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元・傲慢令嬢は二度目の人生で平穏に暮らしたい! 〜地味な加護だと思っていたら、神の権限を解読できる力でした〜  作者: 星きあさ


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第4話 父の本棚


 今日は、家庭教師による魔法学の講義の日だった。


 リディアの指導を担当するのは、マグダレーナ・シュタイン。

 元宮廷魔導師であり、出産を機に前線を退いたものの、その知識と魔力制御の技術は今なお王国でも指折りだと言われている。


 父アルヴィスが直々に頼み込み、ようやくエルヴィン家の家庭教師を引き受けてもらえた――そんな人物だった。


 かつてのリディアなら、難しい専門用語が飛び交い始めた時点で窓の外へ意識を逃がしていただろう。

 だが今の彼女は、一言も聞き漏らすまいと、真剣な眼差しでマグダレーナの手元を見つめていた。


「魔法とは、基本的には呪文で『起動』し、魔術式で『制御』します」


 マグダレーナが白い紙の上へ、流れるように術式を書き連ねる。


「術式の中心には、発動させたい魔法そのものの核を置く。その周囲へ補助式を重ね、性質を整え、暴走を防ぎ、精度を上げるのが基本です。熟練者の中にはさらに複雑な重ね書きをする者もいますが……まずは正確な配置を覚えることが大切ですわ」


「補助式は、核となる術式の意味を補強するように配置するのですね」


 リディアは頷きながら、淀みなくノートへ書き留めていく。


 マグダレーナはその飲み込みの早さに、内心で小さな驚きを覚えていた。

 最近のリディアは、以前とはまるで別人のように勉学へ向き合っている。


「リディア嬢の魔力量は、年齢相応に十分備わっていますわ。一般的な魔法であれば、何ら支障なく使いこなせるでしょう。……何か、特に興味のある分野はありますか?」


 その問いに、リディアは一瞬迷った。

 けれど、今ここで聞かずにいつ聞くのだとも思う。


「マグダレーナ先生。過去に戻る魔法……たとえば『時間回帰』のような術式は存在するのでしょうか?」


 問いかけた瞬間、マグダレーナの手がぴたりと止まった。


 少しだけ意外そうに目を見開き、それから慎重に口を開く。


「“過去に戻る”魔法、ですか」


 その声は穏やかだったが、普段よりわずかに低い。


「現代魔法の体系は、人の言葉と術式によって世界の理を一時的に書き換えるものです。ですが、時間そのものを遡るとなると……話は別ですわ。もしそのような術式が存在したとしても、一人の人間が賄える魔力量では到底足りません」


 マグダレーナはペン先で術式の中心をとん、と軽く叩いた。


「因果を遡るなど、神の領域のお話ですもの」


(……やっぱり、普通の魔法じゃないのね)


 父から渡されたあの古書で、自分は過去へ戻った――そう思っていた。

 けれど今の説明を聞く限り、あれは少なくとも“現代魔法”ではない。


「リディア嬢。過去に戻って、やり直したいことでもおありなの?」


 ふと、マグダレーナが柔らかく笑った。


「えっ……な、ないですわ、そんなこと!」


 思わず声が裏返る。


 あまりにあからさまな反応だったのか、マグダレーナは慈しむように目を細めた。


「ふふ。子どもは時々、誰にでも『やり直したい日』があるものですわ」


 そう言われると、かえって胸が痛む。


「現代魔法では聞いたことがありませんが、他種族の古い文献になら、あるいは……。国家機関である『王立研究塔』なら、秘匿研究として扱われている可能性はありますわね。もっとも、知識として残っているかもしれない、という程度ですが」


 マグダレーナは少し考え込み、それからふと付け足した。


「発動の可否は別として、“そういう話があったかもしれない”という情報を探すなら、私よりも公爵閣下の方が詳しいかもしれませんわ」


「お父様が……?」


「ええ。閣下は研究塔にも深い縁がおありですし、古代魔術や禁書伝承にもお詳しいでしょうから」


(お父様からもらったあの本も、屋敷の中を探しても見つからないのよね……)

(やっぱり、直接伺うのが一番だわ)


