応援でもあった。
カレンは一瞬で顔を輝かせる。
「ええ、ぜひお供させてくださいませ」
勢いよく身を乗り出したカレンに、リディアは微笑ましい気持ちになる。
だが、そのやり取りに、招かれざる人物がするりと入り込んできた。
「おや、勉強会? それは名案だね。ちょうど殿下たちも行きたそうなお顔をされているし、僕たちも参加させてもらってもいいかな?」
いつの間にか背後に立っていたトビアスが会話に加わる。
「え! なになに? それって俺のための勉強会だよね?」
カイが笑顔で輪に入ってきた。
「勉強会か……。それは私も興味があるな」
クラウスが真面目な顔で頷く。
セドリックも「教えてもらえるのは助かる」と言って、すでに参加する気でいるようだった。
そんな友人たちの様子を面白がるように、トビアスはリディアへ視線を向ける。
「みんな参加したいみたいだよ」
さらに、カレンが少し遠慮がちに言葉を添えた。
「あの、リディア様。もしよろしければ、フィオナ様とローレンツ様もお誘いしてもよろしいかしら? Aクラスに入るために、近頃は休み時間も惜しんで猛勉強されているそうですの。お声がけしたら、きっと喜ばれると思うのですが」
(……だから最近、休み時間になっても彼女が教室に現れなくなったのね)
リディアは少し考えた。
本当はカレンと二人で、お兄様との仲をそっと応援する話をするつもりだったのだが、どうやら事態は想定外の方向へ転がっている。
(カレン様……ご自分も恋をしているというのに、なんてお優しいのかしら)
「……賑やかになりそうですわね。皆様、歓迎いたしますわ」
リディアは心の中で小さく息をつきつつも、友人たちを迎え入れるため、柔らかな微笑みを浮かべた。
エルヴィン公爵家のサロンは、かつてないほどの活気に満ちていた。
テーブルの上にはいくつもの魔導書が広げられ、窓から差し込む夕日が、磨き込まれた家具の表面を淡く照らしている。
「この魔法は、術式の核が重要なんだ。……ちなみに、この香りは『レモンバーム』だね。気分を落ち着かせながら集中力を高めると言われているから、追い込みの勉強には最適なんだ。君たちの理解力も上がるはずだよ」
「トビアス、ハーブのうんちくはもういい。今は魔法理論の話をしているんだ。少し黙れ」
流れるように喋り続けるトビアスを、セドリックが淡々と切り捨てる。
その向かい側では、クラウスとカレンが意外なほど意気投合していた。
「今日の演習での踏み込み、実に見事だったよ、カレン嬢。あれは騎士団の剣筋に近いものがあった」
「恐悦至極に存じます、殿下! 私は幼少より祖父から厳しく叩き込まれておりまして……」
ローレンツはそんな面々の様子を穏やかに眺めながら、フィオナのノートをそっと覗き込んでいた。
フィオナはといえば、小柄な体をさらに丸めて、必死の様子で教科書の一節を書き写している。
手垢で少し黒ずんだ教科書の端々から、彼女がどれほど本気でAクラスを目指しているかが伝わってきた。
「おお、フィオナ嬢、すごく頑張っているんだね」
カイがフィオナの様子を見て、感嘆の声を漏らした。
「はい。頑張ってはいるのですが、なかなか理解が追いつかなくて……」
フィオナが力なく笑う。
「フィオナ様。そこは、この魔法を発動した後の形を具体的に思い浮かべると、全体の術式が理解しやすくなりますわよ」
「あっ、リディア様! ありがとうございます……! 私、どうしてもここが苦手で、何度も読み返していたんです」
リディアが隣に座り、ペン先で教科書の一節を示すと、フィオナは嬉しそうに微笑んだ。
賑やかで、穏やかで、温かい。
前の人生では決して味わうことのなかった、放課後だった。
「ただいま。……おや、今日は一段と賑やかだね」
夕刻。
仕事から戻ったアレクシスが、ふらりとサロンに顔を出した。
その瞬間。
先ほどまでクラウスと凛々しく剣術談義に花を咲かせていたカレンが、びくりと肩を跳ねさせた。
「お、お帰りなさいませ、アレクシス様っ!」
カレンは手に持っていたペンを床へ落とし、顔を真っ赤に染めて慌てて立ち上がる。
椅子が小さく音を立てた。
そのあまりの変貌ぶりに、クラウスやトビアスたちは「どうしたんだ?」と不思議そうに首を傾げている。
リディアはそれを見て、心の中でそっと確信を深めた。
(やっぱり、賑やかなのも悪くないわね)
親友の瑞々しい恋路を応援し、かつての宿敵だった少女に手を貸す。
以前の人生では決して得られなかった、確かな幸福の形が、そこにはあった。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
少しでも続きが気になると思っていただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけると励みになります。




