第3話 加護の判定
「さあ、リディア。今日はお前の加護が判明する大切な日だぞ」
「どんな能力を授かっているのかしら。本当に楽しみね」
朝の食卓は、いつもより少しだけ浮き立っていた。
向かいに座る父アルヴィスは、そわそわと落ち着かない様子で紅茶のカップに手を伸ばし、母エレノアは朝から目に見えて機嫌がよかった。
(……あら、そういえば今日だったわね)
リディアは紅茶の湯気を眺めながら、どこか他人事のように思い出した。
この世界における『加護』。
それは神や精霊といった“人ならざる存在”から授けられる特別なギフトだ。生まれつき備わる者もいれば、特定の条件を満たして後天的に目覚める者もいる。
血筋や素質が色濃く反映されるため、家系ごとに似通った傾向の力が現れるのが通例だった。
教会の教えによれば――
「加護は、神より人へ託された公器。己の私欲ではなく、隣人のため、そして国のために使うべし」
ゆえに、未熟な子供がその力を悪用されたり、周囲に利用されたりするのを防ぐため、正式な鑑定は「十二歳の誕生日以降」と厳格に定められている。
一度目の人生では、この日をずいぶんと楽しみにしていた気がする。
誰よりも華やかで、誰もが羨むような特別な加護が出るのではないかと、根拠もなく信じていた。
けれど二度目の今となっては、結果はすでに知っている。
(私の加護は、翻訳。悪くはないけれど、派手でもなければ分かりやすく強いわけでもない)
(正直、あの頃ほどの期待はもうないのだけれど……)
そんな内心を悟られないように、リディアは静かに背筋を伸ばし、淑やかな微笑みを浮かべた。
「どのような加護であっても、授かった力はエルヴィン家の繁栄のために捧げますわ」
「「なんて立派な心構えなんだ……!」」
父と母が、ほとんど同時に目を潤ませる。
予想以上の反応に、リディアは一瞬だけ面食らった。
だが、すぐに小さく苦笑する。
(……前の私なら、絶対にこんなこと言わなかったものね)
あの頃は、「どのような力でも」という言い方すらできなかった。
心の中では、強く華やかで、人の視線を集めるような加護以外は外れだと決めつけていたからだ。
⸻
朝食を終えた一行は、エルヴィン領内にある礼拝堂へと向かった。
陽光を浴びて白く輝く石造りの建物の中は、外よりもひんやりとしていて、静かな空気に満ちている。
壁には古い神紋が刻まれ、祭壇の前にはすでに神官が控えていた。
「――では、鑑定を開始します。前へ」
祭壇の前に立つ神官が、事務的でありながら重みのある声で告げる。
「緊張しなくていいわよ、リディア」
横に立つ母が、そっと背中に手を添えた。
(……別に、緊張しているわけじゃないわ)
何度もそう言い聞かせる。
結果は知っている。一度目と同じ加護が出るだけだ。
そう思っているのに、祭壇へ歩み寄る足取りはどこか固かった。
聖水が満たされた銀盤の前で立ち止まり、リディアは細い指先を水面に浸す。
冷たい。
その感触が、現実を妙に鮮やかにした。
神官が低く祈りの言葉を唱えると、聖水盤の底に刻まれた複雑な神紋が淡く発光し始める。
静かな礼拝堂の中で、淡い光だけが揺らめいた。
やがて光が収まり、神官が手元の記録板へ視線を落とした。
「――加護を確認しました」
一拍置いて、神官が告げる。
「……【翻訳】系の加護ですね」
その言葉は、記憶の通りだった。
「異国語や古文書の内容を、直感的に把握しやすくなる力です。適性としては、外交官、学者、あるいは書記官向きの系統でしょうな」
父アルヴィスが、満足げに深く頷く。
「なるほど。実にエルヴィン家らしい」
「公爵令嬢であれば、社交の場でも存分に活かせます」
神官は落ち着いた口調で説明を続けた。
「外国からの貴賓を迎える折や、難解な条約文書の精査など、この力は国にとっても大いに利益をもたらす有益な加護です」
「まあ、それは心強いわね」
母の顔がぱっと明るくなる。
「危険性もなく、発動に特殊な制約や注意を要する力でもありません。極めて穏やかで、安定した加護です」
「……良い鑑定結果だ」
父は我がことのように誇らしげに言った。
「リディアにぴったりだ。誇りに思うぞ」
優しい手がぽん、と頭に触れる。
リディアは表面上は淑やかに微笑みながらも、心の奥でほんの少しだけ肩をすくめた。
(ええ、そうよね)
(悪くはない。でも、やっぱり地味だわ)
一度目の自分は、この瞬間に強い失望を覚えた。
翻訳など、勉強すればどうにかなる範囲の力だと思っていた。
もっと分かりやすく強くて、誰もが一目で羨むような加護が欲しかったのだ。
(まあ、でも……少なくとも、万が一また外国へ追放されたとしても、言葉の壁に泣くことだけはなさそうだしね)
エルヴィン公爵家は、代々、研究や外交補佐の重責を担ってきた家系だ。
家族が持つ加護が似通ったものになるのは、当然の帰結だった。
「リディア? 少し反応が薄いようだが」
父が、不思議そうにリディアの顔を覗き込んだ。
「これは素晴らしい能力なんだ。我がエルヴィン家の家訓は『知は翼なり、道を照らす』。この加護が、お前のこれからの道をきっと明るく照らしてくれるはずだぞ」
そう言って、大きな手が優しくリディアの頭を撫でる。
その温もりに少しだけ目を細めていると、神官が改めて居住まいを正し、リディアを真っ直ぐに見つめた。
「お嬢様。一つ、心に留めておきなさい」
厳かな声が、礼拝堂の静けさに深く落ちる。
「加護というものは、授かった瞬間にすべてが完成するものではありません」
リディアの眉が、わずかに動いた。
「関連する行為を積み、知識を深め、経験を重ねることで……その発現範囲や精度は、徐々に『拡張』され、『深化』していくものなのです」
(……深化?)