 リディアは心の中で静かに決意した。



 講義を終えたあとも、リディアはしばらく机に向かったまま、ノートを見返していた。


 今日の内容は難しかった。

 ほんの少し気を抜けば、あっという間に置いていかれてしまう。


「……よし、今日のところは大丈夫そうね」


 本を閉じ、リディアは立ち上がった。


 向かう先は父アルヴィスの書斎だ。


 書斎の扉を軽く叩く。


「失礼いたします。お父様、少しよろしいかしら」


「もちろんだ。さあおいで。お茶を用意させよう」


アルヴィスはそう言って、使用人に指示を出した。


「最近は勉学にも真面目に取り組んでいるそうだな。マグダレーナ先生が、ずいぶん褒めていたぞ」


「当然ですわ。お父様の娘なのですから」


 リディアが少し得意げに胸を張ると、アルヴィスは声を立てて笑った。


「ははは、そうだな。さすが私の娘だ」


 そう笑いながらも、父は娘の目の奥に、以前とは違う光が宿っているのを感じていた。


「それで、今日はどうした?」


 問われて、リディアは少し身を乗り出す。


「お父様の蔵書の中に、不思議な記号のような文字で、美しい魔術式が書かれた古い本はありませんか? 記号のようで……でも、ただの落書きではないような文字なのです」


 アルヴィスは顎に手を当て、記憶を探るように目を細めた。


「記号のようで、落書きのような文字か……」


 しばし考え込んだあと、小さく呟く。


「そういえば昔、王立研究塔の依頼で行ったダンジョン調査で、似たような刻印を見たことがあるな。だが、あれは結局、“文字”ではないという結論に至ったはずだが……」


「では、過去に戻る魔法などは、聞いたことがございませんか?」


 リディアが続けて問うと、アルヴィスは今度こそはっきりと首を振った。


「過去に戻る魔法か。それはまた、神業のような術だな。以前、研究院の魔法理論研究班が、どこかの文献で研究段階までは記載されていたと話していた気もするが……少なくとも、人が扱えるものではないという結論だったはずだ」


「無理……なのですか」


 やはり、あれは普通の魔法ではない。


 リディアは小さく目を伏せた。

 そんな娘の様子を見て、アルヴィスはふと思い出したように立ち上がる。


「そうだ。私の“特別な本棚”を見せてやろう。もしかすると、そこにお前の探しているものがあるかもしれん」


「まあ! 本当ですの?」


 リディアの瞳がぱっと明るくなる。


「ぜひ拝見したいですわ」



 書斎の隣にある図書室へ足を踏み入れた瞬間、紙とインクと革装丁の匂いがふわりと広がった。


 壁一面に本棚が並び、床から天井近くまでぎっしりと本が詰まっている。

 普通の蔵書というより、小さな私設図書館のようだった。


「見つかりそうか?」


 アルヴィスが後ろから声をかける。


 リディアは一冊一冊、背表紙に目を走らせていく。

 だが、探していたような本は見当たらなかった。


「……どうやら、ここにはなさそうですわ」


 まだこの時点では手に入れていないのか。

 それとも、さらに別の場所に保管しているのか。


 目当ての本が見つからず、リディアは小さく肩を落とした。


「そうか。では代わりに一冊、好きなものを読んでいいぞ。もっとも……難しすぎて分からんかもしれんがな」


「――『美しい魔術の法則』。これが気になりますわ」


 手に取ったのは、分厚く、見慣れない文字で書かれた本だった。


 “美しい魔術”。


 その言葉が、あの本の術式とどこか重なる気がしたのだ。


 リディアは何気なく表紙を開き、ぱらりとページをめくる。


「お前、その文字が読めるのか?」


「はい。私の加護は翻訳に近いものですから。外国語なら大抵は分かりますわ」


 そう答えながら、すでに視線は紙面を追っていた。


 アルヴィスが、驚きに目を見張る。


「それは古代エルフ語だぞ?」


「……古代エルフ語?」


 リディアは思わず父を見返した。


(人の言葉以外も、理解できるの……?)


 前の人生では、本などほとんど読まなかった。

 異国の言語どころか、他種族の文献に触れる機会もなかった。


 だから、自分の加護の範囲を、これまで正しく把握していなかったのだ。


「では、これはどうだ?」

 

 アルヴィスが興奮したように別の古書を差し出す。

 リディアは表紙を見て、すぐに読み上げた。

 

「『魔獣の生態と解体手順』……ですね」

 

 今度こそ、父の動きが止まった。

 アルヴィスはゆっくりと本棚を見渡した。

 

 壁一面を埋め尽くす背表紙の群れ。

 その多くは、一般の学者でさえ解読できない言語で書かれている。

 それから、静かに娘へ向き直った。

 

「……さっきは一冊だけと言ったが、撤回する」

 

「え……?」

 

「ここにある本は、すべて自由に読んでいい。そして感想を私に聞かせてくれ」

 

「す、すべて……? よろしいのですか?」

 

「もちろんだ」

 

 アルヴィスは心底楽しそうに笑った。

 

 だが、その目の奥では別の思考も動いていた。

 かつてダンジョンの深層で見た、“文字ですらない何か”。

 誰にも読めず、誰にも解析できず、ただ禁忌めいた気配だけを残していた痕跡。

 

 もし、この娘なら――。

 

 その先を口には出さず、アルヴィスは静かに本棚へ視線を戻した。

 

 一方、リディアは手の中の古書をぼんやりと見つめながら、さっきから頭の中で同じ問いを繰り返していた。

 

(……古代エルフ語が、読めた)

 

 人の言葉だけではない。

 他種族の、しかも古代の言語まで。

 

(……翻訳の加護って、どこまで届くのかしら)

 

 少し怖いような、それ以上にわくわくするような、奇妙な感覚が胸の中に広がっていく。

 

 リディアは、自分の加護に対して、初めて本当の意味で興味を持った。

 

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