聞き慣れない言葉だった。
「これは単に能力が伸びる『成長』とは少し異なります。神より与えられた本来の力が、経験という鍵を得て、正しく解錠されていく――そのような過程に近い」
神官の言葉は静かだったが、不思議と胸に残った。
「あなたがその力と真摯に向き合うほど、加護はより『真なる姿』を見せるでしょう」
真なる姿。
その一言が、胸の奥に小さな棘のように刺さる。
一度目の人生でも、この神官はきっと同じことを言っていたのだろう。
けれど当時のリディアは、期待外れだった自分の加護から目を背けることで頭がいっぱいで、ろくに聞いていなかったはずだ。
(前の私は、この力をただの便利な補助程度にしか見ていなかった)
(もし、本気で向き合っていたら……違う何かが見えていたのかしら)
それは、少しだけ恐ろしくもあり、同時に心を惹かれる問いでもあった。
⸻
鑑定を終えて屋敷へ戻ると、玄関ホールで兄のアレクシスが今か今かと待ち構えていた。
「リディア! おかえり。加護の内容はどうだったんだ?」
早足で詰め寄ってくる兄に、リディアは少し圧倒されながらも答える。
「……【翻訳】の加護でしたわ」
「翻訳の加護! 素晴らしいじゃないか」
アレクシスはぱっと顔を輝かせた。
「これなら苦労して外国語の単語帳を暗記しなくて済む。とてもいい加護だ。ああ、実に羨ましい!」
あまりに素直な反応に、リディアは思わず目を瞬いた。
(ああ……そういえば、この頃のお兄さまは勉強嫌いだったわね)
懐かしさがじんわりとこみ上げる。
「お兄さまは【記録】の加護をお持ちですから、一度見聞きしたものを正確に残せるでしょう? 私からすれば、そちらの方がずっと羨ましいですわ」
何気なく返したその言葉に、アレクシスの表情がぴたりと止まった。
「……どうして、俺の加護の内容をそんなに詳しく知っているんだ?」
(――しまった!)
一度目の人生では当然知っていたことが、今の時間軸ではまだ“聞いていない情報”だった。
リディアの背中に、ひやりと冷たいものが走る。
「え、えへへ……どうしてでしょう?」
精一杯愛想よく笑いながら、首を傾げてみせる。
「もしかしたら、翻訳の加護ではなくて、実は【未来予知】の加護だったのかもしれませんわ」
冗談めかして言うと、アレクシスは一瞬きょとんとし、それから眉を寄せて考え込んだ。
「……わかったぞ。どうせ父上か母上にこっそり聞いたんだろう」
「ふふ、それは秘密ですわ」
「全く……あれほど秘密にしてくれって言ったのに、二人とも口が軽いんだから」
ぶつぶつ言いながらも、アレクシスはどこか嬉しそうだった。
どうやら誤魔化しきれたらしい。
リディアは内心でそっと胸を撫で下ろす。
(危なかったわ……)
(今後は、もっと言葉に気をつけないと)
けれど同時に、少しだけ可笑しくもあった。
一度目の人生では見えていなかった家族の素顔が、今はこんなにも近くにある。
加護そのものよりも、そのことの方が不思議で、そして温かかった。
⸻
その日の夜、自室に戻ったリディアは、ぼんやりと窓の外を見つめていた。
夕暮れはすっかり沈み、北の空には冷えた星が瞬き始めている。
自分の加護は、やはり一度目と同じだった。
それ自体に驚きはない。
けれど、神官の言った「深化」という言葉が、どうしても頭から離れなかった。
(加護は、使うほど真なる姿を見せる……)
もし、それが本当なら。
翻訳の加護も、ただ異国語や古文書を読むだけで終わるものではないのかもしれない。
窓の外で、風が木々を揺らす。
そのざわめきに、ほんの一瞬だけ意味が宿ったような気がして、リディアはそっと顔を上げた。
(……気のせい、かしら)
まだ、はっきりとは分からない。
けれど確かに、二度目の人生は、一度目とは少しずつ違う形で動き始めていた。
小さな火が灯るように、静かに。
だが確実に。




